風呂上がり、何の気なしに冷蔵庫を開けたら、去年の秋に買ったまま忘れていた琥珀ヱビスが目に入り・・・・w これは飲まんといかんな、とw ![]() なんか季節的なものなのかw、最近飲みたくなってきますね~。 タバコは中毒だからしょうがないとしてw、音楽とアルコールについては別に無くてもそんなに困らない方なんですが、 いい酒を飲む➡いい音楽が聴きたくなる、いい人に会いたくなる いい季節になる➡いい酒が飲みたくなる みたいな相関関係はありそうですw 器は、郷原さんのマグカップで・・・・。 ビールは、備前焼の器で飲むのが好きですね。 という訳で、好きな酒を飲んでいると、いい曲が聴きたくなってきますw 夜も更けてきたので、落ち着いた曲を・・・・。 酔いも回ってきたのでw、次はノリのいい曲を。 「Steely Dan や Donald Fagen の曲は、曲調が急に変わるから落ち着いて聴いてられんね」 という人もいますが、そこも魅力w、聴きどころだと思うんですけどねw、聴いてて飽きないというか。 個人的には、かゆいところに手が届く音楽、ですw 変拍子や転調といえばドリカムですがw、今流行りの言い方?wで言うと、 どうも too much なんですよね・・・・w 1曲聴いたらお腹いっぱい、って感じで・・・・w チャゲ&飛鳥など、サビを聴いただけで「満腹」感に襲われますが・・・・w Steely Dan は大好きでw、ドリカムが too much なのはw、 もしかしたら「歌詞」もあるかもしれませんね。 洋楽は、歌声まで「音」として聴いてますから、 インストゥルメンタル聴いてるのと一緒ですもんねw テンポ、曲の長さ、サビが暑苦しいかどうか?wって、 かなり好みに影響していそうですw 昔の歌謡曲って、3分前後のものが多かった記憶がありますが、 実はあれぐらいの長さが、もしかしたら生理的に合ってるのかもしれませんねw 腹八分というか、もう少し聴きたいな~ぐらいが、丁度いい加減なのかもw よっぽど聴かせどころがあったり、目新しかったり、好きな曲じゃなければ。 ギタリストのアルバムとか、好きでなミュージシャンでも、 聴いててダレてくる曲が多い気がしますw 演ってる本人は気持ち良いんでしょうがw、 演者の気持ち良さまで分かち合えるファンやw、 演奏経験があって演者の立場で聴ける人じゃなかったら、 どうも too much 感が強いかとw チャック・ベリーやルイ・ジョーダン等の70年代以前の洋楽も、 3分前後の曲が多かった感じがします。 もしかしたら、70年代以降のハードロックやサイケデリックぐらいから、 ギタリストが延々ギターかき鳴らしたりw、ラリッて作ったので曲が冗漫になったりしてw 長くなってきたのかもしれませんなw ま、それ以前にはラジオの放送枠等で1曲の尺の指定があって、 それを打ち破ったのがハードロッカー達だった可能性もありますがw 漫才のナイツは、お客さんの年齢層を見てしゃべるテンポを変えたり、 ツッコミの土屋氏がリアクションの大きさを変えたりしているそうですが、 どうしたらお客さんに伝わりやすいか、楽しんでもらえるか、 年間500ステージこなしてきた経験なんでしょうね。 志ん生師匠が「寝床」のまくらで、 「昔の河東節(かとうぶし)てえものを、今我々が聴いても飽きるんだよね」 と語ってましたが、時代時代で「許容能力」ってえものもw、 変わってきてるのかもしれませんなw 志ん生師匠を聴きながら、寝ることにしますw そういえば、落ちのフレーズの奇想天外さをw、談志師匠が称賛してましたなw ![]() 宮崎県ランキング ![]() ■
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by syotikure
| 2018-02-28 01:12
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春の夜更け、などと意味深な題をつけましたがw、 久しぶりに一人で夜中、酒を飲んでいるとw、自然に音楽が聴きたくなってきます・・・・w 高校生の頃、ラジオから聴こえてきたこの曲を、聴いて以来の Steely Dan ファンです。 カバーでは、最近これがお気に入りですね。 演ってる人達が、誕生日を寿ぎながら、楽しんでいるのが伝わってきます。 "Gaucho"ピアノバージョン。 夜中に一人で酒飲んでw、こういう音楽を聴いてるだけで、なんや幸せ感に浸れます・・・・w Steely Dan の一人、Donald Fagen のソロアルバム「ナイトフライ」の中の一曲。 こちらも、ピアノバージョンで。 酒が、すすみますw スタジオミュージシャンとして「ナイトフライ」に参加していた Marcus Miller 。 20年ぐらい前に "Tales" から聴き始め、もはや替えの利かないミュージシャンの一人です。 高校の文化祭では、コピーバンドだらけだったような記憶がw この曲が、一番好きですね。 こちらも忘れてはいけない、細野御大。 矢野顕子さんとのセッションでは、「恋は桃色」もいいです。 はっぴいえんど繋がりでw、大瀧御大と山下達郎氏がスタジオでセッションしている珍しい音源を。 この番組、中学か高校ぐらいの時に、夜中某FM局で流れていたのをリアルタイムで聴いた記憶があり・・・・。 これで、エヴァリー・ブラザースを知りました。 本当に、素晴らしいの一言です。 同じくはっぴいえんど繋がりでw、鈴木茂「砂の女」の達郎バージョン。 https://youtu.be/k8WfeBeNrDg これは埋め込みが出来ないようですw、残念。 せっかくですのでw、達郎氏の "La La Means I Love You" を。 ナイアガラ繋がりでw、「幸せな結末」前川清バージョンを。 いいですね~。 こちらは、ご存知 "tsunami"の、前川バージョン。 あれ以来、桑田氏ご本人はこの曲を封印してしまったようですが、 また歌える時が来るのを待っているファンは多いでしょうね。 前川氏の "tsunami" も、素晴らしいです。 こういう感じで、歌える曲、歌い継がれそうな曲も、あるんですよね。 この曲を聴くと、今でも涙もろくなってきます。 薬師丸ひろ子といえば、個人的にはこれでしょうか。 CD音源の、達郎・まりや夫妻のコーラスもいいですね~。世代ですなw こちらも、名曲です。 この頃は、いい曲が多かったな~ とか言い出すとw、歳を取った証拠、なんでしょうなw なんか湿っぽくなってきましたのでw、最後は大瀧御大と高田文夫御大が、 同時代人として大いにパァーッとw「東京ビートルズ」を語り合われている貴重な音源をw こういう先人達の奮闘努力、積み重ねが、間違いなくあったんですねw はっぴいえんど(69~72年)から、80年代に「サビで英語をシャウトしない」w 「日本語ロック」の爆風スランプ等が出てきて、傍から渋谷陽一氏等も応援?してw、 90年代に見事「消化」しきったミスチルやスピッツ等が出現し、 今の日本の大衆音楽芸能シーンがあるんでしょう。 先人の方々の有形無形のご尽力に、感謝せずにはいられませんw 伝統芸能と思われがちな、現在のあの「漫才」も、実は「三河万歳」がルーツではなくて、 アメリカから入ってきた芸能を日本風に消化したもの、とある番組でビートたけし氏が語ってました。 録画してた「わろてんか」を夫婦で観ながらw、そんなことをふと思う今日この頃ですw ![]() ■
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by syotikure
| 2018-02-26 01:53
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私の好きな海外ドラマ・・・・嫁女が「BONES(ボーンズ)」や「BURN NOTICE(バーン・ノーティス)」が好きで、 よくビデオを借りてきてたので、一緒に観ていましたね~。 簡単に説明すると、複雑な家庭環境で育った才媛の法人類学者が、殺人事件を解決しながら「人間性」も取り戻していく話とw、 CIAをクビになったスパイが、民間人として仕事を請け負いながら復職しようとする話ですw 「BONES」、登場人物が奇人だらけながらw、ちょっとステレオタイプというかw単純過ぎるかな~と感じることが多くw、 個人的には小道具(骨、死体等w)のリアルさや、タマラ・テイラー演じるカミール・サローヤン所長の魅力で補われてる感じですねw 手塚治虫の漫画「どろろ」を、現代アメリカの法医学研究所を舞台に焼き直したらこうなる?という気もしますw 「BURN NOTICE」は、スパイの過酷な日常設定、こちらも銃や爆弾等の小道具のリアルさw、モヒート大好きのサムw、 元IRAのフィーの魅力かな・・・・と。 ウチの嫁女は「HEROES(ヒーローズ)」も大好きで、BDを全巻持ってるようです。 超能力を持つ「能力者」達の群像劇ですね。 このドラマのメインは、サイコのサイラーが人間性を取り戻していく話だと思うんですが、チアリーダーのクレアが、いろんな事件に 巻き込まれつつも成長していき、最終的に「能力者」として胸を張って生きていこうとカミングアウトしちゃう話でもあり。 ただ、ヒロ・ナカムラの相棒、アンドウ・マサハシ君の名前w台詞の日本語のインチキ臭さw、 ヒロの親父・カイトのステレオタイプっぷりw、ハイチ人を名前で呼ばないアメリカ人の傲慢さ?がw、 どうも感情移入しづらいところか・・・・?とw 結局は、「X‐ファイル」になってしまいますw わたしの好きな映画で、感じる魅力について書いていますので、これ以上は書きませんが、 上記のドラマも含め何故そのドラマが好きになったか考えてみると、 その理由として、感情移入できる登場人物がいる、そして、タイプの女性がいるw、 この2点はどうも間違いないように思いますw これらのアメリカ製ドラマを見ていると、本当にアメリカ人とその家庭って、色々大変なんだな~と感じますw まあ、日本人も似たようなものかもしれませんがw 近世文化史が専攻の法大総長・田中優子氏が、 「近世の人々の生き方を考えると、現代人は『エゴ肥大症』に罹っているんじゃないか? 学生達が書いた履歴書の自己PRを読むと、書いていて自分で恥ずかしくならないの?と思える」 と書いていましたがw、アメリカ人はまさに、その代表選手のような印象がありますw 日本の学生の場合、「『マニュアル』を参考にして自己評価しなさい、そうしないと受からないよ」と 就職斡旋産業の大人達がそそのかすから書いてるだけでw、本気でそう思って書いてる子って少数派のように思いますがw、 ま、公私共にあまり若い子達と接する機会がないので、実態はよく分かりませんw 「エゴ肥大症」・・・・、仏典には「人間は(縁に触れて)1日に84万回心が変わる」とあり、 そんなもんにイチイチ全部付き合ってたら身が持たんやろ・・・・?と個人的には思いますがw そういえば、高校生の時分から「個性を出そう!」とか思ったことがなくw、 何かで「遺伝子レベルでは、みんなとっくに個性的」という一文を読みw、「ならいいやん」で済ませた記憶がありw ま、こんな文章を連続でアップしてみたりとw、日本社会の中では逆にw、 かなり「個性的」な「マージナルマン(周縁の人)」として生きてきたのかもしれませんがw ![]() アメリカ製ドラマを観ていてふっと思い出すのが、フランスの家族人類学者、E・トッド氏の学説です。 トッド氏は歴史人口学者でもあり、世界各地の伝統的な農村の家族形態を8つに分類し、その分布を世界地図へ落とし込む 作業をしていたところ、偶然あることに気付きます。 ある家族形態が多く分布している地域は、ほとんどが社会主義国になっている、と。 それから、「それぞれの家族構造がいかなる気質、心性を産出するかを検討し、近現代のイデオロギー現象をもそれで説明できる」 「しかも共産主義や自由主義という現代的イデオロギーだけでなく、イスラム教やインドのカースト制といった伝統的文化ないし慣習も、 現代に存在し機能するイデオロギーとして捉えよう」(「世界像革命」より引用、以下も同じ)と学説を発表します。 家族形態8種類全てを挙げると相当長くなるのでw、日本人とフランス人、アングロサクソンの家族形態を挙げてみます。 まず日本人は、「直系家族」に分類されます。 ヨーロッパでは、ドイツ圏(オーストリア、スイスのドイツ語圏も)、スェーデンとノルウェーの大部分の他、西ヨーロッパでは 最大の分布を示し、アジアでは日本と朝鮮半島に分布しています。 「この家族型においては、子供のうち跡取りは成人し結婚したのちも親の家に残り、やがてすべての遺産を相続する。 他の子どもは成人すると家を出て、(中略)他の場所で生活の道を見つけなければならない」 「この家族構造においては、親が子供に対して長い間、権威を揮うのであるから、親子関係は権威主義的であり、 兄弟関係は不平等主義的である」 「この家族制度の下で生まれ育った者は、権威と不平等という価値を無意識のうちに内面化する。さらに兄弟は不平等で 異なるものであるという確信は、人間とは不平等で異なるものであり、諸国民も不平等で異なるものであるとする、 無意識の『先験的な形而上学的確信』へとつながる」 としています。 トッド氏は更に、「移民の運命」という著書の中で、何故ドイツ人がナチスを支持し、ユダヤ人大虐殺にまで至ったかを、 時代背景とこの家族制度で分析しています。 ジャーナリスト・魚住昭氏の「わき道をゆく」(現代ビジネスHP)第七十三回「アンネと難解な本の関係」から引用しますと、 「この家族システムが育むのは権威と不平等。人々は、人間は互いに平等ではなく、『差異』があると信じる価値観をすりこまれる。 トッドの分析のキーワードはこの『差異』という言葉だ。 トッドは、ドイツ型家族システムは『差異を作り出すけれども、差異を好みません。このシステムの中には一種根本的な矛盾が 存在するのです』と述べている。 根本的な矛盾とはどういうことか? 『兄弟間の差異化は無意識に対して、人間は互いに異なるものであり、分離されていなければならないと告げる。 しかし父親の権威は無意識に対して、人間は何らかの中心的権力に従わねばならず、それゆえひとつにまとまっていなければ ならないという観念を押しつける。この根本的な矛盾が生み出す緊張は時として(中略)排除 ないし絶滅の差異主義(を生む)』 つまりドイツの家族システムが育んだ無意識は、自ら作り出した差異に耐えきれなくなり、時にその対象を排除・抹殺しよう という衝動に駆られるというのである。 トッドは、ナチスのユダヤ人絶滅の企てが可能になった背景として19世紀ドイツで盛んになった権威主義的教育イデオロギー (身体的規律と剛直の強調。スパルタ教育)により家族内の権威がヒステリー的に高まったことなども挙げる。 それらの根本にあるのもまた、矛盾と緊張をはらむドイツの直系家族システムだ。 ここまで来れば読者諸兄はもうお気づきだろう。そう、日本の伝統的な家族システムもドイツと同じ直系家族である。 父親の権威は絶大で、家督を相続できるのは長男だけだった。 トッドの立論が正しければ、自ら差異を作り出しながら、差異を憎むという矛盾と緊張をはらんだ無意識が、 私を含めた日本人に根強く残っていることになる。」 フランス人(パリ盆地を中心とする北フランス)は、「平等主義核家族」に分類されます。 西ヨーロッパでは、北部沿岸部を除いたイベリア半島の大部分(ポルトガルとスペイン、いわゆるラテン)、イタリアの北西部と シチリアを含む南部、ポーランド、ルーマニア、ギリシャに分布し、ラテンアメリカ諸国もコロンブスのせいで総じて この家族型だそうです。 「子供は成人し、結婚すると親の家を出て、独立の世帯を構える。親が死ぬと、遺産は子供たちの間で平等・均等に分配される。 親の生前に何らかの贈与がなされている場合は、それも厳密に計算される」 「この家族構造においては、子供が結婚とともに家を離れて独立するのであるから、親子関係は自由主義的であり、 遺産は均等配分であるから、兄弟関係は平等主義的である。この家族構造の下で生まれ育った者は自由と平等という価値を内面化する」 「フランス大革命が、自由と平等の理念を掲げたのは、それがまさに革命の根拠地たるパリ盆地の農民たちの家族制度に 根差した価値に他ならないからである」 「兄弟の平等の確信は、人間というものは平等にしてどこでも同じであるという、普遍的な人間の観念を産み出す(中略) それはさらに諸国民は平等で同様のものであるという『先験的な形而上学的確信』へと繋がっていく。肌の色の異なる人間も 分け隔てなく受け入れる、人種差別感の少ない鷹揚さという明るい側面と、尺度に合わない者を『非人間化』してしまう暗い側面とが、 混在することになる」 としています。 アングロサクソンは、「絶対核家族」に分類されます。 これはヨーロッパ特有の形態で、イングランドの大部分、オランダの大部分、デンマークの大部分、ノルウェー南部の デンマークの対岸に当たる地域、フランスのブルターニュの大部分、そしてヨーロッパの世界進出と植民地活動の結果、 アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカが主な分布になっています。 「子供は成人し、結婚すると親の家を出て、独立した世帯を構える。また遺産相続は主に遺言によって行われ、相続者間の平等は あまり考慮されず、親は自分の好みと意志を主張することができる。(中略)この家族構造における親子関係は自由主義的であり、 兄弟関係は平等に対する無関心を特徴とする」 「早くから子供の独立を促すこともこの家族制度の特徴で、イングランドでは古くから、子供を他家に奉公に出す 『送り出し』と呼ばれる制度があった」 「この家族制度の下に生まれ育った者は、自由という価値を内面化するが、平等にはあまり関心を払わない」 「平等とは無縁の自由の観念の顕現の例(中略) 例えば議会制民主主義の祖国と目されるイギリスで、政治的平等原理の表現である 普通選挙が実現するのは、フランスに遅れること70年、ドイツに遅れること47年の、1918年という事実、 あるいは総得票数で劣る政党が比較多数の議席を獲得することに対する無関心(1951年の総選挙)」 「この家族構造は、兄弟の平等に無関心で、差異を当然視することから、人間は互いに異なるものであり、諸国民・諸民族も 異なるものであるという無意識の『先験的な形而上学的確信』を産出する」 としています。 この家族形態の特徴として、「世代間の断絶」も挙げられています。 また、言語学では「中央(大陸)で発生した言葉(文明)が辺境(周縁)に伝わる傾向があり、中央ではとっくに無くなった言葉が 辺境の地に残ることがある」という分析があり、この家族形態も中央(大陸)では廃れた古いもの、「原始的」なものではないか、 という分析もなされています。 一見「近代的」「先進的」とされているものがw、実は「野蛮」なものかもしれない、とw トッド氏によると、この学説、イギリスやフランスの学者達からは「決定論」として受け止められ、「人間は自由だ!家族形態なんかに 左右されてたまるか!」と反発されることが多いそうですw トッド氏に言わせると、「『自由強迫症』(人間は自由でなければならない、という強迫観念)に罹っているように見える」とw 一方、ドイツや日本では関心や理解を示してくれることが多いそうで、その理由として、経験主義、「経験則」を重視する文化が あるからではないか、と分析しています。 たしかに日本では、「人間って、そういうとこあるよね~」と受け入れらやすい気がしますねw トッド氏の生い立ちや家族、来歴を見ると、彼が「一般的なフランス人」ではなく、ある意味「マージナルマン(周縁の人)」 だったことも、これだけ斬新な見方が出来た背景の一つじゃないかと感じます。 「エゴ肥大症」「世代間の断絶」「自由強迫症」、これらはアングロサクソン社会に限らず、日本社会も直面している感が強いですがw、 アングロサクソン的価値観やグローバリズムを鵜呑みにせずw、経験則や社会史、民衆史観等で捉え直す必要があるな~と、 アメリカ製ドラマを観ながら感じます。 ちなみに、アングロサクソンの成功観って、「出来るだけ早く一発当てて、後は悠々リタイア」っていう印象が非常に強いんですがw、 江戸時代から続く日本の老舗の成功観等の方が、健全で日々充実してそうに思えてしまうのは、私が日本人だからでしょうか?w ![]() ■
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by syotikure
| 2018-02-10 02:50
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韓流と華流・・・・あまり韓流ドラマとか華流ドラマ?は見ないんですが、ポッと浮かぶのは、中川家の「ソウルの焼肉屋さん」 「いかつい人に絡まれた時の対処法」とw、劇団ひとり氏のネタですw 映画「少林サッカー」は大好きですね。これは衝撃的でしたw CGは勿論のことですが、あの「突き抜けた」感じはw、クレージーキャッツの「無責任」シリーズと共通するものを感じますw 仕事等で大分を訪れることが多いんですが、最近大分の観光地等で、東アジアの近隣諸国から来られている 外国人観光客をよく見かけます。 昨年、仕事で都城のビジネスホテルに泊まった際も、東アジア系外国人を見かけて、びっくりしたことがあります。 都城に、外国人の関心を惹くような観光資源なんかあったかな?とw ま、よく分かんないけどw、少しでも外貨を落としてもらえれば有難いな、と思ったもんでしたw 若干服装のセンスが違うので、「外国の人だな」と気付くことが多いですが(時々外れますw)、 喋ってる言葉を聴いて初めて外国人と気づくこともあり、グローバルアパレル企業のせいでw、 東アジアも「均質化」しつつあるのかな~と思ったりしてますw ただ、日本人と同じような服装の人達が仲間同士で喋っているのを遠目に見かけ、言葉がはっきり聴き取れないのに、 「あ、外国の人だ」と気付くこともあり、何が違うんだろう?と以前から不思議に思っていました。 ![]() (大分県別府市 海地獄) 先日たまたま嫁女とそういう話をしていて、ふと思い当たったのが、表情、しぐさ、ボディ・ランゲージの違い、です。 ふとした瞬間の表情やしぐさ、ボディ・ランゲージ、そして同じものを見ても微妙に反応が違うのは、 もしかしたら表情(表現)にも「文化コード」(育った、または所属している社会の文化的規範、規律)があるんじゃないか、と。 基本的な喜怒哀楽の感情は、人間ですから当然同じでしょうが、その表現(表情)の大きさ(や長さ)、タイミング(間)が、 どうも地域や国で違うんじゃないか、と。 ベトナム戦争の時、ベトナム兵捕虜が尋問を受けていて、日本でいう「ヤンキー座り」をしていると、 アメリカ兵がイライラして無理矢理立たせたり、自分達と同じ片膝をついた姿勢を強要した、 という話を、高校生の頃本多勝一か開高健の著作で読み、民族や文化によって、「姿勢」の意味、 受け止め方が違うんだんな~と少し驚いた記憶があり。 アメリカに住むことになった人が、恩師から「鏡に映った自分の顔が、ハンバーガーに見えるようになるまで踏ん張れ」 と激励された、という話を若い頃に聞いたことがあって、その激励の意味がやっと解ったような気がします。 周りの人達が、君の表情やしぐさに違和感を感じないぐらいにならないと、その地域社会には溶け込めない、根差せないよ、 ということかと。 子供の頃、日本社会の外で育ったので、日本社会で育った日本人とは違う表情(の大きさ)やタイミングを持っているんじゃないかと。 じゃあ、中川家の礼二氏はどうなんや?と訊かれそうですがw、あれは、「芸」という感じがしますねw 言語、表情、しぐさの芸w 日本人は、遺伝系統的には大きく6系統に分けられ、「アジアの雑種」とも呼べるそうでw、関西は昔から人の交流が多いので、たまたま礼二氏に大陸的な特徴が色濃く出ている可能性も無い訳ではありませんがw どういう理由にせよ、人の顔のことをあれこれ言うのはw、ちょっと失礼ですねw これは、親からの「躾け」という「文化コード」になりますかw (海地獄の土産屋で見かけたシュールなストラップw) 同じ日本人、同じ九州人でも、お隣の鹿児島には、なんか表情の違いを感じますねw 気合が入っている表情の男性が多いというかw 仕事で滞在した北九州では、コンビニに立ち寄ると、何の仕事をやってるんだかよく分からないw、 ちょっと他所では見かけない種類の薄笑いwを浮かべた若い兄ちゃんを、ちょこちょこ見かけた記憶もありw 同じ宮崎県民でも、地域によって、しぐさの違いを感じることがありますね。 今住んでいる門川で、時々おばちゃん達が道端で話しているのを見かけますが、県北だな~と感じるのがw、 話が長くなって疲れたのかw、壁にもたれて頬杖をつきながら話す姿勢、しぐさです。 これは、宮崎市周辺や都城ではまず見ない、県北、それも漁師町辺りでしか見かけないしぐさで、 以前冗談交じりで義母にそう話すとw、「漁師町で行儀が悪いっちゃろかね~、他所ではやらんとね?」と 少し恥ずかしそうにしていたのを覚えてますw 県北だけで見かけるということは、その地域社会の中で、祖母、母親、近所のおばちゃん達から娘世代へと引き継がれてきた、 ある程度固有の「民俗」的しぐさ、なんでしょうね。 よく、町には「表情」がある、と言いますが、そこに住む人達に、何らかの背景、「文化コード」を伴った表情が、 どうもあるように感じます。 「文化コード」と強く関係することだと思いますが、日本は「同調圧力」が強い社会と言われたりします。 この「同調圧力」、考え方や思想の強要というよりは、「私も同じ感じ方をしてますよ」と表情を合わせる、 あるいは「異論はない」ことを表情に出す、のを強いられる圧力、のような気がしますねw 子供の頃、学校や部活等で「なんだその顔は!他の『みんな』は納得してるぞ!」と、 「表情を合わせる」ことを強いられる叱責があったことを思い出しますw 考えていることは全然違うのにw、とりあえず表情だけ合わせておけばw、波風立てずwスムーズに運んでいくというw で、最終的にそれについて誰が責任を取るかというと、「みんなで決めたこと」だから「連帯責任!」にされる場合が 多かったような・・・・w 「無責任社会」の「温床」はw、もしかしたら、この「同調圧力」かもしれませんなw 「我がまま」=「我が思いのまま行動する」と、「自分の行動(と結果)」に「自分で責任を取る」必要が出てきますが、 「我がまま」を通さなければw、その行動は「自分で決めたこと」ではないので、「自分の責任ではない」と思うのが自然ですw この風習の利点はw、自分でものを考えなくても「考える人が考える」ので、ただそれに乗っかって流れに身を任せていれば済むw、 何かあっても自分だけが責任を負わなくてよいw、「みんな」同じ「境遇」なので共感や連帯感が得やすいw、等でしょうかw 「ムラ」社会の名残り、封建時代の庶民の生活の知恵wのような感じもしますがw、江戸時代の百姓は、越訴、一揆、逃散、 町人も打ちこわし等やって「意思表示」してましたからねw 村の管理運営を行っていた「村方(地方)三役」には、名主(庄屋、肝煎)・組頭(年寄り、脇百姓)・百姓代(長百姓)があり、 名主は一村の長で村政を統括し、組頭がその補佐を行い、百姓代は小前百姓を代表して前二者層の村政運営を監視していました。 民俗学者の宮本常一氏がフィールドワークした長崎県対馬の村政運営では、村で何かの事柄を決めるのに、各戸から集まってきて、 経験や言い伝え、それについて思いつくこと等をとにかく出し合い、途中話が脱線したりw昔話に花が咲いたりしながらもw、 皆が納得するまで話し合って決めたそうです。なかなか決まらない場合、時によっては一週間近くも弁当を持ち寄って話し合ったとかw ただ、ここまで話し合って決めたことは、後から不平不満が出ることはまず無かったそうで、「多数決」で決めるのは最後の手段、 「下の下」の策、という認識だったそうですw また、日本近世史・村落史が専攻の渡辺尚志氏の研究では、地域性はありますが江戸時代は今想像する以上の「訴訟社会」だったそうで、 こういう「同調圧力」が「全国」的に強くなったのはw、もしかしたら近代以降、「近代国民国家」の国民の「統治方法」の影響が かなり大きい気がし・・・・w ![]() 野村克也氏が、「考え方を変えることで行動を変えていくやり方は、意志を継続させるのがなかなか凡人には難しい。 それよりも、行動を変えることで考え方は変わるので、まず行動を変える方が凡人にはやさしい」と語っていました。 これは、「行動の同調」が「思考の同調」にも繋がる、ということであり、悪用されると怖いことでもあります。 ブラック企業の社員教育の手口は、これを応用したものと言えるかもしれません。 まず、理由は何でもいいから社員のプライドをへし折り、「こうあらねばならない!」と社訓的なものを何百編も復唱させたり、 キャパ以上の仕事を与えて失敗させることで自信を喪失させ、自分の頭で考える余裕や時間を与えず、行動を完全に支配下に置いて、 なんでも言うことを聞くようにしていくやり方です。 外務省にも似たような「新人研修制度」があったそうでw、キャパ以上の仕事を与えられ、徹夜でやっと資料を作成して 上司に提出したら、「上の方針が変わったから」と目の前でゴミ箱に捨てられた、と作家の佐藤優氏が書いてましたねw 「はたしてあれは、『大人』の集まった組織だったのか?」ともw 以前、4年半ほどブラック企業に在籍したと書きましたが、幸いこういった「洗脳」され「同調」を強要されるブラックではなくw、 ルート営業なのに3ヶ月連続で昨対を割ったらクビとかw、「日計」が通算で昨年実績を割ったら、営業部が数字をクリアするまで 「連帯責任」で社員全員退社出来ないとか(営業側は、会社が従業員を人質に取って立て籠る様からw「人質作戦」と呼んでましたw)、 ある意味「無邪気」というか「愛苦しい」ブラックでしたねw あまりの立場の不安定さに、ある営業マンが「今度結婚するので、退職します」と「寿退社」したこともありましたw 男が「寿退社」するのを見たのはw、50年の人生で1回っきりですw 誰がいつクビになるか分からないのでw、営業が20人以上いながら妙な派閥もなくw風通しもよくw、その辺が理解出来てる 営業マンとは自然と「戦友」的な連帯感も生まれw、何かあったら情報を共有して「共通の敵」と対峙してましたw 数字が悪い月の営業会議では、呑気な顔をしてるとw「戦友」の上司への風当たりが強くなるかとw、 とりあえずしおらしい顔して座ってましたねw 辞めて10年近く経ちますが、在職中仲の良かったメンバー達とは、今でも忘年会等で集まっています。 「戦友」の繋がりって、なんか続くんですね~w この会社に在籍していた期間を含め、都城には約10年住んで、地元の温かい人達と交流させて頂き、至って居心地が良かったんですが、 よく分からないところも正直ありまして・・・・w 職場で同僚たちと話していて、どんな内容だったかは忘れましたが、冗談で「そんなこと言ってたら、チェスト~ッ!って 示現流で斬られない?」と言ったら、辺りを見回した上司から真顔で「変なこと言うな!」とたしなめられたことがあり・・・・w 表には決して出てこないw、よそ者には分からない未知のアンダーグラウンド組織がw、まだこの辺りにはあるのか・・・・? と少し背筋が寒くなりw また、「権威権力に滅法弱い」人が、なんだか多い印象もありまして・・・・w ま、「同調」して「弱いフリ」をしてるだけなのかもしれませんがw、なんで日常的に「弱いフリ」してなきゃいけないのかw、 よく分からないという・・・・w 用事があって訪れた市役所のある課では、女性職員が窓口に来ていた老婦人を叱り飛ばしていて、 なんかすごいな~と思って見ていたらw、視線に気付いたその女性職員に睨まれた記憶もあり・・・・w 未だに「官」が偉い地域なのかな・・・・?と感じましたw 市民にサービスする行政「サービス」機関ではなく、市民を統治する行政「統治」機関か?とw ま、300年以上もガッチガチのヒエラルキーで固まっていた地域ならでは、でしょうか・・・・。 ![]() 江戸時代の諸藩では、武士層が全人口に占める割合は5~6%ぐらいでしたが、旧薩摩藩では武士層が約26%もいたそうで、 今でも「ウチは武士の家系だ!」と胸を張る人に出くわしやすい地域ですw この武士層の中で、城下士(鹿児島衆中。城下町に居住する武士)は約11%だったそうで、人口全体でいうと約2.8%になり、 残りの約89%、全体の約23.2%は郷士(外城衆中。地頭所居住)、家中士(私領居住)として外城(麓)の農村地域に 配置されていました。 「チェスト!関ケ原!」で、徳川幕府に対する常時臨戦態勢だったんでしょうが、74%の百姓・町人を 23%の郷士が「統治」する社会でもあった訳ですね。農村に5人いるうちの2人は、「支配・統治する側」だったとw 八公二民(収穫した米の8割は年貢)の旧薩摩藩内で、ほとんど越訴や一揆、逃散の記録がなく、 庄内の伊集院氏等の「武士の反乱」しかなかったのは、このせいだといわれています。 江戸時代には諸藩で一般的だった「寺請け制度」は、旧薩摩藩内では機能しておらず、代わりに郷士層がキリスト教や 一向宗(浄土真宗)等の禁教の取り締まりを行い、百姓の生殺与奪の権利を全て握っていたといわれています。 一向宗は、中世には自治都市の「寺内町」を組織し、「加賀は百姓の国」と言われたように「国」自体を運営したりしていましたので、 その自治志向、一揆が警戒されたようです。 浄土真宗の信者達は、隠密で遠く日向の串間まで坊主の話を聞きに行っていたそうで、都城のあちこちに今でも 「隠れ念仏」の跡が見られます。 霧島山麓の「カヤカベ教」のように、アンダーグラウンドで代々念仏を受け継ぎ、独自の教義を持つに至った宗派もあります。 明治の廃仏毀釈運動で、江戸時代まで続いてきた諸寺院のほとんど全てが破壊し尽くされたのは、この「寺請け制度」がなかったから、 という見方もあります。武士層だけでなく、一般庶民の一部も一緒になって破壊してたそうですから。 今ある寺院のほとんどは、廃仏毀釈運動への国内からの反発、欧米諸国のキリスト教教会からの批判等で見直しの動きが起き、 それ以降に旧薩摩藩内へ布教した「新興勢力」や、元々あった寺を再興したものだそうで。 また、戊辰戦争以降、旧薩摩藩内では「武士層内部の下剋上」が起こった、といわれています。 江戸から明治になり、行政組織内では倒幕に慎重だった門閥勢力(旧上層城下士)から、武力倒幕を主導した下級城下士に権力が移行し、 地租改正では旧郷士層の多くが地主となり、また県議会の議席の大半を占めていきました。 明治22年4月の市制・町村制の施行では旧郷がそのまま行政単位に移行し、町村役場はほとんど旧麓地区(外城の中心地域)に置かれ、 その地域行政は上層の郷士層が担いましたので、地域内の行政実態と人間関係は江戸時代のままだったようです。 この地域の行政と人間関係に大きな変化があったのは、太平洋戦争後の憲法改正、民主諸改革の断行、なかでも農地改革でした。 藩政時代の武士による支配が、制度的に変遷しても太平洋戦争後まで続いていましたが、二次にわたる農地改革の結果、 小作地率は35.6%から9.2%に減少し、ようやく旧士族層と旧平民層の社会的平等化がはかられた、ようです。 (中村明蔵著「薩摩 民衆支配の構造 現代民衆意識の基層を探る」南方新社、他) 百姓の挙動にも目を光らせていた「外城制度」が、何となく残っているかのような印象を受けるのはw、 これらの歴史を知ってるせいかもしれませんが・・・・w 前記の会社を退職後、「当面、サラリーマンはいいや」と、FXをやっていたある日、「3.11」東日本大震災が起こり、 それに絡んで「カジノ資本主義」の「投資家」の一人、ミセス・ワタナベの類でいることにホトホト嫌気がさす出来事があり、 最低ライン「人の役に立つ」ことで飯が食いたいと、「社会復帰」することを決めました。 「社会復帰」しようと、都城で営業の求人面接を片っ端から受けたところ、片っ端から落ちまくりw、 ブラブラしてる訳にもいかんと、県外の会社の現地契約社員となり、そのうちに妻が転勤になったので門川に引っ越しました。 契約期間も終わり、県北の地元で仕事を探すことになりましたが、県北は都城よりも営業の求人件数自体が少なかったので、 営業以外の仕事もある程度覚悟しながら、とりあえず1社面接を受けたところ、同じ週に2次面接、週明けに採用となりました。 その時は、丁度タイミングが良かったのかな~と思っていましたが、今になって考えてみると、都城に住んでいた時に在籍した会社は、 社長がある程度以上の期間東京で働かれていた経験と、また直接社長面接で採用になったという共通項があり・・・・。 そこで気付いたのが、「文化コード」ですw チャキチャキの地元、旧薩摩藩育ちの人事担当者の「文化コード」の基準では、ハネられてしまう経歴だったのかw または面接時、面接担当者の「文化コード」的には受け入れられないw、表情や態度、言動があったのかも・・・・とw そう言えば、一度だけですが面接で「普通のやり方では業績が伸びそうもない、あなたはイリーガルな手段が取れるか?」 と聞かれたことがありましたねw 笑顔で、「無理ですね」とお答えしましたw あんまり他所のことばかり書いているとw、「不公平」かもしれませんねw 都城の人から、たまに「宮崎(市内)の人間は、冷てがね~」と言われることがありますw 宮崎市中心部は、宮崎県庁が出来てから135年しか経ってない、至って歴史のない町でw、 橘通に並ぶ商店は四国出身の人が多い、と聞いたことがあります。 ある意味「よそ者が集まって出来た町」ですから、良くいえばゴリゴリの「文化コード」がなくwオープンな感じ、 悪くいえば歴史の無さからくる「軽さ」や、「同じ境遇」を背負う等の「連帯感」が薄い地域、でもあるのかな、と。 「百姓遺産」でも触れましたが、宮崎県は江戸時代には諸藩分立していて、西南戦争以後の鹿児島県庁の施政のおかげ?wで、 宮崎県として分県した経緯があり、各藩それぞれ歴史が違い、言葉も違い、風習も違うことを大前提に、小異を捨てて大同に就こうと、 まとまってきた感じなんでしょうね。 「高鍋で学問の話をするな」「都農でケンカの話をするな」w等のフレーズがあり、高千穂には古い夜神楽があり、 椎葉には稲作農耕民とは別の祭祀儀礼があり、また徳川幕府に抵抗した歴史もあり、西米良には南朝の武将・菊地氏があり、 海岸沿いには伊予の河野水軍との繋がりがあり、県北には確実にw海賊の末裔があり・・・・。 誰かが強権で「支配統治」しようとしていたらw、レジスタンスや山岳ゲリラ、海賊だらけになってたかもしれませんなw 宮崎に住んでいると、何らかの「文化コード」を強く感じる旧薩摩藩地域との比較で、色々と相対化しやすいという 「地の利」があるようにも感じますw 「近代国民国家」政府もw、実はこんな感じでやってたんじゃないか・・・・という想像も働きやすく・・・・w 私の場合、九州他県の先輩達から何故か「宮崎の人間だよな~」と言われることが多いんですがw、 高校時代、シベリアの強制収容所に捕虜として抑留された人の体験を読んで、 収容所で一番先に精神的に参ってしまったのは、顔色を読んでおべっかを使うタイプの人間だった、 と知ったことが、その後の人生に大きく影響しているような気もしますw ■
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by syotikure
| 2018-02-03 18:34
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ブログ再開第3回目w、エキサイトブログからのお題「わたしの好きなアニメ」です。 アニメ・・・・色々思い返してみましたが、TVでたまたまやってるジブリ作品等は、嫁女に付き合ってw何の気なしに見てますが、 特に意識しては、観てないですね~。 漫画だったら、「はじめの一歩」と「風の大地」だけは、ほぼ毎回欠かさず読んでるんですがw 一歩は本当に引退するのか?作者と編集スタッフの軋轢等ネット上の噂は本当か?w新型デンプシーロールが未完のまま終わらせる気か? リリィ・マクガンの妹はただの賑やかしか?wそれとも土建屋の親父に何かやらかさせてw最終日に沖田のバッグを担がせる魂胆か?w 等々興味は尽きずw 私らアラフィフは、アニメがちょうど商業ベースに乗り始めた頃、最初に「アニメ文化」の「洗礼」を受けた世代かもしれないな、と思いますw 夜の7時台はNHKニュースしか見られない家庭で育った為w、「フランダースの犬」「ダイアポロン」「侍ジャイアンツ」等はリアルタイムで 見たことがなくw、学校で友達の会話の輪に入れなかった寂しい思い出がありますがw、地域性かイヤというほど再放送で「トムとジェリー」を 見た記憶はありw、「ライディ-ン」「ガッチャマン」「テッカマン」「キャシャーン」「ハクション大魔王」「いなかっぺ大将」 「巨人の星」「ルパン三世」も、多分何回も再放送で見てますねw 永井豪作品「マジンガーZ」系もよく見てました。ポピーの超合金では、「グレートマジンガー」を持ってた気がしますw 「機動戦士ガンダム」は、非常に画期的、衝撃的な作品でした。 単純な勧善懲悪のストーリーではなく、登場人物の設定も複雑で、ザクやグフなど「敵方」ロボの造形も相当凝っていて、 「モビルスーツ」という呼び方自体斬新でしたね。 中学1、2年の頃、「ガンダム」の原作?小説を読んで、アムロとセイラのベッドシーン描写にドキドキした記憶もあり・・・・w ちょうど思春期の入り口の頃に、「ガンダム」で大人の世界をちらっと覗いた感じがしますw この頃から、アニメ雑誌やアニメ小説が、たくさん店頭に並び始めたように記憶してます。プラモデルも、相当売れてたはずでw 学校の近くの文房具屋では、ガンダムやザク、グフはすぐに売り切れてしまい、ゲッター3やサンダーバード2号と共にw、GM、ドム、 そしてなんや気色の悪いwモビルアーマー系が売れ残っていて、結局その中から、たしか消去法でドムを買った記憶があり・・・・w ガンプラを買ったのは、多分ドムが最初で最後だったと記憶してますがw、アニメ産業の興隆に立ち合い、見事に巻き込まれ下支えした世代、 なんでしょうねw ただ、関連キャラクターグッズ販売で商業的に大きな成功を収めた「走り」は、多分「スター・ウォーズ」じゃないかなと思いますw あの時は、ダースベイダーやC3PO、R2D2等のキャラクターが、街のあちらこちらで目に入ってきて、 子供ながらに、今までにない、何か大きなうねりを感じたもんでした。 「ドラえもん」「天才バカボン」も、ど真ん中の世代ですね。 「のび太のくせに生意気だ!」とその存在自体を全否定するかのような強烈な言動w、何かあったらすぐ銃をぶっ放すアメリカのドラえもんw、 「バカボン」のシュールでナンセンスな世界w(友達の中で、はっきり好き嫌いが分かれてましたw)は、高校生になっても話題に上ってましたw 漫画になりますが、高校生の頃は「のたり松太郎」が好きでw、同じちばてつや作品の「おれは鉄兵」を読み直したりもしてましたね。 後は、「ゴルゴ13」もよく読んでた記憶がありますw 思うのは、漫画は素晴らしいのに、何故アニメになるとあんなにも「劣化」してしまうケースが多いのか、ということでw 原作と同等、逆に原作以上のクオリティを感じるのは、「ルパン三世」「ドラえもん」「サザエさん」「ドラゴンボール」「名探偵コナン」 ぐらいのもんじゃないかとw 思っていたイメージと声優の声が違う、アクション系やスポーツ系はどうしても動きが悪くなる、放送上の尺の問題、製作費w等々 関係してるんでしょうかね。 ま、小説でも、ドラマ・映画化すると、すっかりぶち壊し!っていうのが圧倒的に多いような気もしますw ![]() さて、本題の「わたしの好きなアニメ」にやっと辿り着きましたw 子供の頃は、「キャシャーン」「テッカマン」「ライディ-ン」、そして「カムイ外伝」が好きだったことを思い出しましたが、 今好きなのは、やっぱりジブリ作品ですね。 「となりのトトロ」、やっぱり画期的な作品じゃないかなと思います。 バブル全盛の時代に、全てに「人工的な光」が届かない、まだ人間の手が及ばない「闇」が残存している世界、を描いていたように感じます。 何かに「人工的な光」を当てることで出来る「人工の闇」には、人間の怨念や嫉妬、貪欲、偏見、偏執等がグルグル渦巻いていそうですがw、 この自然の「闇」には別のものが息づいていて、人間がその気になれば共存できる、否、共存すべきもの、のように感じます。 もしかしたら、原始のまま残ってるのかもしれない「鎮守の森」に、妖精なのか物の怪かw、茫洋と佇むトトロ・・・・。 南方熊楠の世界観を感じますし、五月とメイが生活する「ムラ」には、宮本常一がフィールドワークして「発見」した民俗世界を感じます。 「もののけ姫」も、非常に印象深い作品ですね。 エミシの生き残りのアシタカ、白い覆面をした人々等、日本の中世社会を相当検証して描いた作品で、中世史家の網野善彦氏も絶賛していました。 宮崎監督曰く「かわいい女の子が成長していく話は、もう描き飽きたw」 で、「崖の上のポニョ」「風立ちぬ」では男(の子)が主人公になりました。 晩年の手塚治虫氏が、「もうヒューマニズムなんか描きたくない、クソみたいなもんだ、アメリカに行って好き放題描きたい」と あるラジオ番組で語っているのを聞いたことがありますが、今後ジブリからどういう作品が出てくるのか、非常に興味あるところです。 余談ですが、「なんでも鑑定団」でお馴染みの中島誠之助氏が、著書の中で、 「よその国々では、一つの『王権』『権力』が出来た時に、その庇護の下で『新しい文化』が栄えることが多いが、 日本では、民衆が元気な時に『新しい文化』が生まれて栄えることが多い傾向がある」 と書いていて、マンガやアニメも、非常に「日本的」な土壌の中で生まれて栄えてきた「文化」の一つ、であるのは間違いないように思います。 ■
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by syotikure
| 2018-01-30 02:06
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ブログ再開第2回目はw、エキサイトブログからのブログテーマ「私の好きな映画」です。 好きな映画は結構あって、すぐに思い出せないものもあるんですがw、手元にあるDVDを中心に選んでみました。 ![]() 古い順から行くと、まずはチャップリンですね。 一番最初にチャップリンの映画を観たのは小学生の頃で、NHKか何かで連日短編ものが放送されてたのを、家族で観てた記憶があります。 中でも、「モダンタイムス」「キッド」「給料日」は、何度も観てますね。 「ユーモア」「ペーソス」「ヒューマニズム」「古典」「ベタ」wと言ってしまえばそれまでなんですがw、 助演の役者も素晴らしくて、ハズレがない気がします。 次は、黒澤明監督作品です。 中でも、「七人の侍」「用心棒」「生きる」は好きですね。 「七人の侍」の、志村喬演じる分別ある「侍」と、三船敏郎演じる侍になりたい「百姓」の価値観・行動原理の対比、戦闘シーンの大迫力、 斬った人間の脂で斬れなくなるのを見越して何十本も地面に突き立てた刀のリアルさ、この戦の本当の勝者は誰か?等々見応え充分です。 「用心棒」は、「七人の侍」と同じく、どこか中世の「道々の輩」や「惣村」を感じさせ、居酒屋の親父を演じる「初代黄門様」東野英治郎も いい味出していますね。 「生きる」は、テーマ設定と、志村喬の演技に尽きるんじゃないでしょうか。 ただ、「赤ひげ」については、山本周五郎の原作の方が好きですねw 高倉健主演作品もいいですね。 「幸福の黄色いハンカチ」「駅 STATION」「居酒屋兆治」「鉄道員(ぽっぽや)」「あなたへ」等大好きですが、 「昭和残侠伝シリーズ」も捨て難い魅力がありますw いざとなったら頼りになる義侠、いぶし銀のような渋い好漢の池辺良、びっくりするほどいい女の三田佳子、 今を時めく?w津川雅彦や梅宮辰夫、松方弘樹が弟分役で出ていたりと、見所満載です。 邦画では、「男はつらいよシリーズ」も大好きですが、この1本!が決め難く・・・・w 渥美清の主演作品では、「続・拝啓天皇陛下様」も好きな映画です。 小沢正一演ずる散髪屋の王さんの台詞「うんこの善さん!」が、なぜか耳について離れませんw 「X-ファイル ザ・ムービー」 20代後半~30過ぎぐらいの頃、何がキッカケだったのかは分からないんですが、このシリーズにどっぷりとハマってしまいw、 しょっちゅうレンタルビデオ屋に通っていたのを覚えてますw このTVシリーズ、オカルトものやゲテモノ?w、UFOものとして有名ですがw、特にそっち系オタクだった訳でもなく(中学生の頃、 たまに学研の「ムー」は読んでましたがw)、「政府の陰謀」シリーズが好きでしたね。 この「ザ・ムービー」は、「陰謀」シリーズの延長線上に制作されていて、初めて一人でwレイトショーを観にいった記憶がありw 子供の頃、妹を宇宙人に誘拐されたトラウマがあり、常識に囚われない思考と行動力を持つFBIきってのプロファイラー・モルダー捜査官と、 医学の博士号、物理学の学位、冷静な観察眼、論理的な思考を持つ、自他共に認めるサイエンティスト・スカリー捜査官。 この二人を、スキナー副長官や「ディ―プ・スロート」、「肺がん男」、A・クライチェック等々、魅力的で人間臭い味方や見事な敵役達wが 囲んで展開していきますが、基本は一話完結なので、時には現代社会の風刺やユーモア溢れる回、それぞれの内面に迫る回もあったりと、 充実した脚本スタッフの存在を感じさせます。 二人の、信頼しつつもストイックな関係が、作品全体にいい緊張感をもたらしているようにも感じますね。 だから、この映画のファーストキス(人工呼吸w)シーンは、拍手ものでしたw このスカリー捜査官、実は理想の女性ですねw 自立して、知性、教養、人間性、行動力を併せ持ち・・・・、ボヤボヤしてるとすぐ見限られそうですがw まったくの余談ですがw、この間の忘年会の2次会、都城のバーで飲んでいて、応対してくれた「夜の飲み屋街でナンパするのが趣味」という おねえさんとたまたまこの話をしてたら、「Mやと思うけど」と言われてしまいましたw 「プライベート・ライアン」 S・スピルバーグ監督の作品は、他に「シンドラーのリスト」も好きですね。 この映画は、戦争の悲惨さや残酷さ、国家・体制の矛盾等々を、見事に描き出しているように思います。 「アバター」 「ターミネーター」「タイタニック」等で有名なJ・キャメロン監督作品。 初めて観た時は、とにかく呆れるほど見事なCGに圧倒され、そのストーリーに「ただのハリウッド映画ではないな」と感心しました。 「異文化」を持つ「異形異類」の異星人と動物達が暮らす緑豊かな星へ、コストが全てに優先する「野蛮」な「資本の論理」が「侵略」を企て、 下半身麻痺を治してもらうことを条件に「傭兵」となった主人公が、特殊な先兵役を務めることになり・・・・。 以前ある本で、「戦争は経済だ」と読んだことがありますが、それが非常に分かりやすい映画でもあります。 この作品、発表時には時節柄もあって退役軍人会や、一部キリスト教団体から相当な反発があったとかで、 「世界の警察」「一神教」国家にはかなり刺激的だったようです。 最近DVDで観た映画では、「最高の人生の見つけ方」が印象深かったですね。 学生の頃「カッコーの巣の上で」を観て強烈な印象を受けたJ・ニコルソンと、「ショーシャンクの空に」「セブン」「コレクター」等、 個人的には「アメリカの志村喬」と思っているwM・フリーマンが出れば、よっぽど脚本がつまらなくない限りハズレの訳がない、 これだけの大御所がつまらん仕事をする訳がない、と思ってDVDを買いましたw M・フリーマンには、知性、風雪に耐えた重厚さ、春風のような温かみを感じ、非常に好きな俳優ですね。 なんとなくですが、南アのネルソン・マンデラ氏が、ダブって見えてしまいます(勿論、共に直接お会いしたことはありませんがw)。 追記 何の気なしに検索してたら、実はM・フリーマン、マンデラ大統領役を演ってるんですねw それも、マンデラ氏側からの希望で。 「インビクタス/負けざる者たち」、近々観てみたいと思います。 ■
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by syotikure
| 2018-01-28 00:36
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ご無沙汰しております。 約2年ぶりのアップとなります。 2年前の4月14日、仕事で熊本県の八代市を訪れて、高千穂越えで夜9時過ぎに門川へ戻り、 自宅とは別に借りている駐車場へ車を停めて降りた途端、今まで経験したことのない大きな揺れに襲われました。 高台に車を移動させないと津波にやられるかと、慌てて自宅の嫁女に電話して確認したところ、 震源地は熊本なので多分日向灘は大丈夫じゃないか、と・・・・。 幸い宮崎は比較的被害が少なくて済みましたが、メディアで報道される熊本や大分の方は大変な状況で、 八代在住の知人達からも被災地の生の声がリアルタイムで耳に入ってきました。 それから、呑気な内容をブログにアップするのはどうにも気が引けるようになり、また、それ以前から、 「インスタ映え」ならぬ「ブログ映え」を気にしたりw、当たり障りのない婉曲な表現wを探すのに ちょっと嫌気が差していたこともあって、すっかりブログから遠のいてしまいました。 ただ、たまたま最後のアップが熊本の阿蘇でしたので、それまでブログを見て頂いていた方々に誤解されるのはまずいかと、 生きている証としてw読んだ本だけは「マイフェバリット」で随時更新しておりました。 去年も温泉に行ったり博多までナイツの独演会を観に行ったりとw、それまでどおりの毎日を送っていましたが、 一度離れてしまうと、なかなかアップする気にはならないもので・・・・。 ま、あまり一般ウケしなさそうな分野・方面に、興味関心が向いていたせいもありそうですがw 今回偶然に、ブログの主催元であるエキサイトが、20周年を迎えたことを知りました。 振り返ってみると、最初にエキサイトを利用したのは18年ぐらい前で、このコンテンツがなかったら多分出会わなかった、 今は別の人生を歩いていたろうなと思わせる、転機となる幾つかの出会いがあったことに気付き・・・・。 また、改めてブログを見直すと、その時々の私ら夫婦と一匹の状況、出会った人・土地・酒、自分の嗜好や志向、 目線、視野の変化が時系列で分かって、やっぱりちょっと代わりのない記録媒体だな~と・・・・。 昨年末に50歳となり、一つの節目として、20周年キャンペーンで落語の三題噺みたいに出されたお題をきっかけにw、 ブログを再開することにしました。 今後どういう形でアップしていくかはまったく未定でw、とりあえず動きながら考えようかなと思っています。 今更「ブログ映え」を狙って「リア充~っ!」を叫ぶ気もないですしw、もの分かり良くw丸く収まる気もないのは確かですねw ![]() (H30.1.18 早朝、鹿児島内之浦から打ち上げられたイプシロンロケット3号機の軌跡を、我が家の前から眺めた図。 「ありゃなんやろかい?」「天変地妖の前触れじゃろか?」等々の問い合わせがあった、と地元紙が報道してましたw) 上がり坂:嬉しかったことや楽しかったこと 下り坂:辛かったことや悲しかったこと、悔しかったこと まさか:驚いたこと 結論からいきますと、あの徳川家康ではありませんがw、あえて「坂道」で表現すれば、「上がり坂」の途上という感覚が強くて、 これまでに嬉しいことや楽しいこと、辛いこと、悲しいこと、悔しいことも色々あったな~、という感じですw 「感情」「気分」と人生の「上がり坂」「下り坂」に、直接的な因果関係をあまり感じないというかw、感覚的になじまないんでしょうねw 若い頃から折に触れ、「毀誉褒貶に一喜一憂してもしょうがないよ」と先輩達から教わってきた影響が大きいのかもしれませんがw、 その過程で何を考えて、何をしようとしていたかが重要で、その過程を意地でも無駄にせずw、可能ならばその過程を楽しめれば いいんじゃないかな、とw 自分では防げない、天災、ケガ、病気、最愛の人をなくす等、そういう局面では、辛さや悲しさが「下り坂」とリンクしやすいかもしれません。 これから確実に経験しそうなことも入っていますが、「人間は経験しないと感情は出てこない」といわれ、また「人の一生には反復的な面が多い」 ともいわれます。 「自然の道理」を知る、経験した人に聞く、人生の先輩に学ぶ、「人の歴史」を知ることで、なんとか乗り越えたいなと思っていますし、 また、その体験を誰かと共感することで、新たな「楽しみ」に繋がればいいな~、と思っています。 結局、楽観主義者なんでしょうねw アンケート等に「50歳」と記入する時、まだ「誰の歳や?」と思ってしまいますがw、以前読んだ本で、 「地球上の生物は、心臓が動く回数が大体決まっており、大きな生物ほどゆっくり動いて長生きし、小さな生物ほど速く動いて短命の傾向がある。 人間は生物学的見地から見れば41.5歳が寿命で、昔の人が『人生五十年』としたのは妥当」(本川達雄著「人間にとって寿命とは何か」) と知り、「50歳以降はオマケ、丸儲けみたいなもんか」と考えたりもしていますw また、50歳になる前後、「四十にして惑わず、五十にして~」いう言葉がちょっと気になり出しw、古の中国の哲人や世間一般的wには、 50歳はどうあるべきと捉えているのかネットで調べてみたところ、「164MARKETING」というブログに「異説」を発見しましたw 「吾、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る」 十五歳を「立志」、三十歳は「自立」、四十歳で「不惑」、五十歳は「知命」と呼び、これまで、三十で自立し、四十になれば迷いがなくなり、 ふらふら放浪せずに自分の生き方や行動に従い人生を生きてゆけて、五十に天命をさとり人生を全うする、と解釈されてきたが、 実は「惑」という字は孔子の時代には存在せず、音と形が似た「或」の字が本当ではないか、という説です。 「不惑」だと「惑わず」になるが、「不或」だと「区切らず」という意味になり、「四十にして区切らず」と解釈すべきで、 四十歳ぐらいになればある程度成果が出て、自分に自信もついて安定してくるが、新しい領域にチャレンジしていかなければいけない、 というメッセージだと。 自分に当てはめてみると、「不惑」でなく「不或」ならばw、大体この通りに人生を歩んできているのが、ちょっと不思議ですw 東洋の知恵、経験則、経験智、なんでしょうかね。 高校3年間受験勉強そっちのけでw興味の向くまま300冊以上本を濫読したりw、30過ぎて21世紀になったのを良い機会とw 営業職に転身したり(勿論w現状と先を見て、その時点でベターと判断してw)、40過ぎて4年半ほど在籍していた「天然」ブラック 企業を辞めw、「当面サラリーマンはいいや」と1年ほどFXをやったりとw(おかげで相場観と経済知識を得、「カジノ資本主義」の 本質も垣間見w、一方で「自分」と向き合う時間にもなり、その後「3.11」を機会に「社会復帰」しました) 「教員を10年やったら社会復帰出来ない」と言ったのは作家の 城山三郎 ですがw、前出の企業に在籍中、ある先輩から、 「気を付けんと、営業を10年以上やってたらバカになるぞ」と聞きましたw 目先の数字、必要に迫られること、後は遊ぶことしか考えなくなる、という意味のようで、思い当ることもあったのでw、 出張中に読書の習慣を取り戻しました。 このブログを通じて知り合った 立ち呑みHAKUDOUさんから 藤沢周平 を教えて頂き、15、6年ぶりに小説の世界に引き込まれ、 そこから 池波正太郎、隆慶一郎 に行き、そして 網野善彦 に出会いました。 高校時代、本田勝一の極限の民族三部作や「アメリカ合州国」他、川喜田二郎の著作等は読んでいて、文化人類学的な見方、 相対観が身に付いていたようで、多分初めて読む社会史(民衆史)でしたがすんなり入れて、かなりのインパクトを受けました。 「聖徳太子は『日本』人ではない」「百姓は『農民』ではない」等々、挙げ出したらキリがなさそうですがw おかげ様で、日本の中世社会史だけでなく、考古学、近世文化・社会・人口史、民俗学にも興味は広がり、現在に至っています。 網野善彦氏や城山三郎氏など、昭和2年(1927年)前後生まれの学者・作家には、相当影響を受けているな~と自覚しています。 この年代の方々から受けた大きな影響の一つが「史観」、「民衆史観」ですね。 どこから歴史を見るか、です。 この1927年前後に生まれた人達には、いろんな意味で世の中に大きな影響を与えている人が多い印象もあります。 1926年(大正15年~昭和元年)―渡邉恒雄、フィデル・A・カストロ、ジョン・コルトレーン、チャック・ベリー、祖父江孝男、植木等 1927年(昭和2年)―バーノン・スミス、石牟礼道子、サミュエル・P・ハンティントン、吉村昭、城山三郎、緒方貞子、藤沢周平 1928年(昭和3年)―池田大作、網野善彦、渥美清、ジェームズ・ワトソン、ポル・ポト、チェ・ゲバラ、森浩一、A・ウォーホル、 A・トフラー、土井たか子、A・N・チョムスキー この歳になると、若い頃のように色々と指摘してくれる存在って、本当に少なくなってきます・・・・w 身近では唯一、嫁女が色々言ってくれますがw、「それは、結論出てたやろ?」とかw「今、それを言ってどんげなる?」w、 「(どの立場で)それを言えるや?」とついつい思ったりとw、なかなか素直に聴くのは難しいもので・・・・w 良い本を読む、良い人に会うことが、成長、共感、笑いwの機会となり、上がり坂だろうが下り坂だろうがw、 朗らかに生きていけるんじゃないかな~と感じています。 ちなみに、このブログを始めた2005年前後から、著作に接し刺激を頂いた作家、学者です。 加藤諦三、色川武大、藤沢周平、池波正太郎、隆慶一郎、松本清張、宮部みゆき、山本一力、城山三郎、K・ウォード、吉村昭、 網野善彦、沖浦和光、森浩一、田中圭一、川勝平太、田中優子、渡辺京二、三田村鴛魚、宮本常一、佐々木高明、白水智、 渡辺尚志、金子勝、宮崎学、佐野眞一、魚住昭、佐藤優、E・トッド、中島誠之助、青山二郎、北王路魯山人、加藤唐九郎 最後のお題「まさか」 まさか・・・・中2年経ってブログを再開するとは思ってもいなかった、ってとこですかねw そういえば、警察関係が特殊詐欺撲滅ソングとして作った歌の題名が、「まさかの坂道」でしたw また、今後ともよろしくお願い致します。 ショチクレ ■
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by syotikure
| 2018-01-25 22:26
| 道端
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長いことブログをご無沙汰しておりまして(笑、暮れも押し詰まり(笑、2ヶ月も穴を開けるのもどうかと思っていましたら(笑、 小林市のPRビデオ第2弾が出来たと知り(笑、前回に引き続きご紹介を・・・・(笑。 まあ確かに(笑、山の中で遭難してやっと助けが!それも神様!と思ったら、言ってる意味が全然分からない、というのは・・・・(笑。 相手が人間だったら、言葉は通じなくとも、人情、ホスピタリティ的なもので(笑、ボディランゲージで道案内とか、 緊急避難的な処置も期待出来るんでしょうが(笑、神様がどこまで「下情」に通じてるかとなると・・・・(笑。 日本の神様達って(笑、なんか結構気まぐれというか(笑、「DQN」なところ?(笑 感じますもんね(笑。 この動画を見ていてふと思い出したのが、最近ネット上の記事で読んだ、「翻訳語」の定義、認識のいい加減さ です(笑。 “Freedom” を「自由」と訳したのは福沢諭吉と言われていますが、元々「自由」は中世では勝手気ままに振る舞うというネガティブな
意味合いがあり、諭吉は相当躊躇したと言います。 “Freedom” には、「保護・規制の下での」という意味が、含まれているからだそうです。 「社会」という言葉も、近代に入って “Social” を翻訳して出来た「造語」で、漢字圏では普通に使われているという「共産主義」という 言葉も、実は近代の「日本製」とも言われており(笑。 この記事によると、キリスト教圏で “Spirit” (=精神) は、土をこねて作った人形に(創造主の)神がこれを吹き込んで人間が 出来たから崇高で、唯一神とのコミュニケーションを取る為のもの、という認識があるそうです。 この「精神」という言葉、実は明治期に “Spirit” を輸入(翻訳)する際にこさえた「造語」で(笑、日本古来から認識されてきた 言葉、概念ではない、と(笑。 キリスト教圏では意味が明確だが、日本で「精神」主義となると(笑、大概ワケのわかんない方向に行ってしまうのは、 この為ではないか、と(笑。 ちなみに、キリスト教圏での「精神修養」は、教会に行くことだそうです(笑。 あのラグビー日本代表の五郎丸選手が、TVで「メンタルは鍛えられない」と語っていましたが(笑、ラグビー日本代表の メンタルコーチを務められていた、荒木香織氏の記事 もなかなか興味深いです。 「歴史の話」(網野善彦・鶴見俊輔 朝日選書)という本の中で、鶴見氏が、 「昔からの言葉、『村』『町』などには意味の年輪、重層性があり、歴史の中で意味が微妙に揺れている。 明治期に翻訳で作られた言葉、学術語には、意味の重層性が全くない。『市民社会』『階級』等、切っても一つの意味しかない。 翻訳前の元々の外国語も当然持っていたはずの重層性を、簡単に切り捨ててしまっている。 意味・定義が固定されるので、官僚試験等の受験には適した言葉になるかもしれないが(笑、本来含んでいたはずの意味を汲み取れず、 非常に単純化された認識しか持てなくなる恐れがある。 ドイツに留学しカントやヘーゲルを勉強した人が帰国して『もはやドイツから学ぶことはない』と言い、東大で哲学を教えていた ケーベルがそれを聞いて呆れてしまい、日本で教えるのがイヤになった、という話が残っている(笑。 これが、日本の近代の学問の問題だ。」 と語っています。 「精神」という言葉(笑、日常的に当たり前のように多用され(笑、非常に重要な概念だと思うんですが(笑、 最近では「スピリチュアル」やら「(スピリチュアル)パワー・スポット」やら(笑、増々ワケのわかんない言葉、概念が 増殖している感もあり・・・・(笑。 他にどんな言葉が、近代の翻訳でこさえた「造語」で(笑、本当の意味で共通「認識」されているのかと・・・・(笑。 「価値観外交」等当たり前のように言われておりますが(笑、本当に「共有」出来てんのかどうも怪しく(笑、 お互い良いように「勘違い」してるだけなんじゃないの?という気もし・・・・(笑。 ま、人間関係自体、「勘違い」で成り立ってる面って確かにあり(笑、「国対国」の関係も、人間関係の延長線上にあるのは 間違いないかと・・・・(笑。 ここ7、8年、日本の考古学や中世史、近世の文化史、社会史、思想史、また民俗学等の本を読むことが多く、 教科書に載っていなかった「日本人」「日本社会」の実像に出会うこと度々で(笑、実に面白く、「立脚点」の確認を迫られることも 多いんですが(笑、一方で、近代以降との「断絶」も痛感しています。 何を得た代わりに、何を捨てたのか、何故、そうなったのか、と。 今年は、仕事の関係で今まで経験のなかった角度から「世間」を眺める機会に恵まれ(笑、 来年はますます面白くなりそうな気配です(笑。 どちら様も、良いお年をお迎えください。 ![]() にほんブログ村 ■
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by syotikure
| 2015-12-31 13:36
| 諸々
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ビールを飲みながら yahoo を見ていたら、意外な盛り上がりを見せていましたので(笑、 ご存じの方も多いとは思いますが、ご紹介を(笑。 宮崎県小林市 移住促進PRムービー "ンダモシタン小林"です(笑。 野尻の「西諸弁ポスター」も面白かったですが(笑、動画の威力もなかなか・・・・(笑。 グローバルと言われている時代に(笑、ローカルの魅力、ネイティブの凄味?(笑 を感じさせてくれます。 ちなみに、フランス人が、「陰陽石」をどうデッサンするのか、興味津々でした(笑。 字幕を出して見ると、更に面白いです(笑。 私が11年間住んでいた都城弁とも、微妙に違うような・・・・(笑。 ![]() にほんブログ村 ■
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by syotikure
| 2015-09-03 00:53
| 諸々
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8月に入って、お盆で帰省した以外は、出張だなんだの日々が続いています・・・・(笑。 出張先でふらりと立ち寄った本屋で、今まで目にしたことの無かったおもしろい本など見つけ、 決して仕事だけの毎日ではなかったんですが(笑、なんや、遊んでなかったかな・・・・と(笑。 台風一過の晴天はつかの間、早くも秋雨前線がかかり、朝晩めっきり涼しくなって、 今年は秋になるのが早いのかな~と何となく思っていたら、東の方から花火の音が・・・・。 恒例の、「かどがわ納涼花火大会」でした。 ![]() 右手に山があり、風向きも正面方向で、花火鑑賞的には今一つでしたが(笑、 近所の人達も涼みがてら20人ほど出てこられていて、一緒に花火の光と音を満喫・・・・。 ![]() 8時ぐらいから上がり始め、半を過ぎたのでいい加減そろそろだろうと家に引き揚げましたが、 花火の音は一向に止む気配が無く・・・・(笑。 9時前ぐらいになって、一際大きな音が等間隔で聞こえ始めたので、これで締めかと二階に上がると、 ![]() ![]() 一際高く大きな花火が、連続で打ちあがり・・・・。 どうやらこの花火が、今年の夏の見納めとなりそうです。 ![]() にほんブログ村 ■
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by syotikure
| 2015-08-30 21:24
| 道端
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