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~ わたしの好きな海外ドラマ ~ 「家族」


私の好きな海外ドラマ・・・・嫁女が「BONES(ボーンズ)」や「BURN NOTICE(バーン・ノーティス)」が好きで、

よくビデオを借りてきてたので、一緒に観ていましたね~。


簡単に説明すると、複雑な家庭環境で育った才媛の法人類学者が、殺人事件を解決しながら「人間性」も取り戻していく話とw、

CIAをクビになったスパイが、民間人として仕事を請け負いながら復職しようとする話ですw


BONES」、登場人物が奇人だらけながらw、ちょっとステレオタイプというかw単純過ぎるかな~と感じることが多くw、

個人的には小道具(骨、死体等w)のリアルさや、タマラ・テイラー演じるカミール・サローヤン所長の魅力で補われてる感じですねw

手塚治虫の漫画「どろろ」を、現代アメリカの法医学研究所を舞台に焼き直したらこうなる?という気もしますw


BURN NOTICE」は、スパイの過酷な日常設定、こちらも銃や爆弾等の小道具のリアルさw、モヒート大好きのサムw、

元IRAのフィーの魅力かな・・・・と。



ウチの嫁女は「HEROES(ヒーローズ)」も大好きで、BDを全巻持ってるようです。

超能力を持つ「能力者」達の群像劇ですね。

このドラマのメインは、サイコのサイラーが人間性を取り戻していく話だと思うんですが、チアリーダーのクレアが、いろんな事件に

巻き込まれつつも成長していき、最終的に「能力者」として胸を張って生きていこうとカミングアウトしちゃう話でもあり。


ただ、ヒロ・ナカムラの相棒、アンドウ・マサハシ君の名前w台詞の日本語のインチキ臭さw、

ヒロの親父・カイトのステレオタイプっぷりw、ハイチ人を名前で呼ばないアメリカ人の傲慢さ?がw、

どうも感情移入しづらいところか・・・・?とw



結局は、「X‐ファイル」になってしまいますw

わたしの好きな映画で、感じる魅力について書いていますので、これ以上は書きませんが、

上記のドラマも含め何故そのドラマが好きになったか考えてみると、

その理由として、感情移入できる登場人物がいる、そして、タイプの女性がいるw

この2点はどうも間違いないように思いますw




これらのアメリカ製ドラマを見ていると、本当にアメリカ人とその家庭って、色々大変なんだな~と感じますw 

まあ、日本人も似たようなものかもしれませんがw


近世文化史が専攻の法大総長・田中優子氏が、

「近世の人々の生き方を考えると、現代人は『エゴ肥大症』に罹っているんじゃないか?

 学生達が書いた履歴書の自己PRを読むと、書いていて自分で恥ずかしくならないの?と思える」

と書いていましたがw、アメリカ人はまさに、その代表選手のような印象がありますw

日本の学生の場合、「『マニュアル』を参考にして自己評価しなさい、そうしないと受からないよ」と

就職斡旋産業の大人達がそそのかすから書いてるだけでw、本気でそう思って書いてる子って少数派のように思いますがw、

ま、公私共にあまり若い子達と接する機会がないので、実態はよく分かりませんw


「エゴ肥大症」・・・・、仏典には「人間は(縁に触れて)1日に84万回心が変わる」とあり、

そんなもんにイチイチ全部付き合ってたら身が持たんやろ・・・・?個人的には思いますがw

そういえば、高校生の時分から「個性を出そう!」とか思ったことがなくw、

何かで「遺伝子レベルでは、みんなとっくに個性的」という一文を読みw、「ならいいやん」で済ませた記憶がありw

ま、こんな文章を連続でアップしてみたりとw、日本社会の中では逆にw、

かなり「個性的」な「マージナルマン(周縁の人)」として生きてきたのかもしれませんがw


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(愛媛県宇和島市 遊子水荷浦の段畑 本文とは直接関係ありません)


アメリカ製ドラマを観ていてふっと思い出すのが、フランスの家族人類学者、E・トッド氏の学説です。

トッド氏は歴史人口学者でもあり、世界各地の伝統的な農村の家族形態を8つに分類し、その分布を世界地図へ落とし込む

作業をしていたところ、偶然あることに気付きます。

ある家族形態が多く分布している地域は、ほとんどが社会主義国になっている、と。


それから、「それぞれの家族構造がいかなる気質、心性を産出するかを検討し、近現代のイデオロギー現象をもそれで説明できる」

「しかも共産主義や自由主義という現代的イデオロギーだけでなく、イスラム教やインドのカースト制といった伝統的文化ないし慣習も、

現代に存在し機能するイデオロギーとして捉えよう」(「世界像革命」より引用、以下も同じ)と学説を発表します。


家族形態8種類全てを挙げると相当長くなるのでw、日本人とフランス人、アングロサクソンの家族形態を挙げてみます。



まず日本人は、「直系家族」に分類されます。

ヨーロッパでは、ドイツ圏(オーストリア、スイスのドイツ語圏も)、スェーデンとノルウェーの大部分の他、西ヨーロッパでは

最大の分布を示し、アジアでは日本と朝鮮半島に分布しています。


「この家族型においては、子供のうち跡取りは成人し結婚したのちも親の家に残り、やがてすべての遺産を相続する。

 他の子どもは成人すると家を出て、(中略)他の場所で生活の道を見つけなければならない」


「この家族構造においては、親が子供に対して長い間、権威を揮うのであるから、親子関係は権威主義的であり、

 兄弟関係は不平等主義的である」


「この家族制度の下で生まれ育った者は、権威と不平等という価値を無意識のうちに内面化する。さらに兄弟は不平等で

 異なるものであるという確信は、人間とは不平等で異なるものであり、諸国民も不平等で異なるものであるとする、

 無意識の『先験的な形而上学的確信』へとつながる」

としています。


トッド氏は更に、「移民の運命」という著書の中で、何故ドイツ人がナチスを支持し、ユダヤ人大虐殺にまで至ったかを、

時代背景とこの家族制度で分析しています。


ジャーナリスト・魚住昭氏の「わき道をゆく」(現代ビジネスHP)第七十三回「アンネと難解な本の関係」から引用しますと、

「この家族システムが育むのは権威と不平等。人々は、人間は互いに平等ではなく、『差異』があると信じる価値観をすりこまれる。

 トッドの分析のキーワードはこの『差異』という言葉だ。

 トッドは、ドイツ型家族システムは『差異を作り出すけれども、差異を好みません。このシステムの中には一種根本的な矛盾が

 存在するのです』と述べている。

 根本的な矛盾とはどういうことか?

『兄弟間の差異化は無意識に対して、人間は互いに異なるものであり、分離されていなければならないと告げる。

 しかし父親の権威は無意識に対して、人間は何らかの中心的権力に従わねばならず、それゆえひとつにまとまっていなければ

 ならないという観念を押しつける。この根本的な矛盾が生み出す緊張は時として(中略)排除 ないし絶滅の差異主義(を生む)』

 つまりドイツの家族システムが育んだ無意識は、自ら作り出した差異に耐えきれなくなり、時にその対象を排除・抹殺しよう

 という衝動に駆られるというのである。

 トッドは、ナチスのユダヤ人絶滅の企てが可能になった背景として19世紀ドイツで盛んになった権威主義的教育イデオロギー

 (身体的規律と剛直の強調。スパルタ教育)により家族内の権威がヒステリー的に高まったことなども挙げる。

 それらの根本にあるのもまた、矛盾と緊張をはらむドイツの直系家族システムだ。

 ここまで来れば読者諸兄はもうお気づきだろう。そう、日本の伝統的な家族システムもドイツと同じ直系家族である。

 父親の権威は絶大で、家督を相続できるのは長男だけだった。

 トッドの立論が正しければ、自ら差異を作り出しながら、差異を憎むという矛盾と緊張をはらんだ無意識が、

 私を含めた日本人に根強く残っていることになる。」



フランス人(パリ盆地を中心とする北フランス)は、「平等主義核家族」に分類されます。

西ヨーロッパでは、北部沿岸部を除いたイベリア半島の大部分(ポルトガルとスペイン、いわゆるラテン)、イタリアの北西部と

シチリアを含む南部、ポーランド、ルーマニア、ギリシャに分布し、ラテンアメリカ諸国もコロンブスのせいで総じて

この家族型だそうです。


「子供は成人し、結婚すると親の家を出て、独立の世帯を構える。親が死ぬと、遺産は子供たちの間で平等・均等に分配される。

 親の生前に何らかの贈与がなされている場合は、それも厳密に計算される」


「この家族構造においては、子供が結婚とともに家を離れて独立するのであるから、親子関係は自由主義的であり、

 遺産は均等配分であるから、兄弟関係は平等主義的である。この家族構造の下で生まれ育った者は自由と平等という価値を内面化する」


「フランス大革命が、自由と平等の理念を掲げたのは、それがまさに革命の根拠地たるパリ盆地の農民たちの家族制度に

 根差した価値に他ならないからである」


「兄弟の平等の確信は、人間というものは平等にしてどこでも同じであるという、普遍的な人間の観念を産み出す(中略)

 それはさらに諸国民は平等で同様のものであるという『先験的な形而上学的確信』へと繋がっていく。肌の色の異なる人間も

 分け隔てなく受け入れる、人種差別感の少ない鷹揚さという明るい側面と、尺度に合わない者を『非人間化』してしまう暗い側面とが、

 混在することになる」

としています。



アングロサクソンは、「絶対核家族」に分類されます。

これはヨーロッパ特有の形態で、イングランドの大部分、オランダの大部分、デンマークの大部分、ノルウェー南部の

デンマークの対岸に当たる地域、フランスのブルターニュの大部分、そしてヨーロッパの世界進出と植民地活動の結果、

アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカが主な分布になっています。


「子供は成人し、結婚すると親の家を出て、独立した世帯を構える。また遺産相続は主に遺言によって行われ、相続者間の平等は

 あまり考慮されず、親は自分の好みと意志を主張することができる。(中略)この家族構造における親子関係は自由主義的であり、

 兄弟関係は平等に対する無関心を特徴とする」


「早くから子供の独立を促すこともこの家族制度の特徴で、イングランドでは古くから、子供を他家に奉公に出す

 『送り出し』と呼ばれる制度があった」


「この家族制度の下に生まれ育った者は、自由という価値を内面化するが、平等にはあまり関心を払わない」


「平等とは無縁の自由の観念の顕現の例(中略) 例えば議会制民主主義の祖国と目されるイギリスで、政治的平等原理の表現である

 普通選挙が実現するのは、フランスに遅れること70年、ドイツに遅れること47年の、1918年という事実、

 あるいは総得票数で劣る政党が比較多数の議席を獲得することに対する無関心(1951年の総選挙)」


「この家族構造は、兄弟の平等に無関心で、差異を当然視することから、人間は互いに異なるものであり、諸国民・諸民族も

 異なるものであるという無意識の『先験的な形而上学的確信』を産出する」

としています。


この家族形態の特徴として、「世代間の断絶」も挙げられています。

また、言語学では「中央(大陸)で発生した言葉(文明)が辺境(周縁)に伝わる傾向があり、中央ではとっくに無くなった言葉が

辺境の地に残ることがある」という分析があり、この家族形態も中央(大陸)では廃れた古いもの、「原始的」なものではないか、

という分析もなされています。

一見「近代的」「先進的」とされているものがw、実は「野蛮」なものかもしれない、とw




トッド氏によると、この学説、イギリスやフランスの学者達からは「決定論」として受け止められ、「人間は自由だ!家族形態なんかに

左右されてたまるか!」と反発されることが多いそうですw

トッド氏に言わせると、「『自由強迫症』(人間は自由でなければならない、という強迫観念)に罹っているように見える」とw

一方、ドイツや日本では関心理解を示してくれることが多いそうで、その理由として、経験主義、「経験則」を重視する文化が

あるからではないか、と分析しています。

たしかに日本では、「人間って、そういうとこあるよね~」と受け入れらやすい気がしますねw


トッド氏の生い立ちや家族、来歴を見ると、彼が「一般的なフランス人」ではなく、ある意味「マージナルマン(周縁の人)

だったことも、これだけ斬新な見方が出来た背景の一つじゃないかと感じます。




エゴ肥大症」「世代間の断絶」「自由強迫症」、これらはアングロサクソン社会に限らず、日本社会も直面している感が強いですがw、

アングロサクソン的価値観やグローバリズムを鵜呑みにせずw、経験則や社会史、民衆史観等で捉え直す必要があるな~と、

アメリカ製ドラマを観ながら感じます。


ちなみにアングロサクソンの成功観って、「出来るだけ早く一発当てて、後は悠々リタイア!」っていう印象が非常に強いんですがw、

江戸時代から続く日本の老舗の成功観等の方が、「売り逃げ」して逃げ回ったりw妙な理屈をつけて自分を「免罪」しなくて済みw、

日々健やかに充実して生きていけるように思えてしまうのは、私が日本人だからでしょうかね?w



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by syotikure | 2018-02-10 02:50 | 趣味(その他) | Trackback | Comments(0)

~ ブログテーマ わたしの好きな韓流・華流 ~ 「文化コード」と「同調圧力」


韓流と華流・・・・あまり韓流ドラマとか華流ドラマ?は見ないんですが、ポッと浮かぶのは、中川家の「ソウルの焼肉屋さん」

「いかつい人に絡まれた時の対処法」とw、劇団ひとり氏のネタですw


映画「少林サッカー」は大好きですね。これは衝撃的でしたw

CGは勿論のことですが、あの「突き抜けた」感じはw、クレージーキャッツの「無責任」シリーズと共通するものを感じますw




仕事等で大分を訪れることが多いんですが、最近大分の観光地等で、東アジアの近隣諸国から来られている

外国人観光客をよく見かけます。

昨年、仕事で都城のビジネスホテルに泊まった際も、東アジア系外国人を見かけて、びっくりしたことがあります。 

都城に、外国人の関心を惹くような観光資源なんかあったかな?とw

ま、よく分かんないけどw、少しでも外貨を落としてもらえれば有難いな、と思ったもんでしたw


若干服装のセンスが違うので、「外国の人だな」と気付くことが多いですが(時々外れますw)、

喋ってる言葉を聴いて初めて外国人と気づくこともあり、グローバルアパレル企業のせいでw、

東アジアも「均質化」しつつあるのかな~と思ったりしてますw


ただ、日本人と同じような服装の人達が仲間同士で喋っているのを遠目に見かけ、言葉がはっきり聴き取れないのに、

「あ、外国の人だ」と気付くこともあり、何が違うんだろう?と以前から不思議に思っていました。


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(大分県別府市 海地獄)


先日たまたま嫁女とそういう話をしていて、ふと思い当たったのが、表情、しぐさ、ボディ・ランゲージの違い、です。

ふとした瞬間の表情やしぐさ、ボディ・ランゲージ、そして同じものを見ても微妙に反応が違うのは、

もしかしたら表情(表現)にも「文化コード」(育った、または所属している社会の文化的規範、規律)があるんじゃないか、と。


基本的な喜怒哀楽の感情は、人間ですから当然同じでしょうが、その表現(表情)の大きさ(や長さ)、タイミング(間)が、

どうも地域や国で違うんじゃないか、と。


ベトナム戦争で、アメリカ兵が一般のベトナム人に尋問をする際、ベトナム人が日本でいう「ヤンキー座り」をしていると、

アメリカ兵がイライラして無理矢理立たせたり、自分達と同じ片膝をついた姿勢を強要したという話を、

高校生の頃、本多勝一か開高健の著作で読み、民族や文化によって、「姿勢」の意味、受け止め方が違うんだんな~と

少し驚いた記憶があり。


アメリカに住むことになった人が、恩師から「鏡に映った自分の顔が、ハンバーガーに見えるようになるまで踏ん張れ」

と激励された、という話を若い頃に聞いたことがあって、その激励の意味がやっと解ったような気がします。

周りの人達が、君の表情やしぐさに違和感を感じないぐらいにならないと、その地域社会には溶け込めない、根差せないよ、

ということかと。


 e0071319_15042103.jpg芸人の劇団ひとり氏が、髪を七三に分けて少しキレたりw朗らかな笑顔になるとw、近隣東アジア諸国の人に見えるのは、彼が帰国子女だからじゃないかな、という気もします。

子供の頃、日本社会の外で育ったので、日本社会で育った日本人とは違う表情(の大きさ)やタイミングを持っているんじゃないかと。


じゃあ、中川家の礼二氏はどうなんや?と訊かれそうですがw、あれは、「芸」という感じがしますねw 言語、表情、しぐさの芸w

日本人は、遺伝系統的には大きく6系統に分けられ、「アジアの雑種」とも呼べるそうでw、関西は昔から人の交流が多いので、たまたま礼二氏に大陸的な特徴が色濃く出ている可能性も無い訳ではありませんがw


どういう理由にせよ、人の顔のことをあれこれ言うのはw、ちょっと失礼ですねw

これは、親からの「躾け」という「文化コード」になりますかw


(海地獄の土産屋で見かけたシュールなストラップw)




同じ日本人、同じ九州人でも、お隣の鹿児島には、なんか表情の違いを感じますねw、気合が入っている表情の男性が多いというかw

仕事で滞在した北九州では、コンビニに立ち寄ると、何の仕事をやってるんだかよく分からないw、

ちょっと他所では見かけない種類の薄笑いwを浮かべた若いお兄ちゃんを、ちょこちょこ見かけた記憶もありw


同じ宮崎県民でも、地域によって、しぐさの違いを感じることがありますね。

今住んでいる門川で、時々おばちゃん達が道端で話しているのを見かけますが、県北だな~と感じるのがw、

話が長くなって疲れたのかw、壁にもたれて頬杖をつきながら話す姿勢、しぐさです。

これは、宮崎市周辺や都城ではまず見ない、県北、それも漁師町辺りでしか見かけないしぐさで、

以前冗談交じりで義母にそう話すとw、「漁師町で行儀が悪いっちゃろかね~、他所ではやらんとね?」と

少し恥ずかしそうにしていたのを覚えてますw 

県北だけで見かけるということは、その地域社会の中で、祖母、母親、近所のおばちゃん達から娘世代へと引き継がれてきた、

ある程度固有の「民俗」的しぐさ、なんでしょうね。


よく、町には「表情」がある、と言いますが、そこに住む人達に、何らかの背景、「文化コード」を伴った表情が、

どうもあるように感じます。




文化コード」と強く関係することだと思いますが、日本は「同調圧力」が強い社会と言われたりします。


この「同調圧力」、考え方や思想の強要というよりは「行動」の強要、「私も同じ感じ方をしてますよ」と表情を合わせる、

あるいは「異論はない」ことを表情に出す、のを強いられる圧力、のような気がしますねw


子供の頃、学校や部活等で「なんだその顔は!他の『みんな』は納得してるぞ!」と、

「表情を合わせる」ことを強いられる叱責があったことを思い出しますw

考えていることは全然違うのにw、とりあえず表情だけ合わせておけばw、波風立てずwスムーズに運んでいくというw

で、最終的にそれについて誰が責任を取るかというと、「みんなで決めたこと」だから「連帯責任!」にされる場合が

多かったような・・・・w


無責任社会」の「温床」はw、もしかしたら、この「同調圧力」かもしれませんなw

「我がまま」=「我が思いのまま行動する」と、「自分の行動(と結果)」に「自分で責任を取る」必要が出てきますが、

「我がまま」を通さなければw、その行動は「自分で決めたこと」ではないので、「自分の責任ではない」と思うのが自然ですw


この風習の利点はw、自分でものを考えなくても「考える人が考える」ので、ただそれに乗かって流れに身を任せていれば済むw、

何かあっても自分だけが責任を負わなくてよいw、「みんな」同じ「境遇」なので共感や連帯感が得やすいw、等でしょうかw


「ムラ」社会の名残り、封建時代の庶民の生活の知恵wのような感じもしますがw、江戸時代の百姓は、越訴、一揆、逃散、

町人も打ちこわし等やって「意思表示」してましたからねw

村の管理運営を行っていた「村方(地方)三役」には、名主(庄屋、肝煎)・組頭(年寄り、脇百姓)・百姓代(長百姓)があり、

名主は一村の長で村政を統括し、組頭がその補佐を行い、百姓代は小前百姓を代表して前二者層の村政運営を監視していました。


民俗学者の宮本常一氏がフィールドワークした長崎県対馬の村政運営では、村で何かの事柄を決めるのに、各戸から集まってきて、

経験や言い伝え、それについて思いつくこと等をとにかく出し合い、途中話が脱線したりw昔話に花が咲いたりしながらもw、

皆が納得するまで話し合って決めたそうです。なかなか決まらない場合、によっては一週間近くも弁当を持ち寄って話し合ったとかw 

ただ、ここまで話し合って決めたことは、後から不平不満が出ることはまず無かったそうで、「多数決」で決めるのは本当に最後の手段、

という認識だったそうです。

また、日本近世史・村落史が専攻の渡辺尚志氏の研究では、地域性はありますが江戸時代は今想像する以上の「訴訟社会」だったそうで、

こういう「同調圧力」が「全国」的に強くなったのはw、もしかしたら近代以降、「近代国民国家」の国民の「統治方法」の影響等が

かなり大きい気もし・・・・w


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(日向市内に残る海軍特攻隊基地の滑走路跡 本文とは直接関係ありません)


野村克也氏が、「考え方を変えることで行動を変えていくやり方は、意志を継続させるのがなかなか凡人には難しい。

それよりも、行動を変えることで考え方は変わるので、まず行動を変える方が凡人にはやさしい」と語っていました。


これは、「行動の同調」が「思考の同調」にも繋がる、ということであり、悪用されると怖いことでもあります。

ブラック企業の社員教育の手口は、これを応用したものと言えるかもしれません。 

まず、理由は何でもいいから社員のプライドをへし折り、「こうあらねばならない!」と社訓的なものを何百編も復唱させたり、

キャパ以上の仕事を与えて失敗させることで自信を喪失させ、自分の頭で考える余裕や時間を与えず、行動を完全に支配下に置いて、

なんでも言うことを聞くようにしていくやり方です。


外務省にも似たような「新人研修制度」があったそうでw、キャパ以上の仕事を与えられ、徹夜でやっと資料を作成して

上司に提出したら、「上の方針が変わったから」と目の前でゴミ箱に捨てられた、と作家の佐藤優氏が書いてましたねw

はたしてあれは、『大人』の集まった組織だったのか?」ともw



以前、4年半ほどブラック企業に在籍したと書きましたが、幸いこういった「洗脳」され「同調」を強要されるブラックではなくw、

ルート営業なのに3ヶ月連続で昨年実績を割ったらクビとかw、売り上げの「日計」が通算で昨年実績を下回ったら、

営業部が数字をクリアするまで社員全員「連帯責任」で退社出来ないとか(私らは、会社が従業員を人質に取って立て籠る様からw

「まぁた『人質作戦』が始まったど~」と言ってましたがw)、まあ「無邪気」というか「愛苦しい」ブラックでしたねw

あまりの立場の不安定さに、ある営業マンが「今度結婚するので、退職します」と「寿退社」したこともありましたw 

男が「寿退社」するのを見たのはw、50年の人生で1回っきりですねw


誰がいつクビになるか分からないのでw、営業が20人以上いながら妙な派閥もなくw風通しもよくw、その辺理解出来てる

営業マンとは自然に「戦友」的な連帯感が育まれw、何かあったら情報を共有して「共通の敵」と対峙してましたw 

数字が悪い月の営業会議では、呑気な顔をしてるとw「戦友」の上司への風当たりが強くなるかとw、

とりあえずwしおらしい顔して座ってましたねw 

辞めて10年近く経ちますが、在職中仲の良かったメンバー達とは、今でも忘年会等で年数回は集まっています。

「戦友」の繋がりって、なんか続くんですね~w




この会社に在籍していた期間を含め、都城には約10年住んで、地元の温かい人達と交流させて頂き、至って居心地が良かったんですが、

よく分からないところも正直ありまして・・・・w


職場で同僚たちと話していて、どんな内容だったかは忘れましたが、冗談で「そんなこと言ってたら、チェスト~ッ!って

示現流で斬られない?」と言ったら、辺りを見回した上司から真顔で「変なこと言うな!」とたしなめられたことがあり・・・・w 

表には決して出てこないw、よそ者には分からない未知のアンダーグラウンド組織がw、まだこの辺りにはあるのか・・・・?

少し背筋が寒くなりw


また、「持って回った」言い方が、日常的に多用されてる感もあり・・・・w

もしかしたら、「持って回った」言い方が出来ること=「頭が良い」こと、と勘違いしている人が多いのかも、と・・・・w

難しいことをそのまんま難しく言うのはw、丸呑みしたものを吐き出すだけですから結構簡単なことでw、

難しいことを自分の頭で咀嚼して、どう分かりやすく伝えられるか、表現出来るかに、「頭の良さ」や「人間性」、

場合によってはその人の「責任感」まで顕れると思うんですが・・・・w


後、「権威権力に滅法弱い」人が、なんだか多い印象もあり・・・・w

ま、「同調」して「弱いフリ」をしてるだけなのかもしれませんがw、なんで日常的に「弱いフリ」してなきゃいけないのかw、

よく分からないという・・・・w


用事があって訪れた市役所のある課では、女性職員が窓口に来ていた老婦人を叱り飛ばしていて、

なんかすごいな・・・・と思って見ていたらw、視線に気付いたその女性職員に睨まれた記憶もあり・・・・w

未だに「官」が偉い地域なのかな・・・・?と感じましたw

市民にサービスする行政「サービス」機関ではなく、市民を統治する行政「統治」機関か・・・・?とw 

ま、300年以上もガッチガチのヒエラルキーで固まっていた地域ならでは、でしょうか・・・・。


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(旧牧園町から望む桜島 靄がかかってよく見えない日でしたw)


江戸時代の諸藩では、武士層が全人口に占める割合は5~6%ぐらいでしたが、旧薩摩藩では武士層が約26%もいたそうで、

今でも「ウチは武士の家系だ!」と胸を張る人に出くわしやすい地域ですw

この武士層の中で、城下士(鹿児島衆中。城下町に居住する武士)は約11%だったそうで、人口全体でいうと約2.8%になり、

残りの約89%、全体の約23.2%は郷士(外城衆中。地頭所居住)、家中士(私領居住)として外城(麓)の農村地域に

配置されていました。

「チェスト!関ケ原!」で、徳川幕府に対する常時臨戦態勢だったんでしょうが、74%の百姓・町人を

23%の郷士が「統治」する社会でもあった訳ですね。農村に5人いるうちの2人は、「支配・統治する側」だったとw

八公二民(収穫した米の8割は年貢)の旧薩摩藩内で、ほとんど越訴や一揆、逃散の記録がなく、

庄内の伊集院氏等の「武士の反乱」しかなかったのは、このせいだといわれています。


江戸時代には諸藩で一般的だった「寺請け制度」は、旧薩摩藩内では機能しておらず、代わりに郷士層がキリスト教や

一向宗(浄土真宗)等の禁教の取り締まりを行い、百姓の生殺与奪の権利を全て握っていたといわれています。

一向宗は、中世には自治都市の「寺内町」を組織し、「加賀は百姓の国」と言われたように「国」自体を運営したりしていましたので、

その自治志向、一揆が警戒されたようです。

浄土真宗の信者達は、隠密で遠く日向の串間まで坊主の話を聞きに行っていたそうで、都城のあちこちに今でも

「隠れ念仏」の跡が見られます。

霧島山麓の「カヤカベ教」のように、アンダーグラウンドで代々念仏を受け継ぎ、独自の教義を持つに至った宗派もあります。

明治の廃仏毀釈運動で、江戸時代まで続いてきた寺院のほとんど全てが破壊し尽くされたのは、この「寺請け制度」がなかったから、

という見方もあります。武士層だけでなく、一般庶民の一部も一緒になって破壊してたそうですから。

今ある寺院のほとんどは、廃仏毀釈運動への国内からの反発、欧米諸国のキリスト教教会からの批判等で見直しの動きが起き、

それ以降に旧薩摩藩内へ布教した「新興勢力」や、元々あった寺を再興したものだそうで。


また、戊辰戦争以降、旧薩摩藩内では「武士層内部の下剋上」が起こった、といわれています。

江戸から明治になり、行政組織内では倒幕に慎重だった門閥勢力(旧上層城下士)から、武力倒幕を主導した下級城下士に権力が移行し、

地租改正では旧郷士層の多くが地主となり、また県議会の議席の大半を占めていきました。


明治22年4月の市制・町村制の施行では旧郷がそのまま行政単位に移行し、町村役場はほとんど旧麓地区(外城の中心地域)に置かれ、

その地域行政は上層の郷士層が担いましたので、地域内の行政実態と人間関係は江戸時代のままだったようです。

この地域の行政と人間関係に大きな変化があったのは、太平洋戦争後の憲法改正、民主諸改革の断行、なかでも農地改革でした。

藩政時代の武士による支配が、制度的に変遷しても太平洋戦争後まで続いていましたが、二次にわたる農地改革の結果、

小作地率は35.6%から9.2%に減少し、ようやく旧士族層と旧平民層の社会的平等化がはかられた、ようです。

(中村明蔵著「薩摩 民衆支配の構造 現代民衆意識の基層を探る」南方新社、他)


百姓の挙動にも目を光らせていた「外城制度」が、何となく残っているかのような印象を受けるのはw、

これらの歴史を知ってるせいかもしれませんが・・・・w




前記の会社を退職後、「当面、サラリーマンはいいや」とFXをやっていたところ、「3.11」東日本大震災が起こり、

それに絡んで「カジノ資本主義」の「投資家」の一人、ミセス・ワタナベの類でいることにホトホト嫌気がさす出来事があり、

最低ライン「人の役に立つ」ことで飯が食いたいと、「社会復帰」することを決めました。


「社会復帰」しようと、都城で営業の求人面接を片っ端から受けたところ、片っ端から落ちまくりw、

ブラブラしてる訳にもいかんと、県外の会社の現地契約社員となり、そのうちに妻が転勤になったので門川に引っ越しました。

契約期間も終わり、県北の地元で仕事を探すことになりましたが、県北は都城よりも営業の求人件数自体が少なかったので、

営業以外の仕事もある程度覚悟しながら、とりあえず1社面接を受けたところ、同じ週に2次面接、週明けに採用となりました。


その時は、丁度タイミングが良かったのかな~と思っていましたが、今になって考えてみると、都城に住んでいた時に在籍した会社は、

社長がある程度以上の期間東京で働かれていた経験と、また直接社長面接で採用になったという共通項があり・・・・。


そこで気付いたのが、「文化コード」ですw

チャキチャキの地元、旧薩摩藩育ちの人事担当者の「文化コード」の基準では、ハネられてしまう経歴だったのかw

または面接時、面接担当者の「文化コード」的には受け入れられないw、表情や態度、言動があったのかも・・・・とw

そう言えば、一度だけですが面接で「普通のやり方では業績が伸びそうもない、あなたはイリーガルな手段が取れるか?」

と聞かれたことがありましたねw 

笑顔で、「無理ですね」とお答えしましたw 




あんまり他所のことばかり書いているとw、「不公平」かもしれませんねw


都城の人から、たまに「宮崎(市内)の人間は、冷てがね~」と言われることがありますw

宮崎市中心部は、宮崎県庁が出来てから135年しか経ってない、至って歴史のない町で(大淀川右岸の城ケ崎地域は

赤江港が近く商人の町として栄え、俳句等の町人文化も発達していました)、橘通に並ぶ商店は四国出身の人が多い、

と聞いたことがあります。

ある意味「よそ者が集まって出来た町」ですから、良くいえばゴリゴリの「文化コード」がなくwオープンな感じ、

悪くいえば歴史の無さからくる「軽さ」や、「同じ境遇」を背負う等の「連帯感」が薄い地域、でもあるのかな、と。


百姓遺産」でも触れましたが、宮崎県は江戸時代には諸藩分立していて、西南戦争以後の鹿児島県庁の施政のおかげ?wで、

宮崎県として分県した経緯があり、各藩それぞれ歴史が違い、言葉も違い、風習も違うことを大前提に、小異を捨てて大同に就こうと、

まとまってきた感じなんでしょうね。

「高鍋で学問の話をするな」「都農でケンカの話をするな」w等のフレーズがあり、高千穂には古い夜神楽があり、

椎葉には稲作農耕民とは別の祭祀儀礼があり、また徳川幕府に抵抗した歴史もあり、西米良には南朝の武将・菊地氏があり、

海岸沿いには伊予の河野水軍との密接な繋がりがあり、県北には確実にw海賊の末裔があり・・・・。

誰かが強権で「支配統治」しようとしていたらw、レジスタンスや山岳ゲリラ、海賊だらけになってたかもしれませんな~w


宮崎に住んでいると、何らかの「文化コード」を強く感じる旧薩摩藩地域との比較で、色々と相対化しやすいという

「地の利」があるようにも感じますw

「近代国民国家」政府もw、実はこんな感じでやってたんじゃないか・・・・という想像も働きやすく・・・・w



私の場合、九州他県の先輩達から何故か「宮崎の人間だよな~」と言われることが多いんですがw、

高校時代、シベリアの強制収容所に捕虜として抑留された人の体験を読んで、

収容所で一番先に精神的に参ってしまったのは、顔色を読んでおべっかを使うタイプの人間だった、

と知ったことが、その後の人生に大きく影響しているような気もしますw



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by syotikure | 2018-02-03 18:34 | 趣味(その他) | Trackback | Comments(2)

2年ぶりのアップ  「エキサイト20周年企画~あなたの人生の三つの坂」


ご無沙汰しております。

約2年ぶりのアップとなります。



2年前の4月14日、仕事で熊本県の八代市を訪れて、高千穂越えで夜9時過ぎに門川へ戻り、

自宅とは別に借りている駐車場へ車を停めて降りた途端、今まで経験したことのない大きな揺れに襲われました。

高台に車を移動させないと津波にやられるかと、慌てて自宅の嫁女に電話して確認したところ、

震源地は熊本なので多分日向灘は大丈夫じゃないか、と・・・・。

幸い宮崎は比較的被害が少なくて済みましたが、メディアで報道される熊本や大分の方は大変な状況で、

八代在住の知人達からも被災地の生の声がリアルタイムで耳に入ってきました。



それから、呑気な内容をブログにアップするのはどうにも気が引けるようになり、また、それ以前から、

「インスタ映え」ならぬ「ブログ映え」を気にしたり、当たり障りのない婉曲な表現を探すの

ちょっと嫌気が差していたこともあって、すっかりブログから遠のいてしまいました。



ただ、たまたま最後のアップが熊本の阿蘇でしたので、それまでブログを見て頂いていた方々に誤解されるのはまずいかと、

生きている証としてw読んだ本だけは「マイフェバリット」で随時更新しておりました。

去年も温泉に行ったり、博多までナイツの独演会を観に行ったりとw、それまでどおりの毎日を送っていましたが、

一度離れてしまうと、なかなかアップする気にはならないもので・・・・。

ま、あまり一般ウケしなさそうな分野・方面に、興味関心が向いていたせいもありそうですw



今回偶然に、ブログの主催元であるエキサイトが、20周年を迎えたことを知りました。

振り返ってみると、最初にエキサイトを利用したのは18年ぐらい前で、このコンテンツがなかったら多分出会わなかった、

今は別の人生を歩いていたろうなと思わせる、転機となる幾つかの出会いがあったことに気付き・・・・。


また、改めてブログを見直すと、その時々の私ら夫婦と一匹の状況、出会った人・土地・酒、自分の嗜好志向

目線、視野の変化が時系列で分かって、やっぱりちょっと代わりのない記録媒体だな~と・・・・。


昨年末に50歳となり、一つの節目として、20周年キャンペーンで落語の三題噺みたいに出されたお題をきっかけにw、

ブログを再開することにしました。


今後どういう形でアップしていくかはまったく未定でw、とりあえず動きながら考えようかなと思っています。

今更「ブログ映え」を狙って「リア充~っ!」を叫ぶ気もないですしw、もの分かり良く丸く収まる気もないのは確かですねw



e0071319_21333294.jpg

(H30.1.18 早朝、鹿児島内之浦から打ち上げられたイプシロンロケット3号機の軌跡を、我が家の前から眺めた図。

 「ありゃなんやろかい?」「天変地妖の前触れじゃろか?」「UFO?」等々の問い合わせがあった、と地元紙が報道してましたw)



さて、エキサイトブログからのお題、
あなたの人生の三つの坂

上がり坂:嬉しかったことや楽しかったこと

下り坂:辛かったことや悲しかったこと、悔しかったこと

まさか:驚いたこと



結論からいきますと、あの徳川家康ではありませんがw、あえて「坂道」で表現すれば、「上がり坂」の途上という感覚が強くて、

これまでに嬉しいことや楽しいこと、辛いこと、悲しいこと、悔しいことも色々あったな~、という感じです。

「感情」「気分」と人生の「上がり坂」「下り坂」に、直接的な因果関係をあまり感じないというか、感覚的になじまないんでしょうね。


若い頃から折に触れ、毀誉褒貶に一喜一憂してもしょうがないよ」と先輩達から教わってきた影響が大きいのかもしれませんが、

その過程で何を考えて、何をしようとしていたかが重要で、その過程を意地でもw無駄にせず、可能ならばその過程を楽しめれば

いいんじゃないかな、と。


自分では防げない、天災、ケガ、病気、最愛の人をなくす等、そういう局面では、辛さや悲しさが「下り坂」とリンクしやすいかもしれません。

これから確実に経験しそうなことも入っていますが、「人間は経験しないと感情は出てこない」といわれ、また「人の一生には反復的な面が多い」

ともいわれます。

「自然の道理」を知る、経験した人に聞く、人生の先輩に学ぶ、「人の歴史」を知ることで、なんとか乗り越えたいなと思っていますし、

また、その体験を誰かと共感することで、新たな「楽しみ」に繋がればいいな~、と思っています。

結局、楽観主義者なんでしょうねw 



アンケート等に「50歳」と記入する時、まだ「誰の歳や?」と思ってしまいますがw、以前読んだ本で、

「地球上の生物は、心臓が動く回数が大体決まっており、大きな生物ほどゆっくり動いて長生きし、小さな生物ほど速く動いて短命の傾向がある。

 人間は生物学的見地から見れば41.5歳が寿命で、昔の人が『人生五十年』としたのは妥当」(本川達雄著「人間にとって寿命とは何か」)

と知り、「50歳以降はオマケ、丸儲けみたいなもんか」と考えたりもしていますw



また、50歳になる前後、「四十にして惑わず、五十にして~」いう言葉がちょっと気になり出しw、古の中国の哲人や世間一般的wには、

50歳はどうあるべきと捉えているのかネットで調べてみたところ、「164MARKETING」というブログに「異説」を発見しました。

吾、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る

十五歳を「立志」、三十歳は「自立」、四十歳で「不惑」、五十歳は「知命」と呼び、これまで、三十で自立し、四十になれば迷いがなくなり、

ふらふら放浪せずに自分の生き方や行動に従い人生を生きてゆけて、五十に天命をさとり人生を全うする、と解釈されてきたが、

実は「惑」という字は孔子の時代には存在せず、音と形が似た「或」の字が本当ではないか、という説です。

「不惑」だと「惑わず」になるが、「不或」だと「区切らず」という意味になり、「四十にして区切らず」と解釈すべきで、

四十歳ぐらいになればある程度成果が出て、自分に自信もついて安定してくるが、新しい領域にチャレンジしていかなければいけない、

というメッセージだと。


自分に当てはめてみると、「不惑」でなく「不或」ならばw、大体この通りに人生を歩んできているのが、ちょっと不思議ですw

東洋の知恵、経験則、経験智、なんでしょうかね。

高校3年間受験勉強そっちのけでw興味の向くまま300冊以上本を濫読したり、30過ぎて21世紀になったのを良い機会と

営業職に転身したり(勿論、現状と先を見て、その時点でベターと判断して)、40過ぎて4年半ほど在籍していた「天然」ブラック企業を辞め、

「当面サラリーマンはいいや」と1年ほどFXをやったりと(おかげで相場観と経済知識を得、一方で「自分」と向き合う時間にもなり、

「3.11」絡みで「カジノ資本主義」の本質も垣間見、それを機会に「社会復帰」しました)。



「教員を10年やったら社会復帰出来ない」と言ったのは作家の 城山三郎 ですがw、前記の企業に在籍中、ある先輩から、

「気を付けんと、営業を10年以上やってたらバカになるぞ~」と聞きましたw 

目先の数字、必要に迫られること、後は遊ぶことしか考えなくなる、という意味だったようでw、思い当ることもあったのでw、

長期の出張中に読書の習慣を取り戻しました。


このブログを通じて知り合った 立ち呑みHAKUDOUさんから 藤沢周平 を教えて頂き、15、6年ぶりに小説の世界に引き込まれ、

そこから 池波正太郎隆慶一郎 に行き、そして 網野善彦 に出会いました。

高校時代、本田勝一の極限の民族三部作や「アメリカ合州国」他、川喜田二郎の著作等は読んでいて、文化人類学的な見方、相対観が

身に付いていたようで、多分初めて読む社会史(民衆史)でしたがすんなり入れて、かなりのインパクトを受けました。

「聖徳太子は『日本』人ではない」「百姓は『農民』ではない」等々、挙げ出したらキリがなさそうですがw

おかげ様で、日本の中世社会史だけでなく、考古学、近世文化・社会・人口史、民俗学にも興味は広がり、現在に至っています。


網野善彦氏や城山三郎氏など、1927年昭和2年)前後生まれの方々には、相当影響を受けているな~と自覚しています。

この年代の方々から受けた大きな影響の一つが「史観」、「民衆史観」ですね。

どこから歴史を見るか、です。


この1927年前後に生まれた人達には、いろんな意味で世の中に大きな影響を与えている人が多い印象もあります。

1926年(大正15年~昭和元年)―渡邉恒雄、フィデル・A・カストロ、ジョン・コルトレーン、チャック・ベリー、祖父江孝男、植木等

1927年(昭和2年)―バーノン・スミス、石牟礼道子、サミュエル・P・ハンティントン、吉村昭、城山三郎、緒方貞子、藤沢周平

1928年(昭和3年)―池田大作、網野善彦、渥美清、ジェームズ・ワトソン、ポル・ポト、チェ・ゲバラ、森浩一、A・ウォーホル、

            A・トフラー、土井たか子、A・N・チョムスキー



この歳になると、若い頃のように色々と指摘してくれる存在って、本当に少なくなってきます・・・・w

身近では唯一、嫁女が色々言ってくれますがw、「それは、結論出てたやろ?」とかw「今、それを言ってどんげなる?」w、

「(どの立場で)それを言えるや?」とついつい思ったりとw、なかなか素直に聴くのは難しいもので・・・・w

良い本を読む、良い人に会うことが、成長、共感、笑いwの機会となり、上がり坂だろうが下り坂だろうがw、

朗らかに生きていけるんじゃないかな~と感じています。



ちなみに、このブログを始めた2005年前後から、著作に接し刺激を頂いた作家、学者です。

加藤諦三、色川武大、藤沢周平、池波正太郎、隆慶一郎、松本清張、宮部みゆき、山本一力、城山三郎、K・ウォード、吉村昭、

網野善彦、沖浦和光、森浩一、田中圭一、川勝平太、田中優子、渡辺京二、三田村鴛魚、宮本常一、佐々木高明、白水智、

渡辺尚志、金子勝、宮崎学、佐野眞一、魚住昭、佐藤優、E・トッド、中島誠之助、青山二郎、北王路魯山人、加藤唐九郎



最後のお題「まさか」

まさか・・・・中2年経ってブログを再開するとは思ってもいなかったってとこですかねw

そういえば、警察関係が特殊詐欺撲滅ソングとして作った歌の題名が、「まさかの坂道」でしたw



また、今後ともよろしくお願い致します。


ショチクレ


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エキサイト20周年企画~あなたの人生の3つの坂


by syotikure | 2018-01-25 22:26 | 道端 | Trackback | Comments(0)

小林市PRビデオ第2弾! と、暮れのご挨拶(笑


長いことブログをご無沙汰しておりまして(笑、暮れも押し詰まり(笑、2ヶ月も穴を開けるのもどうかと思っていましたら(笑、
小林市のPRビデオ第2弾が出来たと知り(笑、前回に引き続きご紹介を・・・・(笑。



まあ確かに(笑、山の中で遭難してやっと助けが!それも神様!と思ったら、言ってる意味が全然分からない、というのは・・・・(笑。
相手が人間だったら、言葉は通じなくとも、人情、ホスピタリティ的なもので(笑、ボディランゲージで道案内とか、
緊急避難的な処置も期待出来るんでしょうが(笑、神様がどこまで「下情」に通じてるかとなると・・・・(笑。
日本の神様達って(笑、なんか結構気まぐれというか(笑、「DQN」なところ?(笑 感じますもんね(笑。


この動画を見ていてふと思い出したのが、最近ネット上の記事で読んだ、「翻訳語」の定義、認識のいい加減さ です(笑。

“Freedom” を「自由」と訳したのは福沢諭吉と言われていますが、元々「自由」は中世では勝手気ままに振る舞うというネガティブな
意味合いがあり、諭吉は相当躊躇したと言います。
“Freedom” には、「保護・規制の下での」という意味が、含まれているからだそうです。
「社会」という言葉も、近代に入って “Social” を翻訳して出来た「造語」で、漢字圏では普通に使われているという「共産主義」という
言葉も、実は近代の「日本製」とも言われており(笑。

この記事によると、キリスト教圏で “Spirit” (=精神) は、土をこねて作った人形に(創造主の)神がこれを吹き込んで人間が
出来たから崇高で、唯一神とのコミュニケーションを取る為のもの、という認識があるそうです。
この「精神」という言葉、実は明治期に “Spirit” を輸入(翻訳)する際にこさえた「造語」で(笑、日本古来から認識されてきた
言葉、概念ではない、と(笑。
キリスト教圏では意味が明確だが、日本で「精神」主義となると(笑、大概ワケのわかんない方向に行ってしまうのは、
この為ではないか、と(笑。
ちなみに、キリスト教圏での「精神修養」は、教会に行くことだそうです(笑。

あのラグビー日本代表の五郎丸選手が、TVで「メンタルは鍛えられない」と語っていましたが(笑、ラグビー日本代表の
メンタルコーチを務められていた、荒木香織氏の記事 もなかなか興味深いです。


「歴史の話」(網野善彦・鶴見俊輔 朝日選書)という本の中で、鶴見氏が、
「昔からの言葉、『村』『町』などには意味の年輪、重層性があり、歴史の中で意味が微妙に揺れている。
 明治期に翻訳で作られた言葉、学術語には、意味の重層性が全くない。『市民社会』『階級』等、切っても一つの意味しかない。
 翻訳前の元々の外国語も当然持っていたはずの重層性を、簡単に切り捨ててしまっている。
 意味・定義が固定されるので、官僚試験等の受験には適した言葉になるかもしれないが(笑、本来含んでいたはずの意味を汲み取れず、
 非常に単純化された認識しか持てなくなる恐れがある。
 ドイツに留学しカントやヘーゲルを勉強した人が帰国して『もはやドイツから学ぶことはない』と言い、東大で哲学を教えていた
 ケーベルがそれを聞いて呆れてしまい、日本で教えるのがイヤになった、という話が残っている(笑。
 これが、日本の近代の学問の問題だ。」
と語っています。


「精神」という言葉(笑、日常的に当たり前のように多用され(笑、非常に重要な概念だと思うんですが(笑、
最近では「スピリチュアル」やら「(スピリチュアル)パワー・スポット」やら(笑、増々ワケのわかんない言葉、概念が
増殖している感もあり・・・・(笑。
他にどんな言葉が、近代の翻訳でこさえた「造語」で(笑、本当の意味で共通「認識」されているのかと・・・・(笑。

価値観外交」等当たり前のように言われておりますが(笑、本当に「共有」出来てんのかどうも怪しく(笑、
お互い良いように「勘違い」してるだけなんじゃないの?という気もし・・・・(笑。
ま、人間関係自体、「勘違い」で成り立ってる面って確かにあり(笑、「国対国」の関係も、人間関係の延長線上にあるのは
間違いないかと・・・・(笑。


ここ7、8年、日本の考古学や中世史、近世の文化史、社会史、思想史、また民俗学等の本を読むことが多く、
教科書に載っていなかった「日本人」「日本社会」の実像に出会うこと度々で(笑、実に面白く、「立脚点」の確認を迫られることも
多いんですが(笑、一方で、近代以降との「断絶」も痛感しています。
何を得た代わりに、何を捨てたのか、何故、そうなったのか、と。


今年は、仕事の関係で今まで経験のなかった角度から「世間」を眺める機会に恵まれ(笑、
来年はますます面白くなりそうな気配です(笑。

どちら様も、良いお年をお迎えください。


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by syotikure | 2015-12-31 13:36 | 諸々 | Trackback | Comments(2)

思い返せば、改めて・・・・  ~ 「タブーの正体!」 「津波と原発」 ~


e0071319_20583868.jpg我が家のある都城では、40km以上離れた桜島の噴火に由る 空振 が、毎日のように続いています。
こうも続くと、さすがになんだか慣れっこにもなってきましたが(笑、ここ数日は南西の空から「ドドォーンッ!!」という大きな爆音も聞こえ始め、近所の犬たちが鳴き騒ぐようになり・・・・。

新燃岳噴火の記憶も新しいので、桜島周辺の人達は大変だろうなと同情しつつ、「天災」にどう備えるか改めて考える機会になっています。



最近、たまたまこの2冊の本を続けて読み、非常に印象に残ったのでご紹介を・・・・。

〇川端幹人著 「タブーの正体!」

現在休刊中の雑誌「噂の真相」の元副編集長である著者が、マスコミ(TV、大メディア)ではますますタブーが増殖していると指摘し、
本来の文化人類学的な意味からかけ離れた、昨今のマスコミで認識されている「タブー」が「何故、タブーになったのか」を、
「暴力の恐怖」 「権力の恐怖」「経済の恐怖」の3章に分け、暴力を含めた物理的妨害、イメージ、恣意捜査や税務調査、経済的理由
(大手芸能プロダクション所属の芸能人のスキャンダルや批判は出演交渉に響くので書けない、広告主への批判は書けない、
関東地方では独占状態の東京電力が毎年日本で10数番目ぐらいの広告料を使っている等)などその根源を探り、
マスコミの自主規制の実態(何を報道して何を報道しないか)を明らかにし、それに対処する方法を書いています。

「噂の真相」元編集長・岡留安則氏は、隣の鹿児島県出身で都城の泉ヶ丘高校出身ということもあって親しみがあり、
著作やHPをよく読んでいましたが、もう一人の「当事者」である川端氏の著作も、興味深くて一気に読んでしまいました。


〇佐野眞一著「津波と原発」

第一部「日本人と大津波」では、ノンフィクション作家である著者が、
「被災者はあまりにも激甚な災害に『言葉を失った』。その沈黙を伝えるには“大文字”の論評ではなく、
 ディテールを丹念に積み上げて“小文字”で語るノンフィクションしかない。」
と、震災の1週間後に被災地へ入り、直接その目に映りこんだ惨状と、取材した被災者の肉声を記しています。

第二部「原発街道を往く」では、福島原発の事故発覚後、「官製」情報や御用学者の「大丈夫」解説を流し続ける
「お行儀のよい」大メディアを尻目に、逮捕覚悟で立ち入り禁止区域へ入り込み(もちろんフル装備)、「被害を受けた」現場を
その目で見、「被害者」に直接取材しています。
3月12日の朝、原発を撮影するヘリコプターからのデータを受信する為に、パラボラアンテナの設置に来ていた福島県警の通信部隊と
偶然出会い、「今回の原発事故は重大で深刻だから国はデータを隠しているが、私らには撤収して帰れって命令が来たので、
あなたも逃げた方がいいですよ」と教えてもらい、危うく逃げることが出来た牧場主の話など、埋もれていた事実を掘り起こしています。

更に「原発ジプシー」と呼ばれる下請け作業員の実態として、事故直後日給が20万円以上に跳ね上がったこと、
元請け会社によっては作業員の許容被ばく量が違う!こと、なども取材によって明らかにされています。
また、「原子力の父」と呼ばれる元読売新聞社社長・正力松太郎とその取り巻きが、何故、どのようにして原発を日本に導入したか、
さらに福島原発が建っている土地の所有者だった国土開発・堤康次郎や、国・県・町の議員達の動き、老獪な東電のやり口などを
詳細に描き出しています。

TVなどで何回も壮絶な映像を見せられ、地震の大きさ、被害の甚大さを少しは解かったつもりでいたんですが、
被災者・被害者を個々に取材して得た事実や背景・経緯・歴史等を読むと、沖縄の基地問題にも通じる戦後の構造的な歪みも
見えてきました。

印象に残ったことの一つに、原発誘致を推進した地元の政治家達が、取材に対して、
「『安全だ』と東電に言われたから誘致したんだ。私も騙されたんだ。」
と答えていたことがあります。
「『私も騙されたんだ』と言えば、被害者面すれば、罪を免れると思っている人が多いようだが、騙された方も騙した方と同罪である」
と終戦後すぐに書いたエッセイの中で断じたのは、映画監督の伊丹万作氏(伊丹十三氏の父)でした。


「津波と原発」第一部の最後の方に、
「3.11以降日本は変わった。いや変わらなければならない。」
という文があり、確かに自分も、3.11以降心境の変化が起きて、行動が変わっていったことを改めて思い出しました。
「忘れっぽい日本人」の一人であることを痛感しつつ(苦笑、改めて、したいこと、出来ること、すべきことを、
どんどんやっていかにゃいかんな~、と思った次第です。


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by syotikure | 2012-01-23 21:18 | 趣味(その他) | Trackback | Comments(0)

誰の意志?  ~ 「クラウゼヴィッツの暗号文」 ~


この連休、お盆休みに持ってくのを忘れていたお中元を、おそまきながら両実家に無事搬送し(笑、
その後は特に予定もなかった為、久しぶりに古本屋へ・・・・。
学生の頃などはよく出入りしていましたが、最近とんと足が遠のいてまして・・・・。

書棚でたまたま目に留まったのが、この広瀬隆著「クラウゼヴィッツの暗号文」です。
広瀬氏の著作は、学生の頃に「東京に原発を!」や「ジョン・ウェインはなぜ死んだか」を読んで以来で、
あの頃は色々と考えさせられました。

e0071319_131629.jpgプロイセン(ドイツの前身)の軍人だったクラウゼヴィッツの著作「戦争論」は、世界的に有名な古典で、戦争をオブラートに包む事なく簡潔に説明していて、各国の士官学校でも教材として使われているようです。
私も、学生時代に古本屋で購入した記憶がありますが、未読のままどこかにいってしまったようで・・・・(笑。
この「戦争論」、実は著者の死後に妻と協力者達が遺稿をまとめて発刊した未完の書で、広瀬氏は未完部分を埋めるものとして、著者が触れなかった「人はなぜ戦争するのか・・・・」という大命題への答えを、この「クラウゼヴィッツの暗号文」の中で解き明かそうとしています。

この本には、資料として1945年8月15日から1991年(発刊当時)までに起きた戦争・内乱・暗殺が編年で書き込まれた世界地図があり、
その発生件数の多さと内容の残虐さには、とにかく驚かされます。
また別の地図では、その間戦争に突入していない国々が「白抜き」になっていましたが、
ヨーロッパではスカンジナビア半島のノルウェー、スウェーデン、フィンランドとデンマーク、アイスランド、スイスなどの国々で、
アフリカではリベリア1国のみ、アジアではブータンと日本の2ヶ国だけ、南北アメリカに至ってはゼロ、「真っ黒」というのが現実です・・・・。
軍備増強の理由に「抑止力」という言葉がよく使われますが、広瀬氏は抑止力が働くのは核兵器(Atomic)同士の戦争だけで、
B(Bio―生物兵器)、C(Chemical―化学兵器)、D(Dynamite―火薬兵器)、E(Edge―刃物兵器)の戦争にはまったく働いていない、
とその虚偽・欺瞞を突いています。そのことは、資料で十分過ぎるぐらい証明されていると思います。

巻末で、「戦争論」の未完部分を埋めるべき「人はなぜ戦争するのか・・・・」という問いに対する答えとして、
いみじくもクラウゼヴィッツ自身が「戦争論」の冒頭部分で「戦争は、決闘以外の何ものでもない」と書いているように、
それは「個人的意志」だ、という結論を導き出しています。
戦争は、逃れられない「人間の性(さが)」などではなく、敵を創作せずにはいられない者達(広瀬氏はクラウゼヴィッツ人と呼ぶ)の
戦争をめざす “意志”だ
、と。
「第2次大戦後の47年戦争史とは、47年扇動史だったと言ってもよい」とまで書いています。
高校生の頃に読んだ、あるジャーナリストの本に、
「『戦争は悪』だけでは本質が見えない。『戦争を画策し実行する者が悪』という認識を持たなければ、また同じことを繰り返させる」
と書かれてあったのを思い出しました・・・・。

クラウゼヴィッツと同時代を生きたベートーヴェンは、第三交響曲“英雄”をナポレオンに捧げ、第九交響曲合唱でシラーの詩を称揚したが、
ベトナム反戦運動に大きな影響を与えたジョン・レノンは、“ロール・オーバー・ベートーヴェン”(ベートーヴェンを踏みつぶせ)を熱唱し、
ベートーヴェンの“月光”を逆に演奏しながら“ビコーズ”という曲を作った、という小エピソードも印象に残りました。

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by syotikure | 2010-09-20 01:30 | 趣味(その他) | Trackback | Comments(0)

「百姓遺産」


ある人から、今の中学校の授業では「士農工商」の身分制度は教えてない(「武士・町人・百姓」に分け、「町人」と「百姓」の間に上下は無く、
あくまで居住地域での分類)、ということを聞き、面白そうだったので色々と本を読んでみると、私が中学・高校時代の頃とは隔世の感があり・・・・(笑。

私の父は教科書に墨を塗った世代で、墨を塗る前の歴史の授業は「その時、大楠公は~」だったそうで、
「戦後復員してきた先生で『飛鳥時代』を『ひちょうじだい』と教えた人がいて、後になって訂正されたことがある」
と言ってました(笑。
そこまで劇的な変化ではないにしろ(笑、近世史の研究は今までの「常識」を覆しながら進んでいるようです。


e0071319_22565564.jpg「江戸時代は『鎖国』していて、人口の8割9割が『百姓(農民)』の農業国『瑞穂の国』だった。それを『御一新』で明治政府が欧米列強に対抗できるように工業化し、『脱亜入欧』させた」
という通説、実は明治政府のプロパガンダの影響が強いようです。
太平洋戦争の敗戦の責任を、徳川幕府の「鎖国」政策におっ被せた、和辻哲郎著「鎖国 日本の悲劇」の影響も大きいようで(笑。

いわゆる「鎖国」は、貿易窓口を徳川幕府に1本化した「貿易統制」に過ぎず(「抜け荷」《密貿易》で稼いでいた藩もあったようですが 笑)、宣教師を尖兵とした植民地主義国との摩擦を避け(豊臣秀吉がキリスト教を禁じたのは、信者が教会に土地を寄進し始めた事への危機感からでした)、金銀の国外流出を減らす為に諸々の商品(陶磁器や「嶋」《縞》に代表される織物、砂糖他)を国産化していった「保護貿易」、と見てもいいようです。

実際の「百姓」人口内の比率も、農業メインで食っていたのは多くても4~5割ぐらいで、商人(卸・販売)や職人(多種多様な技術者)、
海洋民(漁業・製塩業・回漕業)、今でいう運輸・サービス業(飛脚・駕籠かき・馬子・旅籠・茶屋他)などが占める割合も多かったようで、
また地域によっては稲作よりも商品作物(蚕用の桑や綿花など)の栽培の方が多かった、という例もあります。

幕末期は、当時の欧米諸国と比較しても非常に識字率が高く(県によって相当な差はあるが、
18世紀末から寺子屋や私塾が各地に激増した為、かなりの比率の「町人」「百姓」が読み書き出来た)、
安定の中で家内制手工業が発達して職人達の技術も高くなり、市場経済や流通システムも発達していて
(既に中世には世界で最初の信用為替制度が出来ていて、江戸時代の「経済用語」は今でも使われている)、
また全国共通の公用語(日本流の漢文書き下し、文語)が普及していて、正確な情報伝達が出来たことなどが、
明治以降の急速な工業化の基盤になっていました。

オランダの東インド会社等から海外の情報は入ってきてましたので、要は、イギリスに産業革命をもたらした蒸気機関(動力)や、
細菌学などの「現物」が無かっただけだった、と。
幕末期、現物を見ただけで蒸気機関の可動模型をこさえた人がいたぐらいですから(笑、知識と技術レベルは相当高かったようです。


田中圭一著「村からみた日本史」によると、江戸時代の「百姓」には、元々の単語の意味(一般庶民)のままに
縮(ちぢみ)を織る技術者、宿屋の経営者、酒造家、宮大工や左官などの職人が含まれていたが、
儒教(朱子学)の農本主義の支配者層には「農間稼ぎ」「農閑期の出稼ぎ」としか見えなかった、見ようとしなかった、ようです。
特定産物以外は無税だったこともありますが、残っている「百姓」の経営台帳を調べると、
どっちが「本業」か「副業」か判らない例が多々あるようで・・・・。
今でいえば、「家庭菜園」などである程度「自給自足」しているサラリーマンまで「百姓」(農民)に入れた、というところでしょうか(笑。

米どころ・越後で、「百姓」が高く売れる商品を作って、市場で売っていた一例です。

天保4年「塩沢組五八ヶ村、他方出入金調書上帳」
収入 縮代(縮織りの反物を売った代金)  11,000両
   宿料(塩沢、湯沢などの宿場の宿賃)  1,300両
   出し米(米を売った代金)         612両
   絹糸                   510両

「それにしても、百姓の経営台帳を実際に見たことのある学者が、今までにどれだけいたのか」
と著者は呆れています。
越後では、公式帳簿「検地帳」の倍以上の収穫があり、それに約36%の年貢が課せられていたので、
結果実質の年貢(税率)は約18%だったそうで。
現在のサラリーマンと比べると、これが重い年貢(税金)と言えるのかどうか・・・・(笑。

また、収穫した米は地主と小作人で折半していた例が多く、年貢は地主が払っていたので、昔教科書で習ったような、
「生かさず殺さず」搾取された、食うや食わずの小作人の姿は、飢饉などの非常時を除いてはあり得なかった、と。
そう思わせていた「百姓」側がしたたかだった、ということになりますか(笑。

e0071319_0272681.jpg網野善彦著「古文書返却の旅」では、能登・輪島の旧家から発見された手習いの手本(子供の字の練習見本)で、飢饉で困窮した時の訴状が文章例になっていたと紹介されています。
手本には年号が書いてあり、その年には飢饉の記録がなかったので「手本」だと分かったそうで、きちっと史料批判をしていかないと研究者も騙される、と書かれていました(笑。

また、能登のような「半島」は、陸上交通が盛んな時代(近代以降)は「陸の孤島」「交通の便が悪い所」と見られがちですが、海上交通が盛んな時代(近世以前)には大きな港が栄えていた所があり、輪島もその一つだそうです。
江戸期の「公的」区分では、江戸や京都、大阪、その他の城下「町」以外は、どんなに賑わっていても「村」扱いで、農地を持たない、否持つ必要のない「(無高の)水呑百姓」達が、商業や海運業で財を成していたことが史料で確認されています。

時に「百姓」は、「越訴(えっそ、おっそ)」「一揆」「逃散(ちょうさん)」という手段を取っていました。
現場の役人の横暴や約定違反があれば、直接「責任者」に訴え出て(越訴)、
それでも埒があかなければ、集団抗議(一揆)や逃亡(逃散)を行いました。

宮崎県内でも、元島原藩主有馬直純の嫡子・清澄が転封されて支配していた県(あがた)藩領臼杵郡山陰(やまげ)村・坪谷村で、
元禄3年(1690年)代官の理不尽さに憤った農民1400人余りが逃散一揆をおこして高鍋藩領に逃げ込み、
両藩の交渉・説得に農民達が納得しないまま時が過ぎ、約10ヶ月後幕府が直接裁断を下し、
逃散の中心的メンバー20数名が処罰されましたが、残りの農民達はお咎め無しで帰ることが出来、
有馬氏は越後国(新潟県)糸魚川に飛ばされました。

その後、県藩は延岡藩と改称され譜代大名が治めるようになり、また色んな意味(交通の要衝等)で主要な県内23ヶ村が
天領(幕府直轄地)となり、延岡・高鍋・佐土原・飫肥・薩摩各藩の間をぬって点在することになりました。

私の実家がある清武町(現宮崎市)にも、この「山陰逃散一揆」の影響で天領になった地域があります。
その後、一時期薩摩筋の支配になったようですが、支配から外れた後(多分、宮崎県が分県した時)、
再度名字の「元」の字を「本」の字に戻した「百姓」がいたとか・・・・(笑。
それにしても、沖縄でもそうですが、強権で名字を変えさせるというのは、何なんでしょうかね(笑。

ま、Wikipedia を見てみると、宮崎県が鹿児島県から「分県」した理由は、
「西南戦争後、鹿児島県が薩摩・大隈の復興を優先したことへの反感」と
「鹿児島県による宮崎支庁への支出が、徴収される地方税よりも少ないという悲憤」があったようで、
沖縄に対するのと同じような「帝国主義」に、それまで諸藩分立で一体感のなかった日向国の善男善女「芋がらぼくと」「日向かぼちゃ」達が、
「共通の敵」を見出して一致団結したもののようで(笑。
ちなみに、宮崎県の分県運動で中心的な役割を果たしたのは、清武町出身の川越進という人だったそうです。
余計な話になりましたが(笑、こういう「地域史」もなかなかに面白く・・・・(笑。


色々と読んで気付いたことは、私らが習ってきた「江戸時代」は、「お触書」という「公文書」を中心に検証していて、
講談師の語る百姓一揆の「義民物語」や、E・H・ノーマン著「日本における近代国家の成立」(1940年執筆、1953年日本で刊行)
などの影響も、かなり受けていたということで・・・・。
「お触書」も貴重な史料には違いないんですが、「百姓」(一般民衆)の史料も同時に見ていかないと、
どうやって「百姓」が生きていたか、本当の姿が見えてきません。
「お触書」(政策)が出たから世の中が動いたのではなく、「百姓」「町人」が動いたから世の中が動いて対症療法的に「お触書」が出た、
ということを見落としてしまいます。
また、「権力」があったから「社会」が存在したのではなく、「社会」があったからある一定の条件の元に「権力」が存在し得た、
という見方も抜けてしまいます。
この辺り、同じ「権力」に何百年も支配されてきた地域の人達には、なかなかピンとこないかもしれませんが・・・・(笑。


e0071319_044975.jpg天領と諸藩領では年貢も違い(天領は四公六民~五公五民、諸藩の中には八公二民!もあった)、年貢が重く厳しい生活を強いられても一揆や逃散が起こらなかった藩があれば(「郷士」という士分の支配者層が農村に常駐し監視していた等)、比較的裕福でも一揆や「百姓の流失」(出稼ぎや海民の移動等)が起こった藩もあり、寺子屋が100以上あった藩もあればひとケタしかなかった藩もあって、一括りに「江戸時代はこうだった」とは言い切れない多様さがあります。


そこで、それぞれの「地域史」が重要になってきます。

各地域の「百姓」史料が研究されれば、政治状況(天領、諸藩領)や生活環境(漁村、山村、農村、城下町、港町、宿場町他)ごとの、「百姓」達の様々な暮らしぶりや豊かな繋がり、築いてきた「文化的遺産」も見えてくると思います。

渡辺京二著「逝きし世の面影」では、幕末期に江戸を訪れた欧米人達の残した記録から、
とにかく闊達で冗談を言ってはよく笑い、人への気遣い・思い遣りも備えた、機嫌のいい民衆が多かったことが紹介されています。
その理由として、貧乏でも物価が安いのでとりあえず食えて、働き手のいない世帯(独居老人や障害者、寡婦)には相互扶助が働き、
身分や立場の差はあっても「所詮は同じ人間」という平等感・信頼感があったからではないか、と。
当時の、工業化した欧米各国の都市部では既に見られていた、劣悪で不潔な環境に住み、過酷な労働の疲弊から来る「無気力」と、
数少ない「娯楽」(酒とSEX)に耽る「退廃」に陥った貧困層は見当たらなかったそうで。
「貧乏はあっても貧困はない」社会だったと。
ほとんどの人々が「地域」や「職業」に属していて、「分断され孤立した個人」はごく少なかった、ということでしょうか。

また、何故百万都市・江戸は、現在から見れば考えられない程少数の与力・同心(と岡っ引き)だけで治安が保てたか、
それは地域社会・組織が、軽微な犯罪・紛争は自分達で処理・解決する「慣習」があったので
「お上の手を煩わさなかった」、逆に言えば「介入させなかった」からだと。

江戸の町には、来日した外国人が「買い物熱に浮かされてしまう」と嘆くほど、
熟練した技術とセンスを感じさせる商品を売る店々(桶屋、籠屋、瀬戸物屋、小間物屋、骨董屋、他)が並び、
庶民の生活必需品を売る店々(古着屋、八百屋、魚屋、下駄屋、草鞋屋、酒屋、他)が軒を連ね、
大道芸人達が辻に立ち、文字焼屋や飴屋に子供が群がり、盲目の按摩が笛を吹きながら杖をついて歩き、
また多種多様な行商人達が道を行きかっていたようです。
中には「羅宇屋(らうや)」といって、煙管(きせる)の掃除や修理の専門もいたそうで、
それでそこそこ食えたというのもすごいところです(笑。
当時の他の国の都市とは比較にならないほど、多種多様で豊かな町の様子を、「雑多と充溢」と表現した外国人がいたそうで・・・・。


前掲の「村からみた日本史」のあとがきに、
「中央集権的な『国家史観』では、常に過去の政治権力を否定的に見るだけで、『悪いのは過去の支配者』と現支配者は取り繕い、
民衆は常に被害者面して歴史の担い手としての責任を負わない」
という意味のことが書かれていました。
「歴史」に対する「無責任」が、江戸期に「全国津々浦々」「百姓・町人(一般民衆)」が築いた「豊かな文化や偉業」を知ろうとも、
意味を理解しようともせず、明治維新以来の欧米諸国への劣等感、その反動としての「傲慢さ」に繋がっている、と。
紙芝居や講談もどきの「英雄史観」を、鵜呑みにしてしまう脆さ、にも繋がっているように思えます・・・・。

サッカー日本代表の前監督であるイビチャ・オシム氏は以前、
「日本の選手は、誰も責任を取ろうとはしない」
とインタビューで語っていましたが(笑、日本の「無責任」は植木等から始まったんじゃないですよ(笑、
100年以上の年季が入ってるんですよ、と教えたら、オシム氏は何と言うでしょうか・・・・(笑。


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by syotikure | 2010-06-26 00:48 | 趣味(その他) | Trackback | Comments(0)

近くて遠い、江戸


e0071319_2084863.jpg何の写真や?とお思いでしょう(笑。
ご覧のとおりの、十手です(笑。

某ショッピングサイトに期間限定ポイントというのがあり、何に使おうか考えていたところ、たまたまこの十手が目に入り・・・・(笑。
赤・紫・白・黒の4色から房の色が選べて、今回黒をチョイスしてみました。(笑。
長さ約40cm、重さ約400gで、そこそこ重量感があり、肩を叩くのにも便利です(笑。

身近に治安悪化を感じたという訳でもないのですが(笑、よく考えてみるとウチには「用心棒」の類(バットや木刀など)が何もなく、とりあえずは何か置いといた方がいいかなと・・・・。
室内で使うとなると、鴨居や電灯があり、また大立ち回りが出来るような広さもないので、まあこれが実用的・・・・?かと(笑。

十手といえば岡っ引きのシンボル、銭型平次など「正義の味方」というイメージがありますが、
人口に対して同心(今の警官)の人数が全然足りず、「そっち方面」の者を「岡っ引き」(情報屋、下働き)として私的に雇うことが多かった為、
職務上知り得た情報で金を脅し取る輩が出てきたりして、評判はあまりよくなかった、と書いている作家もいます(笑。
最近、TVで捕物時代劇が少ないように感じるのも、何かその辺が視聴率的に関係してるのかも・・・・(笑。

捕物小説、実はあまり読んでないんですが、藤沢周平の彫師伊之助シリーズ(「消えた女」「漆黒の霧の中で」「ささやく河」)は好きですね。
あるヘビーな事情で岡っ引き稼業から足を洗い、木版画(浮世絵や書籍)の雇われ彫師として日々を送っている伊之助が、
昔の義理や人情、しがらみから事件に引っ張り込まれて、時には昼の本業をすっぽかして親方に怒鳴られ、
また十手を持たない徒手空拳の身で危ない目にも遭いながらも、ついには真相を明らかにするという、
ごく「日本的」な「ハードボイルド」小説です。

コナン・ドイルのシャーロック・ホームズに刺激を受けた新歌舞伎の劇作家・岡本綺堂が、大正5年(1916年)に書いた「半七捕物帳」、
これが捕物小説の嚆矢といわれています。
明治5年(1872年)東京・高輪に生まれ、その後、麹町で育ったという綺堂。
その頃は、まだまだ江戸の風景や風情が残っていたと想像されます。
実際にそれらを見、匂いを嗅いだ作家が書いた作品、いつか読んでみたいと思っています。

江戸期の実際の姿は、明治政府のプロパガンダなどで曲解されていることが多く(「士・農・工・商」の身分制度はなかったこと、
問題が多くて未だに法務局が厳重管理し閲覧不能になっている「壬申戸籍」(明治5年作成)では百姓(農民)身分が多過ぎること、
「鎖国」は貿易統制に過ぎなかったことなどなど)、実はまだ判っていないことが多いようです。
それ以前の古代史や中世史と比べ、圧倒的に文献資料が多過ぎて整理・研究が追いつかないところもあるようですが、
今後の近世史の研究にますます期待したいところです。

ま、それにしても、十手のグリップって、どうも手に馴染みませんね~(笑。
ものの本によると、指を切られる恐れがあるので、鈎(かぎ)から指2本分ぐらい空けて、柄を握るのがよいのだそうですが、
長脇差やダンビラ相手に大立ち回り・・・・はまずあり得ないシチュエーションで・・・・(笑。
相手の攻撃をかわして懐に飛び込み、重量の軽さをカバーする為に遠心力を利かせながら武器を持ってる利き手を打ち、
しびれさせといてから「お縄」にするんだそうで・・・・。
う~ん・・・・(笑。

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by syotikure | 2010-05-29 20:46 | 趣味(その他) | Trackback | Comments(0)

開かれた海  「ちんぐ」「ちんぐ 黒麹仕込み」


最近、網野善彦氏の著作にハマっております。
その流れで、宮本常一著「忘れられた日本人」も知り・・・・。

日本を、海に囲まれて「閉ざされた」島国と見るのか、
大海原に「開かれた」海洋国と見るのかでは、
歴史認識に大きな違いが出てくると思います。

海洋民や海賊には以前から興味があり、ある県北の取引先の方が、
「うちの社長一族は元々海賊で、祭の時やらは小銭がギッシリ詰まった甕を門前に置いて、みんなに好きに持って行かせよったげなです」
と笑いながら仰られていたことが、妙に印象に残っていまして・・・・。

この休み、久しぶりに珍しい焼酎でも飲もうかと開けたのが、壱岐の焼酎「ちんぐ」と「ちんぐ 黒麹仕込み
蒸留酒の日本への伝来には大きく二説あるようで、そのうちの一つ、朝鮮半島伝来説の本家の焼酎です。
海洋民繋がりで、琉球(ベトナム製)のショットグラスで味わうことに・・・・。
ちんぐ」の方は、常圧と減圧のブレンドですっきりとした飲み口。
ちんぐ 黒麹仕込み」の方は、常圧で麦の香ばしさと甘みがストレートに味わえます。
下戸の嫁女評は、「黒麹の方が甘みがあって飲みやしいね」ということでした。

e0071319_227174.jpg

網野氏の著作によると、「日本」という国号を空から降ってきたかのように当たり前に使っているが、
689年に施行された飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)から始まったというのが大方の学者の見解で、
対外的にもそれまでの「倭国」から「日本国」に切り替えたそうです。
そもそも「日本」という名前自体、「太陽の昇る東側の国」という「中国目線」なのでは?ということで(笑。
本日の「建国記念日」も、戦前の紀元節、神武天皇即位の日という「神話」が元で、
学術的には何の根拠も無い、ということでした(笑。

バブル期に遷都論が起こって、いくつかの都市の首長が手を上げたら、京の都に住む大アルコールメーカーの会長が、
「東北には熊襲が住んでいる。そんなところを首都には出来ない」
と言って、東北の人達にそのメーカーの商品が総スカンを食らったというのは有名な話ですが(笑、
どこの「立ち位置」から見るかによって、史観は大きく変わります。
大体「熊襲」は南九州の住人ですし、この会長の「辺境」への認識もそのレベルだったのでしょう(笑。
ま、「日本」という国号が出来た頃は、東北と南九州は「日本国」の内ではなかったそうですので、
この会長の認識は1,300年前のまま止まっていたのかもしれませんが・・・・(笑。

網野氏は、明治維新前後に活発に動いた「薩・長・土・肥」は、密貿易(あくまで徳川幕府目線での、ですが 笑)で力を蓄えた国々ではないか、と書いています。

日向の海洋民は、伊予の河野水軍や肥前の松浦党と関係があるそうですので、
韓国語で「親友」という意味の「ちんぐ」を飲みながら、
もしかしたら先祖も漕ぎ出していたかもしれない海の彼方に、
また海洋民の来し方に、思いをはせてみたいと思います・・・・。
ま、私の先祖は、判る範囲では「百姓」の「農人」でしたので、あまり関係ないかもしれませんが・・・・(笑。
by syotikure | 2010-02-11 23:45 | 焼酎・酒 | Trackback | Comments(0)

多様性の強さ  「閉塞経済」


e0071319_8565317.jpgちょっと春めいてきた今日この頃、昼から眠くなってきます・・・・(笑。

春といえば、いよいよ今春から、「裁判員制度」が始まるようです。

ちょっと疑問に思うのは、
国民の理解しやすい納得のいく裁判
を目指すという名分で、「司法」への「一般国民(刑法のアマチュア)」の直接参加が義務付けられているということです。
それだったら、
国民の理解しやすい納得のいく政治
を目指して、「政治員」とかいう立場で「行政・立法」への「一般国民」の直接参加、というのもアリなんじゃないかと・・・・(笑。

「代議員制自体が国民の政治参加であり、国民主権、民主主義そのものじゃないか!」
と言われそうですが、今の小選挙区制などを見ていると、選挙で選ばれる前に「選ばれる」必要があり・・・・。
親分」の覚えよろしくなければ、選んでもらえないという・・・・。
裸一貫打って出たとしても、「地盤・看板・カバン」や「政・財・官界の人脈」、「知名度」がないと、当選する可能性は極端に低く・・・・。
決して私が選挙に出たいという話ではなく(笑、小選挙区制の問題点、「機会の不均等」の話です。


市場原理主義者も「機会の均等」には賛成でしょうから、
「あ、なんや手紙が来ちょったよ~」で、自治会の役員的に国政参加もアリかと・・・・(笑。
政治員制度」によって、財政や年金の現状、税金の適切な分配等、
官僚任せでない、行政・立法府が果たすべき責任・役割を国民が理解すれば、
選挙の度に顔色をうかがってアメを配る」必要もなく、
一貫した、スムーズな政策立案・実行ができるのではないかと思います。

また、代議員制が世界の民主主義の「グローバル・スタンダード」だとしても、
そもそも「プロ」でないと政治は出来ないの?という疑問もあり・・・・。
ちょいと前までの国会では、大臣への質問に官僚が答えてましたし(笑、
大臣本人が話す場合でも後ろの官僚からメモが差し入れされ・・・・(笑。
「政策のプロじゃなくてもいいんだ!別の意味の『プロ』だったら!!」
と言われそうですが・・・・(笑。

この「100年に1度」の不況を受け、国会議員の定数削減の話も出ているようで、
ある程度の割合を「政治員」が「代行」すれば、
その「政治員」の本業の休職期間中の給料を国が全額負担したとしても、
かなりの「人件費のコスト削減」に繋がるはず・・・・。

どうも抵抗があるという方は、「派遣社員」みたいなものと考えて頂ければ・・・・(笑。
規制緩和!」「自由化!」「大きな政府から小さな政府へ!」という、錦の御旗にもかなうことうけあいです(笑。
ただ、派遣社員にした場合、「このウマシカ野郎!」「ウマシカ野郎とは何だ!?」で
急に「ウマシカ野郎?解散」になった時、通知無しでいきなりの「派遣切り」になる危険性がありますが・・・・(笑。

ま、「政治員制度」の実現の可能性、どんなものでしょうか・・・・?(笑。


さて、すっかり長くなってしまい、横にいる嫁女がウンザリした顔をしていますので(笑、
表題の「閉塞経済」は、改頁してご紹介致します(笑。

More 改頁・・・・写真や絵はありません(笑
by syotikure | 2009-02-10 00:05 | 趣味(その他) | Trackback | Comments(2)