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春の夜更け


春の夜更け、などと意味深な題をつけましたがw、
久しぶりに一人で夜中、酒を飲んでいるとw、自然に音楽が聴きたくなってきます・・・・w


高校生の頃、ラジオから聴こえてきたこの曲を、聴いて以来の Steely Dan ファンです。
カバーでは、最近これがお気に入りですね。
演ってる人達が、誕生日を寿ぎながら、楽しんでいるのが伝わってきます。




"Gaucho"ピアノバージョン。
夜中に一人で酒飲んでw、こういう音楽を聴いてるだけで、なんや幸せ感に浸れます・・・・w




Steely Dan の一人、Donald Fagen のソロアルバム「ナイトフライ」の中の一曲。
こちらも、ピアノバージョンで。
酒が、すすみますw




スタジオミュージシャンとして「ナイトフライ」に参加していた Marcus Miller 。
20年ぐらい前に "Tales" から聴き始め、もはや替えの利かないミュージシャンの一人です。




ベースといえば忘れてはいけないのがこちら、カシオペア。世代ですな~w
高校の文化祭では、コピーバンドだらけだったような記憶がw
この曲が、一番好きですね。




こちらも忘れてはいけない、細野御大。
矢野顕子さんとのセッションでは、「恋は桃色」もいいです。




はっぴいえんど繋がりでw、大瀧御大と山下達郎氏がスタジオでセッションしている珍しい音源を。
この番組、中学か高校ぐらいの時に、夜中某FM局で流れていたのをリアルタイムで聴いた記憶があり・・・・。
これで、エヴァリー・ブラザースを知りました。
本当に、素晴らしいの一言です。



同じくはっぴいえんど繋がりでw、鈴木茂「砂の女」の達郎バージョン。

https://youtu.be/k8WfeBeNrDg

これは埋め込みが出来ないようですw、残念。


せっかくですのでw、達郎氏の "La La Means I Love You" を。




ナイアガラ繋がりでw、「幸せな結末」前川清バージョンを。
いいですね~。




こちらは、ご存知 "tsunami"の、前川バージョン。
あれ以来、桑田氏ご本人はこの曲を封印してしまったようですが、
また歌える時が来るのを待っているファンは多いでしょうね。
前川氏の "tsunami" も、素晴らしいです。




こういう感じで、歌える曲、歌い継がれそうな曲も、あるんですよね。
この曲を聴くと、今でも涙もろくなってきます。




薬師丸ひろ子といえば、個人的にはこれでしょうか。
CD音源の、達郎・まりや夫妻のコーラスもいいですね~。世代ですなw




こちらも、名曲です。
この頃は、いい曲が多かったな~
とか言い出すとw、歳を取った証拠、なんでしょうなw




なんか湿っぽくなってきましたのでw、最後は大瀧御大と高田文夫御大が、
同時代人として大いにパァーッとw「東京ビートルズ」を語り合われている貴重な音源をw


こういう先人達の奮闘努力、積み重ねが、間違いなくあったんですねw
はっぴいえんど(69~72年)から、80年代に「サビで英語をシャウトしない」w
「日本語ロック」の爆風スランプ等が出てきて、傍から渋谷陽一氏等も応援?してw、
90年代に見事「消化」しきったミスチルやスピッツ等が出現し、
今の日本の大衆音楽芸能シーンがあるんでしょう。
先人の方々の有形無形のご尽力に、感謝せずにはいられませんw


伝統芸能と思われがちな、現在のあの「漫才」も、実は「三河万歳」がルーツではなくて、
アメリカから入ってきた芸能を日本風に消化したもの、とある番組でビートたけし氏が語ってました。
録画してた「わろてんか」を夫婦で観ながらw、そんなことをふと思う今日この頃ですw


小さい春、みーつけた!


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by syotikure | 2018-02-26 01:53 | 趣味(その他) | Trackback | Comments(0)

~ わたしの好きな海外ドラマ ~ 「家族」


私の好きな海外ドラマ・・・・嫁女が「BONES(ボーンズ)」や「BURN NOTICE(バーン・ノーティス)」が好きで、

よくビデオを借りてきてたので、一緒に観ていましたね~。


簡単に説明すると、複雑な家庭環境で育った才媛の法人類学者が、殺人事件を解決しながら「人間性」も取り戻していく話とw、

CIAをクビになったスパイが、民間人として仕事を請け負いながら復職しようとする話ですw


BONES」、登場人物が奇人だらけながらw、ちょっとステレオタイプというかw単純過ぎるかな~と感じることが多くw、

個人的には小道具(骨、死体等w)のリアルさや、タマラ・テイラー演じるカミール・サローヤン所長の魅力で補われてる感じですねw

手塚治虫の漫画「どろろ」を、現代アメリカの法医学研究所を舞台に焼き直したらこうなる?という気もしますw


BURN NOTICE」は、スパイの過酷な日常設定、こちらも銃や爆弾等の小道具のリアルさw、モヒート大好きのサムw、

元IRAのフィーの魅力かな・・・・と。



ウチの嫁女は「HEROES(ヒーローズ)」も大好きで、BDを全巻持ってるようです。

超能力を持つ「能力者」達の群像劇ですね。

このドラマのメインは、サイコのサイラーが人間性を取り戻していく話だと思うんですが、チアリーダーのクレアが、いろんな事件に

巻き込まれつつも成長していき、最終的に「能力者」として胸を張って生きていこうとカミングアウトしちゃう話でもあり。


ただ、ヒロ・ナカムラの相棒、アンドウ・マサハシ君の名前w台詞の日本語のインチキ臭さw、

ヒロの親父・カイトのステレオタイプっぷりw、ハイチ人を名前で呼ばないアメリカ人の傲慢さ?がw、

どうも感情移入しづらいところか・・・・?とw



結局は、「X‐ファイル」になってしまいますw

わたしの好きな映画で、感じる魅力について書いていますので、これ以上は書きませんが、

上記のドラマも含め何故そのドラマが好きになったか考えてみると、

その理由として、感情移入できる登場人物がいる、そして、タイプの女性がいるw

この2点はどうも間違いないように思いますw




これらのアメリカ製ドラマを見ていると、本当にアメリカ人とその家庭って、色々大変なんだな~と感じますw 

まあ、日本人も似たようなものかもしれませんがw


近世文化史が専攻の法大総長・田中優子氏が、

「近世の人々の生き方を考えると、現代人は『エゴ肥大症』に罹っているんじゃないか?

 学生達が書いた履歴書の自己PRを読むと、書いていて自分で恥ずかしくならないの?と思える」

と書いていましたがw、アメリカ人はまさに、その代表選手のような印象がありますw

日本の学生の場合、「『マニュアル』を参考にして自己評価しなさい、そうしないと受からないよ」と

就職斡旋産業の大人達がそそのかすから書いてるだけでw、本気でそう思って書いてる子って少数派のように思いますがw、

ま、公私共にあまり若い子達と接する機会がないので、実態はよく分かりませんw


「エゴ肥大症」・・・・、仏典には「人間は(縁に触れて)1日に84万回心が変わる」とあり、

そんなもんにイチイチ全部付き合ってたら身が持たんやろ・・・・?個人的には思いますがw

そういえば、高校生の時分から「個性を出そう!」とか思ったことがなくw、

何かで「遺伝子レベルでは、みんなとっくに個性的」という一文を読みw、「ならいいやん」で済ませた記憶がありw

ま、こんな文章を連続でアップしてみたりとw、日本社会の中では逆にw、

かなり「個性的」な「マージナルマン(周縁の人)」として生きてきたのかもしれませんがw


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(愛媛県宇和島市 遊子水荷浦の段畑 本文とは直接関係ありません)


アメリカ製ドラマを観ていてふっと思い出すのが、フランスの家族人類学者、E・トッド氏の学説です。

トッド氏は歴史人口学者でもあり、世界各地の伝統的な農村の家族形態を8つに分類し、その分布を世界地図へ落とし込む

作業をしていたところ、偶然あることに気付きます。

ある家族形態が多く分布している地域は、ほとんどが社会主義国になっている、と。


それから、「それぞれの家族構造がいかなる気質、心性を産出するかを検討し、近現代のイデオロギー現象をもそれで説明できる」

「しかも共産主義や自由主義という現代的イデオロギーだけでなく、イスラム教やインドのカースト制といった伝統的文化ないし慣習も、

現代に存在し機能するイデオロギーとして捉えよう」(「世界像革命」より引用、以下も同じ)と学説を発表します。


家族形態8種類全てを挙げると相当長くなるのでw、日本人とフランス人、アングロサクソンの家族形態を挙げてみます。



まず日本人は、「直系家族」に分類されます。

ヨーロッパでは、ドイツ圏(オーストリア、スイスのドイツ語圏も)、スェーデンとノルウェーの大部分の他、西ヨーロッパでは

最大の分布を示し、アジアでは日本と朝鮮半島に分布しています。


「この家族型においては、子供のうち跡取りは成人し結婚したのちも親の家に残り、やがてすべての遺産を相続する。

 他の子どもは成人すると家を出て、(中略)他の場所で生活の道を見つけなければならない」


「この家族構造においては、親が子供に対して長い間、権威を揮うのであるから、親子関係は権威主義的であり、

 兄弟関係は不平等主義的である」


「この家族制度の下で生まれ育った者は、権威と不平等という価値を無意識のうちに内面化する。さらに兄弟は不平等で

 異なるものであるという確信は、人間とは不平等で異なるものであり、諸国民も不平等で異なるものであるとする、

 無意識の『先験的な形而上学的確信』へとつながる」

としています。


トッド氏は更に、「移民の運命」という著書の中で、何故ドイツ人がナチスを支持し、ユダヤ人大虐殺にまで至ったかを、

時代背景とこの家族制度で分析しています。


ジャーナリスト・魚住昭氏の「わき道をゆく」(現代ビジネスHP)第七十三回「アンネと難解な本の関係」から引用しますと、

「この家族システムが育むのは権威と不平等。人々は、人間は互いに平等ではなく、『差異』があると信じる価値観をすりこまれる。

 トッドの分析のキーワードはこの『差異』という言葉だ。

 トッドは、ドイツ型家族システムは『差異を作り出すけれども、差異を好みません。このシステムの中には一種根本的な矛盾が

 存在するのです』と述べている。

 根本的な矛盾とはどういうことか?

『兄弟間の差異化は無意識に対して、人間は互いに異なるものであり、分離されていなければならないと告げる。

 しかし父親の権威は無意識に対して、人間は何らかの中心的権力に従わねばならず、それゆえひとつにまとまっていなければ

 ならないという観念を押しつける。この根本的な矛盾が生み出す緊張は時として(中略)排除 ないし絶滅の差異主義(を生む)』

 つまりドイツの家族システムが育んだ無意識は、自ら作り出した差異に耐えきれなくなり、時にその対象を排除・抹殺しよう

 という衝動に駆られるというのである。

 トッドは、ナチスのユダヤ人絶滅の企てが可能になった背景として19世紀ドイツで盛んになった権威主義的教育イデオロギー

 (身体的規律と剛直の強調。スパルタ教育)により家族内の権威がヒステリー的に高まったことなども挙げる。

 それらの根本にあるのもまた、矛盾と緊張をはらむドイツの直系家族システムだ。

 ここまで来れば読者諸兄はもうお気づきだろう。そう、日本の伝統的な家族システムもドイツと同じ直系家族である。

 父親の権威は絶大で、家督を相続できるのは長男だけだった。

 トッドの立論が正しければ、自ら差異を作り出しながら、差異を憎むという矛盾と緊張をはらんだ無意識が、

 私を含めた日本人に根強く残っていることになる。」



フランス人(パリ盆地を中心とする北フランス)は、「平等主義核家族」に分類されます。

西ヨーロッパでは、北部沿岸部を除いたイベリア半島の大部分(ポルトガルとスペイン、いわゆるラテン)、イタリアの北西部と

シチリアを含む南部、ポーランド、ルーマニア、ギリシャに分布し、ラテンアメリカ諸国もコロンブスのせいで総じて

この家族型だそうです。


「子供は成人し、結婚すると親の家を出て、独立の世帯を構える。親が死ぬと、遺産は子供たちの間で平等・均等に分配される。

 親の生前に何らかの贈与がなされている場合は、それも厳密に計算される」


「この家族構造においては、子供が結婚とともに家を離れて独立するのであるから、親子関係は自由主義的であり、

 遺産は均等配分であるから、兄弟関係は平等主義的である。この家族構造の下で生まれ育った者は自由と平等という価値を内面化する」


「フランス大革命が、自由と平等の理念を掲げたのは、それがまさに革命の根拠地たるパリ盆地の農民たちの家族制度に

 根差した価値に他ならないからである」


「兄弟の平等の確信は、人間というものは平等にしてどこでも同じであるという、普遍的な人間の観念を産み出す(中略)

 それはさらに諸国民は平等で同様のものであるという『先験的な形而上学的確信』へと繋がっていく。肌の色の異なる人間も

 分け隔てなく受け入れる、人種差別感の少ない鷹揚さという明るい側面と、尺度に合わない者を『非人間化』してしまう暗い側面とが、

 混在することになる」

としています。



アングロサクソンは、「絶対核家族」に分類されます。

これはヨーロッパ特有の形態で、イングランドの大部分、オランダの大部分、デンマークの大部分、ノルウェー南部の

デンマークの対岸に当たる地域、フランスのブルターニュの大部分、そしてヨーロッパの世界進出と植民地活動の結果、

アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカが主な分布になっています。


「子供は成人し、結婚すると親の家を出て、独立した世帯を構える。また遺産相続は主に遺言によって行われ、相続者間の平等は

 あまり考慮されず、親は自分の好みと意志を主張することができる。(中略)この家族構造における親子関係は自由主義的であり、

 兄弟関係は平等に対する無関心を特徴とする」


「早くから子供の独立を促すこともこの家族制度の特徴で、イングランドでは古くから、子供を他家に奉公に出す

 『送り出し』と呼ばれる制度があった」


「この家族制度の下に生まれ育った者は、自由という価値を内面化するが、平等にはあまり関心を払わない」


「平等とは無縁の自由の観念の顕現の例(中略) 例えば議会制民主主義の祖国と目されるイギリスで、政治的平等原理の表現である

 普通選挙が実現するのは、フランスに遅れること70年、ドイツに遅れること47年の、1918年という事実、

 あるいは総得票数で劣る政党が比較多数の議席を獲得することに対する無関心(1951年の総選挙)」


「この家族構造は、兄弟の平等に無関心で、差異を当然視することから、人間は互いに異なるものであり、諸国民・諸民族も

 異なるものであるという無意識の『先験的な形而上学的確信』を産出する」

としています。


この家族形態の特徴として、「世代間の断絶」も挙げられています。

また、言語学では「中央(大陸)で発生した言葉(文明)が辺境(周縁)に伝わる傾向があり、中央ではとっくに無くなった言葉が

辺境の地に残ることがある」という分析があり、この家族形態も中央(大陸)では廃れた古いもの、「原始的」なものではないか、

という分析もなされています。

一見「近代的」「先進的」とされているものがw、実は「野蛮」なものかもしれない、とw




トッド氏によると、この学説、イギリスやフランスの学者達からは「決定論」として受け止められ、「人間は自由だ!家族形態なんかに

左右されてたまるか!」と反発されることが多いそうですw

トッド氏に言わせると、「『自由強迫症』(人間は自由でなければならない、という強迫観念)に罹っているように見える」とw

一方、ドイツや日本では関心理解を示してくれることが多いそうで、その理由として、経験主義、「経験則」を重視する文化が

あるからではないか、と分析しています。

たしかに日本では、「人間って、そういうとこあるよね~」と受け入れらやすい気がしますねw


トッド氏の生い立ちや家族、来歴を見ると、彼が「一般的なフランス人」ではなく、ある意味「マージナルマン(周縁の人)

だったことも、これだけ斬新な見方が出来た背景の一つじゃないかと感じます。




エゴ肥大症」「世代間の断絶」「自由強迫症」、これらはアングロサクソン社会に限らず、日本社会も直面している感が強いですがw、

アングロサクソン的価値観やグローバリズムを鵜呑みにせずw、経験則や社会史、民衆史観等で捉え直す必要があるな~と、

アメリカ製ドラマを観ながら感じます。


ちなみにアングロサクソンの成功観って、「出来るだけ早く一発当てて、後は悠々リタイア!」っていう印象が非常に強いんですがw、

江戸時代から続く日本の老舗の成功観等の方が、「売り逃げ」して逃げ回ったりw妙な理屈をつけて自分を「免罪」しなくて済みw、

日々健やかに充実して生きていけるように思えてしまうのは、私が日本人だからでしょうかね?w



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by syotikure | 2018-02-10 02:50 | 趣味(その他) | Trackback | Comments(0)

~ ブログテーマ わたしの好きな韓流・華流 ~ 「文化コード」と「同調圧力」


韓流と華流・・・・あまり韓流ドラマとか華流ドラマ?は見ないんですが、ポッと浮かぶのは、中川家の「ソウルの焼肉屋さん」

「いかつい人に絡まれた時の対処法」とw、劇団ひとり氏のネタですw


映画「少林サッカー」は大好きですね。これは衝撃的でしたw

CGは勿論のことですが、あの「突き抜けた」感じはw、クレージーキャッツの「無責任」シリーズと共通するものを感じますw




仕事等で大分を訪れることが多いんですが、最近大分の観光地等で、東アジアの近隣諸国から来られている

外国人観光客をよく見かけます。

昨年、仕事で都城のビジネスホテルに泊まった際も、東アジア系外国人を見かけて、びっくりしたことがあります。 

都城に、外国人の関心を惹くような観光資源なんかあったかな?とw

ま、よく分かんないけどw、少しでも外貨を落としてもらえれば有難いな、と思ったもんでしたw


若干服装のセンスが違うので、「外国の人だな」と気付くことが多いですが(時々外れますw)、

喋ってる言葉を聴いて初めて外国人と気づくこともあり、グローバルアパレル企業のせいでw、

東アジアも「均質化」しつつあるのかな~と思ったりしてますw


ただ、日本人と同じような服装の人達が仲間同士で喋っているのを遠目に見かけ、言葉がはっきり聴き取れないのに、

「あ、外国の人だ」と気付くこともあり、何が違うんだろう?と以前から不思議に思っていました。


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(大分県別府市 海地獄)


先日たまたま嫁女とそういう話をしていて、ふと思い当たったのが、表情、しぐさ、ボディ・ランゲージの違い、です。

ふとした瞬間の表情やしぐさ、ボディ・ランゲージ、そして同じものを見ても微妙に反応が違うのは、

もしかしたら表情(表現)にも「文化コード」(育った、または所属している社会の文化的規範、規律)があるんじゃないか、と。


基本的な喜怒哀楽の感情は、人間ですから当然同じでしょうが、その表現(表情)の大きさ(や長さ)、タイミング(間)が、

どうも地域や国で違うんじゃないか、と。


ベトナム戦争の時、ベトナム兵捕虜が尋問を受けていて、日本でいう「ヤンキー座り」をしていると、

アメリカ兵がイライラして無理矢理立たせたり、自分達と同じ片膝をついた姿勢を強要した、

という話を、高校生の頃本多勝一か開高健の著作で読み、民族や文化によって、「姿勢」の意味、

受け止め方が違うんだんな~と少し驚いた記憶があり。


アメリカに住むことになった人が、恩師から「鏡に映った自分の顔が、ハンバーガーに見えるようになるまで踏ん張れ」

と激励された、という話を若い頃に聞いたことがあって、その激励の意味がやっと解ったような気がします。

周りの人達が、君の表情やしぐさに違和感を感じないぐらいにならないと、その地域社会には溶け込めない、根差せないよ、

ということかと。


 e0071319_15042103.jpg芸人の劇団ひとり氏が、髪を七三に分けて少しキレたりw朗らかな笑顔になるとw、近隣東アジア諸国の人に見えるのは、彼が帰国子女だからじゃないかな、という気もします。

子供の頃、日本社会の外で育ったので、日本社会で育った日本人とは違う表情(の大きさ)やタイミングを持っているんじゃないかと。


じゃあ、中川家の礼二氏はどうなんや?と訊かれそうですがw、あれは、「芸」という感じがしますねw 言語、表情、しぐさの芸w

日本人は、遺伝系統的には大きく6系統に分けられ、「アジアの雑種」とも呼べるそうでw、関西は昔から人の交流が多いので、たまたま礼二氏に大陸的な特徴が色濃く出ている可能性も無い訳ではありませんがw


どういう理由にせよ、人の顔のことをあれこれ言うのはw、ちょっと失礼ですねw

これは、親からの「躾け」という「文化コード」になりますかw


(海地獄の土産屋で見かけたシュールなストラップw)


同じ日本人、同じ九州人でも、お隣の鹿児島には、なんか表情の違いを感じますねw 気合が入っている表情の男性が多いというかw

仕事で滞在した北九州では、コンビニに立ち寄ると、何の仕事をやってるんだかよく分からないw、

ちょっと他所では見かけない種類の薄笑いwを浮かべた若い兄ちゃんを、ちょこちょこ見かけた記憶もありw


同じ宮崎県民でも、地域によって、しぐさの違いを感じることがありますね。

今住んでいる門川で、時々おばちゃん達が道端で話しているのを見かけますが、県北だな~と感じるのがw、

話が長くなって疲れたのかw、壁にもたれて頬杖をつきながら話す姿勢、しぐさです。

これは、宮崎市周辺や都城ではまず見ない、県北、それも漁師町辺りでしか見かけないしぐさで、

以前冗談交じりで義母にそう話すとw、「漁師町で行儀が悪いっちゃろかね~、他所ではやらんとね?」と

少し恥ずかしそうにしていたのを覚えてますw 

県北だけで見かけるということは、その地域社会の中で、祖母、母親、近所のおばちゃん達から娘世代へと引き継がれてきた、

ある程度固有の「民俗」的しぐさ、なんでしょうね。


よく、町には「表情」がある、と言いますが、そこに住む人達に、何らかの背景、「文化コード」を伴った表情が、

どうもあるように感じます。




文化コード」と強く関係することだと思いますが、日本は「同調圧力」が強い社会と言われたりします。


この「同調圧力」、考え方や思想の強要というよりは、「私も同じ感じ方をしてますよ」と表情を合わせる、

あるいは「異論はない」ことを表情に出す、のを強いられる圧力、のような気がしますねw


子供の頃、学校や部活等で「なんだその顔は!他の『みんな』は納得してるぞ!」と、

「表情を合わせる」ことを強いられる叱責があったことを思い出しますw

考えていることは全然違うのにw、とりあえず表情だけ合わせておけばw、波風立てずwスムーズに運んでいくというw

で、最終的にそれについて誰が責任を取るかというと、「みんなで決めたこと」だから「連帯責任!」にされる場合が

多かったような・・・・w

無責任社会」の「温床」はw、もしかしたら、この「同調圧力」かもしれませんなw


「我がまま」=「我が思いのまま行動する」と、「自分の行動(と結果)」に「自分で責任を取る」必要が出てきますが、

「我がまま」を通さなければw、その行動は「自分で決めたこと」ではないので、「自分の責任ではない」と思うのが自然ですw


この風習の利点はw、自分でものを考えなくても「考える人が考える」ので、ただそれに乗かって流れに身を任せていれば済むw、

何かあっても自分だけが責任を負わなくてよいw、「みんな」同じ「境遇」なので共感や連帯感が得やすいw、等でしょうかw


「ムラ」社会の名残り、封建時代の庶民の生活の知恵wのような感じもしますがw、江戸時代の百姓は、越訴、一揆、逃散、

町人も打ちこわし等やって「意思表示」してましたからねw

村の管理運営を行っていた「村方(地方)三役」には、名主(庄屋、肝煎)・組頭(年寄り、脇百姓)・百姓代(長百姓)があり、

名主は一村の長で村政を統括し、組頭がその補佐を行い、百姓代は小前百姓を代表して前二者層の村政運営を監視していました。


民俗学者の宮本常一氏がフィールドワークした長崎県対馬の村政運営では、村で何かの事柄を決めるのに、各戸から集まってきて、

経験や言い伝え、それについて思いつくこと等をとにかく出し合い、途中話が脱線したりw昔話に花が咲いたりしながらもw、

皆が納得するまで話し合って決めたそうです。なかなか決まらない場合、によっては一週間近くも弁当を持ち寄って話し合ったとかw 

ただ、ここまで話し合って決めたことは、後から不平不満が出ることはまず無かったそうで、「多数決」で決めるのは最後の手段、

「下の下」の策、という認識だったそうですw

また、日本近世史・村落史が専攻の渡辺尚志氏の研究では、地域性はありますが江戸時代は今想像する以上の「訴訟社会」だったそうで、

こういう「同調圧力」が「全国」的に強くなったのはw、もしかしたら近代以降、「近代国民国家」の国民の「統治方法」の影響が

かなり大きい気がし・・・・w


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(日向市内に残る海軍特攻隊基地の滑走路跡 本文とは直接関係ありません)


野村克也氏が、「考え方を変えることで行動を変えていくやり方は、意志を継続させるのがなかなか凡人には難しい。

それよりも、行動を変えることで考え方は変わるので、まず行動を変える方が凡人にはやさしい」と語っていました。


これは、「行動の同調」が「思考の同調」にも繋がる、ということであり、悪用されると怖いことでもあります。

ブラック企業の社員教育の手口は、これを応用したものと言えるかもしれません。 

まず、理由は何でもいいから社員のプライドをへし折り、「こうあらねばならない!」と社訓的なものを何百編も復唱させたり、

キャパ以上の仕事を与えて失敗させることで自信を喪失させ、自分の頭で考える余裕や時間を与えず、行動を完全に支配下に置いて、

なんでも言うことを聞くようにしていくやり方です。


外務省にも似たような「新人研修制度」があったそうでw、キャパ以上の仕事を与えられ、徹夜でやっと資料を作成して

上司に提出したら、「上の方針が変わったから」と目の前でゴミ箱に捨てられた、と作家の佐藤優氏が書いてましたねw

はたしてあれは、『大人』の集まった組織だったのか?」ともw



以前、4年半ほどブラック企業に在籍したと書きましたが、幸いこういった「洗脳」され「同調」を強要されるブラックではなくw、

ルート営業なのに3ヶ月連続で昨対を割ったらクビとかw、「日計」が通算で昨年実績を割ったら、営業部が数字をクリアするまで

「連帯責任」で社員全員退社出来ないとか(営業側は、会社が従業員を人質に取って立て籠る様からw「人質作戦」と呼んでましたw)

ある意味「無邪気」というか「愛苦しい」ブラックでしたねw

あまりの立場の不安定さに、ある営業マンが「今度結婚するので、退職します」と「寿退社」したこともありましたw 

男が「寿退社」するのを見たのはw、50年の人生で1回っきりですw


誰がいつクビになるか分からないのでw、営業が20人以上いながら妙な派閥もなくw風通しもよくw、その辺が理解出来てる

営業マンとは自然と「戦友」的な連帯感も生まれw、何かあったら情報を共有して「共通の敵」と対峙してましたw 

数字が悪い月の営業会議では、呑気な顔をしてるとw「戦友」の上司への風当たりが強くなるかとw、

とりあえずしおらしい顔して座ってましたねw 

辞めて10年近く経ちますが、在職中仲の良かったメンバー達とは、今でも忘年会等で集まっています。

「戦友」の繋がりって、なんか続くんですね~w




この会社に在籍していた期間を含め、都城には約10年住んで、地元の温かい人達と交流させて頂き、至って居心地が良かったんですが、

よく分からないところも正直ありまして・・・・w


職場で同僚たちと話していて、どんな内容だったかは忘れましたが、冗談で「そんなこと言ってたら、チェスト~ッ!って

示現流で斬られない?」と言ったら、辺りを見回した上司から真顔で「変なこと言うな!」とたしなめられたことがあり・・・・w 

表には決して出てこないw、よそ者には分からない未知のアンダーグラウンド組織がw、まだこの辺りにはあるのか・・・・?

少し背筋が寒くなりw


また、「権威権力に滅法弱い」人が、なんだか多い印象もありまして・・・・w

ま、「同調」して「弱いフリ」をしてるだけなのかもしれませんがw、なんで日常的に「弱いフリ」してなきゃいけないのかw、

よく分からないという・・・・w


用事があって訪れた市役所のある課では、女性職員が窓口に来ていた老婦人を叱り飛ばしていて、

なんかすごいな~と思って見ていたらw、視線に気付いたその女性職員に睨まれた記憶もあり・・・・w

未だに「官」が偉い地域なのかな・・・・?と感じましたw

市民にサービスする行政「サービス」機関ではなく、市民を統治する行政「統治」機関か?とw 

ま、300年以上もガッチガチのヒエラルキーで固まっていた地域ならでは、でしょうか・・・・。


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(旧牧園町から望む桜島 靄がかかってよく見えない日でしたw)


江戸時代の諸藩では、武士層が全人口に占める割合は5~6%ぐらいでしたが、旧薩摩藩では武士層が約26%もいたそうで、

今でも「ウチは武士の家系だ!」と胸を張る人に出くわしやすい地域ですw

この武士層の中で、城下士(鹿児島衆中。城下町に居住する武士)は約11%だったそうで、人口全体でいうと約2.8%になり、

残りの約89%、全体の約23.2%は郷士(外城衆中。地頭所居住)、家中士(私領居住)として外城(麓)の農村地域に

配置されていました。

「チェスト!関ケ原!」で、徳川幕府に対する常時臨戦態勢だったんでしょうが、74%の百姓・町人を

23%の郷士が「統治」する社会でもあった訳ですね。農村に5人いるうちの2人は、「支配・統治する側」だったとw

八公二民(収穫した米の8割は年貢)の旧薩摩藩内で、ほとんど越訴や一揆、逃散の記録がなく、

庄内の伊集院氏等の「武士の反乱」しかなかったのは、このせいだといわれています。


江戸時代には諸藩で一般的だった「寺請け制度」は、旧薩摩藩内では機能しておらず、代わりに郷士層がキリスト教や

一向宗(浄土真宗)等の禁教の取り締まりを行い、百姓の生殺与奪の権利を全て握っていたといわれています。

一向宗は、中世には自治都市の「寺内町」を組織し、「加賀は百姓の国」と言われたように「国」自体を運営したりしていましたので、

その自治志向、一揆が警戒されたようです。

浄土真宗の信者達は、隠密で遠く日向の串間まで坊主の話を聞きに行っていたそうで、都城のあちこちに今でも

「隠れ念仏」の跡が見られます。

霧島山麓の「カヤカベ教」のように、アンダーグラウンドで代々念仏を受け継ぎ、独自の教義を持つに至った宗派もあります。

明治の廃仏毀釈運動で、江戸時代まで続いてきた寺院のほとんど全てが破壊し尽くされたのは、この「寺請け制度」がなかったから、

という見方もあります。武士層だけでなく、一般庶民の一部も一緒になって破壊してたそうですから。

今ある寺院のほとんどは、廃仏毀釈運動への国内からの反発、欧米諸国のキリスト教教会からの批判等で見直しの動きが起き、

それ以降に旧薩摩藩内へ布教した「新興勢力」や、元々あった寺を再興したものだそうで。


また、戊辰戦争以降、旧薩摩藩内では「武士層内部の下剋上」が起こった、といわれています。

江戸から明治になり、行政組織内では倒幕に慎重だった門閥勢力(旧上層城下士)から、武力倒幕を主導した下級城下士に権力が移行し、

地租改正では旧郷士層の多くが地主となり、また県議会の議席の大半を占めていきました。


明治22年4月の市制・町村制の施行では旧郷がそのまま行政単位に移行し、町村役場はほとんど旧麓地区(外城の中心地域)に置かれ、

その地域行政は上層の郷士層が担いましたので、地域内の行政実態と人間関係は江戸時代のままだったようです。

この地域の行政と人間関係に大きな変化があったのは、太平洋戦争後の憲法改正、民主諸改革の断行、なかでも農地改革でした。

藩政時代の武士による支配が、制度的に変遷しても太平洋戦争後まで続いていましたが、二次にわたる農地改革の結果、

小作地率は35.6%から9.2%に減少し、ようやく旧士族層と旧平民層の社会的平等化がはかられた、ようです。

(中村明蔵著「薩摩 民衆支配の構造 現代民衆意識の基層を探る」南方新社、他)


百姓の挙動にも目を光らせていた「外城制度」が、何となく残っているかのような印象を受けるのはw、

これらの歴史を知ってるせいかもしれませんが・・・・w




前記の会社を退職後、「当面、サラリーマンはいいや」と、FXをやっていたある日、「3.11」東日本大震災が起こり、

それに絡んで「カジノ資本主義」の「投資家」の一人、ミセス・ワタナベの類でいることにホトホト嫌気がさす出来事があり、

最低ライン「人の役に立つ」ことで飯が食いたいと、「社会復帰」することを決めました。


「社会復帰」しようと、都城で営業の求人面接を片っ端から受けたところ、片っ端から落ちまくりw、

ブラブラしてる訳にもいかんと、県外の会社の現地契約社員となり、そのうちに妻が転勤になったので門川に引っ越しました。

契約期間も終わり、県北の地元で仕事を探すことになりましたが、県北は都城よりも営業の求人件数自体が少なかったので、

営業以外の仕事もある程度覚悟しながら、とりあえず1社面接を受けたところ、同じ週に2次面接、週明けに採用となりました。


その時は、丁度タイミングが良かったのかな~と思っていましたが、今になって考えてみると、都城に住んでいた時に在籍した会社は、

社長がある程度以上の期間東京で働かれていた経験と、また直接社長面接で採用になったという共通項があり・・・・。


そこで気付いたのが、「文化コード」ですw

チャキチャキの地元、旧薩摩藩育ちの人事担当者の「文化コード」の基準では、ハネられてしまう経歴だったのかw

または面接時、面接担当者の「文化コード」的には受け入れられないw、表情や態度、言動があったのかも・・・・とw

そう言えば、一度だけですが面接で「普通のやり方では業績が伸びそうもない、あなたはイリーガルな手段が取れるか?」

と聞かれたことがありましたねw 

笑顔で、「無理ですね」とお答えしましたw 




あんまり他所のことばかり書いているとw、「不公平」かもしれませんねw


都城の人から、たまに「宮崎(市内)の人間は、冷てがね~」と言われることがありますw

宮崎市中心部は、宮崎県庁が出来てから135年しか経ってない、至って歴史のない町でw、

橘通に並ぶ商店は四国出身の人が多い、と聞いたことがあります。

ある意味「よそ者が集まって出来た町」ですから、良くいえばゴリゴリの「文化コード」がなくwオープンな感じ、

悪くいえば歴史の無さからくる「軽さ」や、「同じ境遇」を背負う等の「連帯感」が薄い地域、でもあるのかな、と。


百姓遺産」でも触れましたが、宮崎県は江戸時代には諸藩分立していて、西南戦争以後の鹿児島県庁の施政のおかげ?wで、

宮崎県として分県した経緯があり、各藩それぞれ歴史が違い、言葉も違い、風習も違うことを大前提に、小異を捨てて大同に就こうと、

まとまってきた感じなんでしょうね。

「高鍋で学問の話をするな」「都農でケンカの話をするな」w等のフレーズがあり、高千穂には古い夜神楽があり、

椎葉には稲作農耕民とは別の祭祀儀礼があり、また徳川幕府に抵抗した歴史もあり、西米良には南朝の武将・菊地氏があり、

海岸沿いには伊予の河野水軍との繋がりがあり、県北には確実にw海賊の末裔があり・・・・。

誰かが強権で「支配統治」しようとしていたらw、レジスタンスや山岳ゲリラ、海賊だらけになってたかもしれませんなw


宮崎に住んでいると、何らかの「文化コード」を強く感じる旧薩摩藩地域との比較で、色々と相対化しやすいという

「地の利」があるようにも感じますw

「近代国民国家」政府もw、実はこんな感じでやってたんじゃないか・・・・という想像も働きやすく・・・・w



私の場合、九州他県の先輩達から何故か「宮崎の人間だよな~」と言われることが多いんですがw、

高校時代、シベリアの強制収容所に捕虜として抑留された人の体験を読んで、

収容所で一番先に精神的に参ってしまったのは、顔色を読んでおべっかを使うタイプの人間だった、

と知ったことが、その後の人生に大きく影響しているような気もしますw



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by syotikure | 2018-02-03 18:34 | 道端 | Trackback | Comments(2)

~ ブログテーマ わたしの好きなアニメ ~


ブログ再開第3回目w、エキサイトブログからのお題「わたしの好きなアニメ」です。

アニメ・・・・色々思い返してみましたが、TVでたまたまやってるジブリ作品等は、嫁女に付き合ってw何の気なしに見てますが、
特に意識しては、観てないですね~。
漫画だったら、「はじめの一歩」と「風の大地」だけは、ほぼ毎回欠かさず読んでるんですがw
一歩は本当に引退するのか?作者と編集スタッフの軋轢等ネット上の噂は本当か?w新型デンプシーロールが未完のまま終わらせる気か?
リリィ・マクガンの妹はただの賑やかしか?wそれとも土建屋の親父に何かやらかさせてw最終日に沖田のバッグを担がせる魂胆か?w
等々興味は尽きずw


私らアラフィフは、アニメがちょうど商業ベースに乗り始めた頃、最初に「アニメ文化」の「洗礼」を受けた世代かもしれないな、と思いますw
夜の7時台はNHKニュースしか見られない家庭で育った為w、「フランダースの犬」「ダイアポロン」「侍ジャイアンツ」等はリアルタイムで
見たことがなくw、学校で友達の会話の輪に入れなかった寂しい思い出がありますがw、地域性か再放送でイヤというほど「トムとジェリー」を
見た記憶はありw、「ライディ-ン」「ガッチャマン」「テッカマン」「キャシャーン」「ハクション大魔王」「いなかっぺ大将」
「巨人の星」「ルパン三世」も、多分何回も再放送で見てますねw
永井豪作品「マジンガーZ」系もよく見てました。ポピーの超合金では、「グレートマジンガー」を持ってた気がしますw


機動戦士ガンダム」は、非常に画期的、衝撃的な作品でしたね。
単純な勧善懲悪のストーリーではなく、登場人物の設定も複雑で、ザクやグフなど「敵方」ロボの造形も相当凝っていて、
「モビルスーツ」という呼び方自体斬新でした。
中学1、2年の頃、「ガンダム」の原作?小説を読んで、アムロとセイラのベッドシーン描写にドキドキした記憶もあり・・・・w
ちょうど思春期の入り口の頃に、「ガンダム」で大人の世界をちらっと覗いた感じがしますw

この頃から、アニメ雑誌やアニメ小説が、たくさん店頭に並び始めたように記憶してます。プラモデルも、相当売れてたはずでw
学校の近くの文房具屋では、ガンダムやザク、グフはすぐに売り切れてしまい、GM、ドム、そしてなんや気色の悪いモビルアーマー系がw、
ゲッター3やサンダーバード2号に交じって売れ残っていてw、結局その中から、たしか消去法でドムを買った記憶があり・・・・w 
ガンプラを買ったのは、多分ドムが最初で最後だったと記憶してますがw、アニメ産業の興隆に立ち合い、見事に巻き込まれ下支えした世代、
なんでしょうねw

ただ、関連キャラクターグッズ販売で商業的に大きな成功を収めた「走り」は、多分「スター・ウォーズ」じゃないかなと思いますw
あの時は、ダースベイダーやC3PO、R2D2等のキャラクターが、街のあちらこちらで目に入ってきて、
子供ながらに、今までにない、何か大きなうねりを感じたもんでした。


ドラえもん」「天才バカボン」も、ど真ん中の世代ですね。
のび太のくせに生意気だ!」とその存在自体を全否定するかのような強烈な言動w、何かあったらすぐ銃をぶっ放すアメリカのドラえもんw、
「バカボン」のシュールでナンセンスな世界w(友達の中で、はっきり好き嫌いが分かれてましたw)は、高校生になっても話題に上ってましたw
漫画になりますが、高校生の頃は「のたり松太郎」が好きでw、同じちばてつや作品の「おれは鉄兵」を読み直したりもしてましたね。 
後は、「ゴルゴ13」もよく読んでた記憶がありますw

思うのは、漫画は素晴らしいのに、何故アニメになるとあんなにも「劣化」してしまうケースが多いのか、ということでw
原作と同等、逆に原作以上のクオリティを感じるのは、「ルパン三世」「ドラえもん」「サザエさん」「ドラゴンボール」「名探偵コナン」
ぐらいのもんじゃないかとw
思っていたイメージと声優の声が違う、アクション系やスポーツ系はどうしても動きが悪くなる、放送上の尺の問題、製作費w等々
関係してるんでしょうかね。
ま、小説でも、ドラマ・映画化すると、すっかりぶち壊し!っていうのが圧倒的に多いような気もしますw


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(大分県久住 納池公園の湧水)


さて、本題の「わたしの好きなアニメ」にやっと辿り着きましたw
子供の頃は、「キャシャーン」「テッカマン」「ライディ-ン」、そして「カムイ外伝」が好きだったことを思い出しましたが、
今好きなのは、やっぱりジブリ作品ですね。

となりのトトロ」、やっぱり画期的な作品じゃないかなと思います。
バブル全盛の時代に、全てに「人工的な光」が届かない、まだ人間の手が及ばない「闇」が残存している世界、を描いていたように感じます。
何かに「人工的な光」を当てることで出来る「人工の闇」には、人間の怨念や嫉妬、貪欲、偏見、偏執等がグルグル渦巻いていそうですがw、
この自然の「闇」には別のものが息づいていて、人間がその気になれば共存できる、否、共存すべきもの、のように感じます。
もしかしたら、原始のまま残ってるのかもしれない「鎮守の森」に、妖精なのか物の怪かw、茫洋と佇むトトロ・・・・。
南方熊楠の世界観を感じますし、五月とメイが生活する「ムラ」には、宮本常一がフィールドワークして「発見」した民俗世界を感じます。

もののけ姫」も、非常に印象深い作品ですね。
エミシの生き残りのアシタカ、白い覆面をした人々等、日本の中世社会を相当検証して描いた作品で、中世史家の網野善彦氏も絶賛していました。

宮崎監督曰く「かわいい女の子が成長していく話は、もう描き飽きたw」
で、「崖の上のポニョ」「風立ちぬ」では男(の子)が主人公になりました。
晩年の手塚治虫氏が、「もうヒューマニズムなんか描きたくない、クソみたいなもんだ、好き放題描いてアメリカに逃げたい」と
あるラジオ番組で語っているのを聞いたことがありますが、今後ジブリからどういう作品が出てくるのか、非常に興味あるところです。


余談ですが、「なんでも鑑定団」でお馴染みの中島誠之助氏が、著書の中で、
よその国々では、一つの『王権』『権力』が出来た時に、その庇護の下で『新しい文化』が栄えることが多いが、
 日本では、民衆が元気な時に『新しい文化』が生まれて栄えることが多い傾向がある
と書いていて、マンガやアニメも、非常に「日本的」な土壌で生まれて栄えている「文化」の一つ、であるのは間違いないように思います。


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by syotikure | 2018-01-30 02:06 | 趣味(その他) | Trackback | Comments(2)

小林市PRビデオ第2弾! と、暮れのご挨拶(笑


長いことブログをご無沙汰しておりまして(笑、暮れも押し詰まり(笑、2ヶ月も穴を開けるのもどうかと思っていましたら(笑、
小林市のPRビデオ第2弾が出来たと知り(笑、前回に引き続きご紹介を・・・・(笑。



まあ確かに(笑、山の中で遭難してやっと助けが!それも神様!と思ったら、言ってる意味が全然分からない、というのは・・・・(笑。
相手が人間だったら、言葉は通じなくとも、人情、ホスピタリティ的なもので(笑、ボディランゲージで道案内とか、
緊急避難的な処置も期待出来るんでしょうが(笑、神様がどこまで「下情」に通じてるかとなると・・・・(笑。
日本の神様達って(笑、なんか結構気まぐれというか(笑、「DQN」なところ?(笑 感じますもんね(笑。


この動画を見ていてふと思い出したのが、最近ネット上の記事で読んだ、「翻訳語」の定義、認識のいい加減さ です(笑。

“Freedom” を「自由」と訳したのは福沢諭吉と言われていますが、元々「自由」は中世では勝手気ままに振る舞うというネガティブな
意味合いがあり、諭吉は相当躊躇したと言います。
“Freedom” には、「保護・規制の下での」という意味が、含まれているからだそうです。
「社会」という言葉も、近代に入って “Social” を翻訳して出来た「造語」で、漢字圏では普通に使われているという「共産主義」という
言葉も、実は近代の「日本製」とも言われており(笑。

この記事によると、キリスト教圏で “Spirit” (=精神) は、土をこねて作った人形に(創造主の)神がこれを吹き込んで人間が
出来たから崇高で、唯一神とのコミュニケーションを取る為のもの、という認識があるそうです。
この「精神」という言葉、実は明治期に “Spirit” を輸入(翻訳)する際にこさえた「造語」で(笑、日本古来から認識されてきた
言葉、概念ではない、と(笑。
キリスト教圏では意味が明確だが、日本で「精神」主義となると(笑、大概ワケのわかんない方向に行ってしまうのは、
この為ではないか、と(笑。
ちなみに、キリスト教圏での「精神修養」は、教会に行くことだそうです(笑。

あのラグビー日本代表の五郎丸選手が、TVで「メンタルは鍛えられない」と語っていましたが(笑、ラグビー日本代表の
メンタルコーチを務められていた、荒木香織氏の記事 もなかなか興味深いです。


「歴史の話」(網野善彦・鶴見俊輔 朝日選書)という本の中で、鶴見氏が、
「昔からの言葉、『村』『町』などには意味の年輪、重層性があり、歴史の中で意味が微妙に揺れている。
 明治期に翻訳で作られた言葉、学術語には、意味の重層性が全くない。『市民社会』『階級』等、切っても一つの意味しかない。
 翻訳前の元々の外国語も当然持っていたはずの重層性を、簡単に切り捨ててしまっている。
 意味・定義が固定されるので、官僚試験等の受験には適した言葉になるかもしれないが(笑、本来含んでいたはずの意味を汲み取れず、
 非常に単純化された認識しか持てなくなる恐れがある。
 ドイツに留学しカントやヘーゲルを勉強した人が帰国して『もはやドイツから学ぶことはない』と言い、東大で哲学を教えていた
 ケーベルがそれを聞いて呆れてしまい、日本で教えるのがイヤになった、という話が残っている(笑。
 これが、日本の近代の学問の問題だ。」
と語っています。


「精神」という言葉(笑、日常的に当たり前のように多用され(笑、非常に重要な概念だと思うんですが(笑、
最近では「スピリチュアル」やら「(スピリチュアル)パワー・スポット」やら(笑、増々ワケのわかんない言葉、概念が
増殖している感もあり・・・・(笑。
他にどんな言葉が、近代の翻訳でこさえた「造語」で(笑、本当の意味で共通「認識」されているのかと・・・・(笑。

価値観外交」等当たり前のように言われておりますが(笑、本当に「共有」出来てんのかどうも怪しく(笑、
お互い良いように「勘違い」してるだけなんじゃないの?という気もし・・・・(笑。
ま、人間関係自体、「勘違い」で成り立ってる面って確かにあり(笑、「国対国」の関係も、人間関係の延長線上にあるのは
間違いないかと・・・・(笑。


ここ7、8年、日本の考古学や中世史、近世の文化史、社会史、思想史、また民俗学等の本を読むことが多く、
教科書に載っていなかった「日本人」「日本社会」の実像に出会うこと度々で(笑、実に面白く、「立脚点」の確認を迫られることも
多いんですが(笑、一方で、近代以降との「断絶」も痛感しています。
何を得た代わりに、何を捨てたのか、何故、そうなったのか、と。


今年は、仕事の関係で今まで経験のなかった角度から「世間」を眺める機会に恵まれ(笑、
来年はますます面白くなりそうな気配です(笑。

どちら様も、良いお年をお迎えください。


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by syotikure | 2015-12-31 13:36 | 諸々 | Trackback | Comments(2)

小林ちゅうとこは じょじょなとこじゃっち


ビールを飲みながら yahoo を見ていたら、意外な盛り上がりを見せていましたので(笑、

ご存じの方も多いとは思いますが、ご紹介を(笑。



宮崎県小林市 移住促進PRムービー "ンダモシタン小林"です(笑。

野尻の「西諸弁ポスター」も面白かったですが(笑、動画の威力もなかなか・・・・(笑。

グローバルと言われている時代に(笑、ローカルの魅力、ネイティブの凄味?(笑 を感じさせてくれます。

ちなみに、フランス人が、「陰陽石」をどうデッサンするのか、興味津々でした(笑。

字幕を出して見ると、更に面白いです(笑。

私が11年間住んでいた都城弁とも、微妙に違うような・・・・(笑。


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by syotikure | 2015-09-03 00:53 | 諸々 | Trackback | Comments(0)

そして恒例・・・・


今回の、旅のお土産です・・・・(笑。
左から、小鹿田焼の象徴的文様「飛びかんな」のそば猪口と盃、そして柿釉ぐい飲みと鉄釉ぐい吞みです。
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e0071319_20265152.jpgありそうでなさそう?な(笑、シンプルなそば猪口の造形に「飛びかんな」がいい感じです。

「飛びかんな」、滑り止めとしてもけっこう有効で、同じものを実家の老親達のお土産にしました。

e0071319_2027919.jpg複雑そうでシンプルな「飛びかんな」、盃にも合いますね。
生き残ってきた意匠ならでは、でしょうか。

e0071319_20272653.jpg見込みには白い釉溜まりがあり、変化が多いです。

e0071319_20274332.jpgこちらは、鉄釉の濃淡の微妙な変化・・・・。


小鹿田焼は、地域の共同体で作陶される為に、窯元さん毎の、いわゆる「窯印」が押されないと言われてますが、窯元さんそれぞれの個性は、たしかに感じられました。



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by syotikure | 2015-05-07 20:59 | 焼きもの | Trackback | Comments(2)

G・W-3  ~ 小鹿田(おんた)焼 ~


天ヶ瀬温泉を出発して、同じ日田市内の小鹿田(おんた)地区へ向かい・・・・。
といっても、平成の市町村合併で日田市は相当広くなっており、天ヶ瀬から小鹿田まで30km以上離れていて、
以前からの懸案事項であるチャーハン皿と(笑、つい最近叩き割ったやちむん皿の代わりを探しに(笑、
嫁女が旅程を組んだのでした。

帰ってブログを見直すと、前回 から約7年半ぶりの訪問でした。
新しく小鹿田焼陶芸館という展示資料館が出来ていましたが、それ以外は前回訪れた時のままのようで・・・・。
着くまで知らなかったのですが(笑、この日はG・Wに合わせ「唐臼祭」が開催中で、山間の静かな里に大勢の人出でした。
時々山間の静寂を突き破る(笑、焼きそば屋のお兄ちゃん達の鬨(とき)の声も(笑、前回は無かったように思います(笑。
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この風景、前回も撮った記憶があり・・・・(笑。
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帰ってブログを見直したら、このアングルも撮ってました(笑。
これぞ変わらぬ風景、変わらぬ魅力、といったところでしょうか。
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雨のそぼ降る中、古い民家に、小鹿田焼がよく馴染んで見え・・・・。
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今回、小鹿田焼らしいシンプルなものや、民陶にしては割とざっくり仕上げてあるものに、目を惹かれました。


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by syotikure | 2015-05-06 20:23 | 焼きもの | Trackback | Comments(2)

G・W-1  ~ 大分・湯平温泉 ~


今年のG・W、2週間前になっても何の予定も立てておらず(笑、どちらからともなく、どっか行こうか、という話になり・・・・(笑。
それからネットで探し、かろうじて熊本県の芦北方面の旅館を予約出来、とりあえず一安心していたところ、
翌朝8時過ぎに見知らぬ番号から電話があり、出てみると「ネット処理に手違いがあり、もう部屋が空いておりませんで・・・・」
という断りの電話・・・・(笑。
新緑の季節を迎え、我が家の庭の雑草も伸び放題(笑、「G・Wは、庭の草むしりやね~」と言ってたところ(笑、
ウチの嫁女が何をどうしたかG・W10日前になって宿泊先をおさえ(笑、珍しいことに旅程まで整え(笑、
急きょ大分1泊2日の旅が決まりました(笑。

繋がったばかりの東九州道を北進し、パークプレイス大分で4時間程右往左往した後は(笑、
嫁女がおさえた宿泊先、日田市の天ヶ瀬温泉へ向かって国道210号線を西に走り・・・・。

高速を使わなかったのは、途中、この湯平温泉にちょこっと寄ってみたかったからでした。
私は5、6年前仕事の途中にフラリと立ち寄って(笑、その佇まいや雰囲気が分かっていましたが、
次回の旅(宿泊先)の候補に入れるかどうか、嫁女にちょっと見せておこうかと・・・・。
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温泉の歴史は鎌倉時代までさかのぼるそうで、江戸後期に作られたという石畳沿いに温泉旅館が並び、
変わらぬいい感じの雰囲気でした。
映画「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」の舞台になったことでも有名ですね。
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こんな感じの共同浴場が、5軒ほどあるようです。
浴衣姿のカップルや家族連れが、下駄を鳴らして散策している姿も見かけました。
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2階建て?の上階部分に、浴室があったことがうかがわれます。
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e0071319_20592951.jpg石畳通りの入り口近くに立っていた、山頭火の句碑です。

昭和5年の11月10日、11日に湯平を訪れ、山、水、湯、宿全て気に入ったようで、
「よく飲んでよく食べて、よく寝た、ほんたうによい一夜だった」
と「行乞記」の一節が刻まれていました。



ちなみにウチの嫁女は、この風情ある石畳通り、の勾配が(笑、ちょっとネックのようでした・・・・(笑。

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by syotikure | 2015-05-04 22:41 | | Trackback | Comments(0)

連休―2 ~ 「日向往還」沿いの石橋群 ~


「唐津くんち」の影響か、唐津周辺は宿泊先の空きが少なく、また往きとは違う道を通って帰るのに、
どの辺に泊まるのが便利か色々検討してみたところ、意外に熊本の八代辺りが観光地等近場になくて混まず、
帰るのにも比較的近いから良さそうだということで、その日のうちに高速で八代まで移動して市内のホテルで一泊・・・・。

翌日、特にどこへ行くあてもなかったので(笑、R3からR443へ右に入り、
道沿いの熟した柿などを眺めながらのんびり走ってると、「日向往還」R218に突き当り、
右折して美里町という町を抜けた辺りで、左手に大きな石橋が見えてきました。

江戸後期、弘化4年(1847年)架橋の、霊台橋(れいたいきょう)です。
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案内看板の説明や ウィキペディアの解説 によると、
「この場所は緑川本流の最大の難所(急流)で、木橋も架けられたが再三流失したことから、惣庄屋の篠原善兵衛が石橋の架橋を発案、
自らも出資して種山石工の卯助に建設を依頼し、卯助は兄弟の宇市、丈八、地元の大工・伴七と供に弘化3年(1846年)工事を開始、
参加した大工の数72人、地元住民の協力延べ43,967人にのぼり、翌年の弘化4年(1847年)当時としては
前例の無い大きさの石橋を完成させた。
梅雨と台風が来る季節を避けて造られた為、わずか6~7か月の工事期間であり、地元農民の協力で予定より早く工事が終わったことが、
中国の古典『孟子』の中の文王霊台建造の話に類似すると考えた篠原善兵衛は、この故事にあやかり『霊台橋』と名付けた」
ということです。

右側奥に見える鉄骨製の新霊台橋がかかるまでは、石橋の上に更に石垣を積んで道を平らにし、バスやトラックなども通っていたそうで、
当時の 種山石工 の技術の高さがうかがえます。
写真を撮ってる時は気付かなかったんですが(笑、手前にもう一つアーチがあって、川沿いを行き来するのに作られたもののようです。
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対岸からの眺め。
橋の横には、重厚で頑丈そうな二段の石組も見えます。
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案内看板によると、この美里町には全部で38の石橋があるということだったので、
特に予定もないことだし(笑、主だったものだけでも見て回ろうかということに・・・・。

次に向かったのがこちら、同じく江戸後期の文政12~13年(1829~30年)架橋の二俣橋です。
奥にアーチが見えるのが分かるでしょうか。
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2本の川の合流地点にL字型に並ぶ双子の橋で、形、大きさ、造りがほぼ同じというのは全国でも珍しいそうです。
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ちなみにこの橋、
「10月から翌年2月にかけて、午前11時半から正午くらいまでの約30分間『ハートマーク』が現れ、
2年前、静岡市のNPO法人が、プロポーズにふさわしい『恋人の聖地』に認定。カップルに人気のスポット」
だそうで。(朝日新聞デジタル版2013年11月18日
「ただし、名称は『フタマタ』ですが」
というオチまで付いてました(笑。
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嘉永2年(1849年)架橋の、大窪橋。
田畑の中に、こんもりとかかっていました。
橋のたもとには桜が立ち、春先の光景を想像させました・・・・。
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by syotikure | 2014-11-04 21:26 | | Trackback | Comments(2)