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~ ブログテーマ わたしの好きな韓流・華流 ~ 「文化コード」と「同調圧力」


韓流と華流・・・・あまり韓流ドラマとか華流ドラマ?は見ないんですが、ポッと浮かぶのは、中川家の「ソウルの焼肉屋さん」

「いかつい人に絡まれた時の対処法」とw、劇団ひとり氏のネタですw


映画「少林サッカー」は大好きですね。これは衝撃的でしたw

CGは勿論のことですが、あの「突き抜けた」感じはw、クレージーキャッツの「無責任」シリーズと共通するものを感じますw




仕事等で大分を訪れることが多いんですが、最近大分の観光地等で、東アジアの近隣諸国から来られている

外国人観光客をよく見かけます。

昨年、仕事で都城のビジネスホテルに泊まった際も、東アジア系外国人を見かけて、びっくりしたことがあります。 

都城に、外国人の関心を惹くような観光資源なんかあったかな?とw

ま、よく分かんないけどw、少しでも外貨を落としてもらえれば有難いな、と思ったもんでしたw


若干服装のセンスが違うので、「外国の人だな」と気付くことが多いですが(時々外れますw)、

喋ってる言葉を聴いて初めて外国人と気づくこともあり、グローバルアパレル企業のせいでw、

東アジアも「均質化」しつつあるのかな~と思ったりしてますw


ただ、日本人と同じような服装の人達が仲間同士で喋っているのを遠目に見かけ、言葉がはっきり聴き取れないのに、

「あ、外国の人だ」と気付くこともあり、何が違うんだろう?と以前から不思議に思っていました。


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(大分県別府市 海地獄)


先日たまたま嫁女とそういう話をしていて、ふと思い当たったのが、表情、しぐさ、ボディ・ランゲージの違い、です。

ふとした瞬間の表情やしぐさ、ボディ・ランゲージ、そして同じものを見ても微妙に反応が違うのは、

もしかしたら表情(表現)にも「文化コード」(育った、または所属している社会の文化的規範、規律)があるんじゃないか、と。


基本的な喜怒哀楽の感情は、人間ですから当然同じでしょうが、その表現(表情)の大きさ(や長さ)、タイミング(間)が、

どうも地域や国で違うんじゃないか、と。


ベトナム戦争の時、ベトナム兵捕虜が尋問を受けていて、日本でいう「ヤンキー座り」をしていると、

アメリカ兵がイライラして無理矢理立たせたり、自分達と同じ片膝をついた姿勢を強要した、

という話を、高校生の頃本多勝一か開高健の著作で読み、民族や文化によって、「姿勢」の意味、

受け止め方が違うんだんな~と少し驚いた記憶があり。


アメリカに住むことになった人が、恩師から「鏡に映った自分の顔が、ハンバーガーに見えるようになるまで踏ん張れ」

と激励された、という話を若い頃に聞いたことがあって、その激励の意味がやっと解ったような気がします。

周りの人達が、君の表情やしぐさに違和感を感じないぐらいにならないと、その地域社会には溶け込めない、根差せないよ、

ということかと。


 e0071319_15042103.jpg芸人の劇団ひとり氏が、髪を七三に分けて少しキレたりw朗らかな笑顔になるとw、近隣東アジア諸国の人に見えるのは、彼が帰国子女だからじゃないかな、という気もします。

子供の頃、日本社会の外で育ったので、日本社会で育った日本人とは違う表情(の大きさ)やタイミングを持っているんじゃないかと。


じゃあ、中川家の礼二氏はどうなんや?と訊かれそうですがw、あれは、「芸」という感じがしますねw 言語、表情、しぐさの芸w

日本人は、遺伝系統的には大きく6系統に分けられ、「アジアの雑種」とも呼べるそうでw、関西は昔から人の交流が多いので、たまたま礼二氏に大陸的な特徴が色濃く出ている可能性も無い訳ではありませんがw


どういう理由にせよ、人の顔のことをあれこれ言うのはw、ちょっと失礼ですねw

これは、親からの「躾け」という「文化コード」になりますかw


(海地獄の土産屋で見かけたシュールなストラップw)


同じ日本人、同じ九州人でも、お隣の鹿児島には、なんか表情の違いを感じますねw 気合が入っている表情の男性が多いというかw

仕事で滞在した北九州では、コンビニに立ち寄ると、何の仕事をやってるんだかよく分からないw、

ちょっと他所では見かけない種類の薄笑いwを浮かべた若い兄ちゃんを、ちょこちょこ見かけた記憶もありw


同じ宮崎県民でも、地域によって、しぐさの違いを感じることがありますね。

今住んでいる門川で、時々おばちゃん達が道端で話しているのを見かけますが、県北だな~と感じるのがw、

話が長くなって疲れたのかw、壁にもたれて頬杖をつきながら話す姿勢、しぐさです。

これは、宮崎市周辺や都城ではまず見ない、県北、それも漁師町辺りでしか見かけないしぐさで、

以前冗談交じりで義母にそう話すとw、「漁師町で行儀が悪いっちゃろかね~、他所ではやらんとね?」と

少し恥ずかしそうにしていたのを覚えてますw 

県北だけで見かけるということは、その地域社会の中で、祖母、母親、近所のおばちゃん達から娘世代へと引き継がれてきた、

ある程度固有の「民俗」的しぐさ、なんでしょうね。


よく、町には「表情」がある、と言いますが、そこに住む人達に、何らかの背景、「文化コード」を伴った表情が、

どうもあるように感じます。




文化コード」と強く関係することだと思いますが、日本は「同調圧力」が強い社会と言われたりします。


この「同調圧力」、考え方や思想の強要というよりは、「私も同じ感じ方をしてますよ」と表情を合わせる、

あるいは「異論はない」ことを表情に出す、のを強いられる圧力、のような気がしますねw


子供の頃、学校や部活等で「なんだその顔は!他の『みんな』は納得してるぞ!」と、

「表情を合わせる」ことを強いられる叱責があったことを思い出しますw

考えていることは全然違うのにw、とりあえず表情だけ合わせておけばw、波風立てずwスムーズに運んでいくというw

で、最終的にそれについて誰が責任を取るかというと、「みんなで決めたこと」だから「連帯責任!」にされる場合が

多かったような・・・・w

無責任社会」の「温床」はw、もしかしたら、この「同調圧力」かもしれませんなw


「我がまま」=「我が思いのまま行動する」と、「自分の行動(と結果)」に「自分で責任を取る」必要が出てきますが、

「我がまま」を通さなければw、その行動は「自分で決めたこと」ではないので、「自分の責任ではない」と思うのが自然ですw


この風習の利点はw、自分でものを考えなくても「考える人が考える」ので、ただそれに乗かって流れに身を任せていれば済むw、

何かあっても自分だけが責任を負わなくてよいw、「みんな」同じ「境遇」なので共感や連帯感が得やすいw、等でしょうかw


「ムラ」社会の名残り、封建時代の庶民の生活の知恵wのような感じもしますがw、江戸時代の百姓は、越訴、一揆、逃散、

町人も打ちこわし等やって「意思表示」してましたからねw

村の管理運営を行っていた「村方(地方)三役」には、名主(庄屋、肝煎)・組頭(年寄り、脇百姓)・百姓代(長百姓)があり、

名主は一村の長で村政を統括し、組頭がその補佐を行い、百姓代は小前百姓を代表して前二者層の村政運営を監視していました。


民俗学者の宮本常一氏がフィールドワークした長崎県対馬の村政運営では、村で何かの事柄を決めるのに、各戸から集まってきて、

経験や言い伝え、それについて思いつくこと等をとにかく出し合い、途中話が脱線したりw昔話に花が咲いたりしながらもw、

皆が納得するまで話し合って決めたそうです。なかなか決まらない場合、によっては一週間近くも弁当を持ち寄って話し合ったとかw 

ただ、ここまで話し合って決めたことは、後から不平不満が出ることはまず無かったそうで、「多数決」で決めるのは最後の手段、

「下の下」の策、という認識だったそうですw

また、日本近世史・村落史が専攻の渡辺尚志氏の研究では、地域性はありますが江戸時代は今想像する以上の「訴訟社会」だったそうで、

こういう「同調圧力」が「全国」的に強くなったのはw、もしかしたら近代以降、「近代国民国家」の国民の「統治方法」の影響が

かなり大きい気がし・・・・w


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(日向市内に残る海軍特攻隊基地の滑走路跡 本文とは直接関係ありません)


野村克也氏が、「考え方を変えることで行動を変えていくやり方は、意志を継続させるのがなかなか凡人には難しい。

それよりも、行動を変えることで考え方は変わるので、まず行動を変える方が凡人にはやさしい」と語っていました。


これは、「行動の同調」が「思考の同調」にも繋がる、ということであり、悪用されると怖いことでもあります。

ブラック企業の社員教育の手口は、これを応用したものと言えるかもしれません。 

まず、理由は何でもいいから社員のプライドをへし折り、「こうあらねばならない!」と社訓的なものを何百編も復唱させたり、

キャパ以上の仕事を与えて失敗させることで自信を喪失させ、自分の頭で考える余裕や時間を与えず、行動を完全に支配下に置いて、

なんでも言うことを聞くようにしていくやり方です。


外務省にも似たような「新人研修制度」があったそうでw、キャパ以上の仕事を与えられ、徹夜でやっと資料を作成して

上司に提出したら、「上の方針が変わったから」と目の前でゴミ箱に捨てられた、と作家の佐藤優氏が書いてましたねw

はたしてあれは、『大人』の集まった組織だったのか?」ともw



以前、4年半ほどブラック企業に在籍したと書きましたが、幸いこういった「洗脳」され「同調」を強要されるブラックではなくw、

ルート営業なのに3ヶ月連続で昨対を割ったらクビとかw、「日計」が通算で昨年実績を割ったら、営業部が数字をクリアするまで

「連帯責任」で社員全員退社出来ないとか(営業側は、会社が従業員を人質に取って立て籠る様からw「人質作戦」と呼んでましたw)

ある意味「無邪気」というか「愛苦しい」ブラックでしたねw

あまりの立場の不安定さに、ある営業マンが「今度結婚するので、退職します」と「寿退社」したこともありましたw 

男が「寿退社」するのを見たのはw、50年の人生で1回っきりですw


誰がいつクビになるか分からないのでw、営業が20人以上いながら妙な派閥もなくw風通しもよくw、その辺が理解出来てる

営業マンとは自然と「戦友」的な連帯感も生まれw、何かあったら情報を共有して「共通の敵」と対峙してましたw 

数字が悪い月の営業会議では、呑気な顔をしてるとw「戦友」の上司への風当たりが強くなるかとw、

とりあえずしおらしい顔して座ってましたねw 

辞めて10年近く経ちますが、在職中仲の良かったメンバー達とは、今でも忘年会等で集まっています。

「戦友」の繋がりって、なんか続くんですね~w




この会社に在籍していた期間を含め、都城には約10年住んで、地元の温かい人達と交流させて頂き、至って居心地が良かったんですが、

よく分からないところも正直ありまして・・・・w


職場で同僚たちと話していて、どんな内容だったかは忘れましたが、冗談で「そんなこと言ってたら、チェスト~ッ!って

示現流で斬られない?」と言ったら、辺りを見回した上司から真顔で「変なこと言うな!」とたしなめられたことがあり・・・・w 

表には決して出てこないw、よそ者には分からない未知のアンダーグラウンド組織がw、まだこの辺りにはあるのか・・・・?

少し背筋が寒くなりw


また、「権威権力に滅法弱い」人が、なんだか多い印象もありまして・・・・w

ま、「同調」して「弱いフリ」をしてるだけなのかもしれませんがw、なんで日常的に「弱いフリ」してなきゃいけないのかw、

よく分からないという・・・・w


用事があって訪れた市役所のある課では、女性職員が窓口に来ていた老婦人を叱り飛ばしていて、

なんかすごいな~と思って見ていたらw、視線に気付いたその女性職員に睨まれた記憶もあり・・・・w

未だに「官」が偉い地域なのかな・・・・?と感じましたw

市民にサービスする行政「サービス」機関ではなく、市民を統治する行政「統治」機関か?とw 

ま、300年以上もガッチガチのヒエラルキーで固まっていた地域ならでは、でしょうか・・・・。


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(旧牧園町から望む桜島 靄がかかってよく見えない日でしたw)


江戸時代の諸藩では、武士層が全人口に占める割合は5~6%ぐらいでしたが、旧薩摩藩では武士層が約26%もいたそうで、

今でも「ウチは武士の家系だ!」と胸を張る人に出くわしやすい地域ですw

この武士層の中で、城下士(鹿児島衆中。城下町に居住する武士)は約11%だったそうで、人口全体でいうと約2.8%になり、

残りの約89%、全体の約23.2%は郷士(外城衆中。地頭所居住)、家中士(私領居住)として外城(麓)の農村地域に

配置されていました。

「チェスト!関ケ原!」で、徳川幕府に対する常時臨戦態勢だったんでしょうが、74%の百姓・町人を

23%の郷士が「統治」する社会でもあった訳ですね。農村に5人いるうちの2人は、「支配・統治する側」だったとw

八公二民(収穫した米の8割は年貢)の旧薩摩藩内で、ほとんど越訴や一揆、逃散の記録がなく、

庄内の伊集院氏等の「武士の反乱」しかなかったのは、このせいだといわれています。


江戸時代には諸藩で一般的だった「寺請け制度」は、旧薩摩藩内では機能しておらず、代わりに郷士層がキリスト教や

一向宗(浄土真宗)等の禁教の取り締まりを行い、百姓の生殺与奪の権利を全て握っていたといわれています。

一向宗は、中世には自治都市の「寺内町」を組織し、「加賀は百姓の国」と言われたように「国」自体を運営したりしていましたので、

その自治志向、一揆が警戒されたようです。

浄土真宗の信者達は、隠密で遠く日向の串間まで坊主の話を聞きに行っていたそうで、都城のあちこちに今でも

「隠れ念仏」の跡が見られます。

霧島山麓の「カヤカベ教」のように、アンダーグラウンドで代々念仏を受け継ぎ、独自の教義を持つに至った宗派もあります。

明治の廃仏毀釈運動で、江戸時代まで続いてきた寺院のほとんど全てが破壊し尽くされたのは、この「寺請け制度」がなかったから、

という見方もあります。武士層だけでなく、一般庶民の一部も一緒になって破壊してたそうですから。

今ある寺院のほとんどは、廃仏毀釈運動への国内からの反発、欧米諸国のキリスト教教会からの批判等で見直しの動きが起き、

それ以降に旧薩摩藩内へ布教した「新興勢力」や、元々あった寺を再興したものだそうで。


また、戊辰戦争以降、旧薩摩藩内では「武士層内部の下剋上」が起こった、といわれています。

江戸から明治になり、行政組織内では倒幕に慎重だった門閥勢力(旧上層城下士)から、武力倒幕を主導した下級城下士に権力が移行し、

地租改正では旧郷士層の多くが地主となり、また県議会の議席の大半を占めていきました。


明治22年4月の市制・町村制の施行では旧郷がそのまま行政単位に移行し、町村役場はほとんど旧麓地区(外城の中心地域)に置かれ、

その地域行政は上層の郷士層が担いましたので、地域内の行政実態と人間関係は江戸時代のままだったようです。

この地域の行政と人間関係に大きな変化があったのは、太平洋戦争後の憲法改正、民主諸改革の断行、なかでも農地改革でした。

藩政時代の武士による支配が、制度的に変遷しても太平洋戦争後まで続いていましたが、二次にわたる農地改革の結果、

小作地率は35.6%から9.2%に減少し、ようやく旧士族層と旧平民層の社会的平等化がはかられた、ようです。

(中村明蔵著「薩摩 民衆支配の構造 現代民衆意識の基層を探る」南方新社、他)


百姓の挙動にも目を光らせていた「外城制度」が、何となく残っているかのような印象を受けるのはw、

これらの歴史を知ってるせいかもしれませんが・・・・w




前記の会社を退職後、「当面、サラリーマンはいいや」と、FXをやっていたある日、「3.11」東日本大震災が起こり、

それに絡んで「カジノ資本主義」の「投資家」の一人、ミセス・ワタナベの類でいることにホトホト嫌気がさす出来事があり、

最低ライン「人の役に立つ」ことで飯が食いたいと、「社会復帰」することを決めました。


「社会復帰」しようと、都城で営業の求人面接を片っ端から受けたところ、片っ端から落ちまくりw、

ブラブラしてる訳にもいかんと、県外の会社の現地契約社員となり、そのうちに妻が転勤になったので門川に引っ越しました。

契約期間も終わり、県北の地元で仕事を探すことになりましたが、県北は都城よりも営業の求人件数自体が少なかったので、

営業以外の仕事もある程度覚悟しながら、とりあえず1社面接を受けたところ、同じ週に2次面接、週明けに採用となりました。


その時は、丁度タイミングが良かったのかな~と思っていましたが、今になって考えてみると、都城に住んでいた時に在籍した会社は、

社長がある程度以上の期間東京で働かれていた経験と、また直接社長面接で採用になったという共通項があり・・・・。


そこで気付いたのが、「文化コード」ですw

チャキチャキの地元、旧薩摩藩育ちの人事担当者の「文化コード」の基準では、ハネられてしまう経歴だったのかw

または面接時、面接担当者の「文化コード」的には受け入れられないw、表情や態度、言動があったのかも・・・・とw

そう言えば、一度だけですが面接で「普通のやり方では業績が伸びそうもない、あなたはイリーガルな手段が取れるか?」

と聞かれたことがありましたねw 

笑顔で、「無理ですね」とお答えしましたw 




あんまり他所のことばかり書いているとw、「不公平」かもしれませんねw


都城の人から、たまに「宮崎(市内)の人間は、冷てがね~」と言われることがありますw

宮崎市中心部は、宮崎県庁が出来てから135年しか経ってない、至って歴史のない町でw、

橘通に並ぶ商店は四国出身の人が多い、と聞いたことがあります。

ある意味「よそ者が集まって出来た町」ですから、良くいえばゴリゴリの「文化コード」がなくwオープンな感じ、

悪くいえば歴史の無さからくる「軽さ」や、「同じ境遇」を背負う等の「連帯感」が薄い地域、でもあるのかな、と。


百姓遺産」でも触れましたが、宮崎県は江戸時代には諸藩分立していて、西南戦争以後の鹿児島県庁の施政のおかげ?wで、

宮崎県として分県した経緯があり、各藩それぞれ歴史が違い、言葉も違い、風習も違うことを大前提に、小異を捨てて大同に就こうと、

まとまってきた感じなんでしょうね。

「高鍋で学問の話をするな」「都農でケンカの話をするな」w等のフレーズがあり、高千穂には古い夜神楽があり、

椎葉には稲作農耕民とは別の祭祀儀礼があり、また徳川幕府に抵抗した歴史もあり、西米良には南朝の武将・菊地氏があり、

海岸沿いには伊予の河野水軍との繋がりがあり、県北には確実にw海賊の末裔があり・・・・。

誰かが強権で「支配統治」しようとしていたらw、レジスタンスや山岳ゲリラ、海賊だらけになってたかもしれませんなw


宮崎に住んでいると、何らかの「文化コード」を強く感じる旧薩摩藩地域との比較で、色々と相対化しやすいという

「地の利」があるようにも感じますw

「近代国民国家」政府もw、実はこんな感じでやってたんじゃないか・・・・という想像も働きやすく・・・・w



私の場合、九州他県の先輩達から何故か「宮崎の人間だよな~」と言われることが多いんですがw、

高校時代、シベリアの強制収容所に捕虜として抑留された人の体験を読んで、

収容所で一番先に精神的に参ってしまったのは、顔色を読んでおべっかを使うタイプの人間だった、

と知ったことが、その後の人生に大きく影響しているような気もしますw



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by syotikure | 2018-02-03 18:34 | 道端 | Trackback | Comments(2)

2年ぶりのアップ  「エキサイト20周年企画~あなたの人生の三つの坂」


ご無沙汰しております。

約2年ぶりのアップとなります。



2年前の4月14日、仕事で熊本県の八代市を訪れて、高千穂越えで夜9時過ぎに門川へ戻り、

自宅とは別に借りている駐車場へ車を停めて降りた途端、今まで経験したことのない大きな揺れに襲われました。

高台に車を移動させないと津波にやられるかと、慌てて自宅の嫁女に電話して確認したところ、

震源地は熊本なので多分日向灘は大丈夫じゃないか、と・・・・。

幸い宮崎は比較的被害が少なくて済みましたが、メディアで報道される熊本や大分の方は大変な状況で、

八代在住の知人達からも被災地の生の声がリアルタイムで耳に入ってきました。



それから、呑気な内容をブログにアップするのはどうにも気が引けるようになり、また、それ以前から、

「インスタ映え」ならぬ「ブログ映え」を気にしたり、当たり障りのない婉曲な表現を探すの

ちょっと嫌気が差していたこともあって、すっかりブログから遠のいてしまいました。



ただ、たまたま最後のアップが熊本の阿蘇でしたので、それまでブログを見て頂いていた方々に誤解されるのはまずいかと、

生きている証としてw読んだ本だけは「マイフェバリット」で随時更新しておりました。

去年も温泉に行ったり博多までナイツの独演会を観に行ったりとw、それまでどおりの毎日を送っていましたが、

一度離れてしまうと、なかなかアップする気にはならないもので・・・・。

ま、あまり一般ウケしなさそうな分野・方面に、興味関心が向いていたせいもありそうですがw



今回偶然に、ブログの主催元であるエキサイトが、20周年を迎えたことを知りました。

振り返ってみると、最初にエキサイトを利用したのは18年ぐらい前で、このコンテンツがなかったら多分出会わなかった、

今は別の人生を歩いていたろうなと思わせる、転機となる幾つかの出会いがあったことに気付き・・・・。


また、改めてブログを見直すと、その時々の私ら夫婦と一匹の状況、出会った人・土地・酒、自分の嗜好志向

目線、視野の変化が時系列で分かって、やっぱりちょっと代わりのない記録媒体だな~と・・・・。


昨年末に50歳となり、一つの節目として、20周年キャンペーンで落語の三題噺みたいに出されたお題をきっかけにw、

ブログを再開することにしました。


今後どういう形でアップしていくかはまったく未定でw、とりあえず動きながら考えようかなと思っています。

今更「ブログ映え」を狙って「リア充~っ!」を叫ぶ気もないですしw、もの分かり良くw丸く収まる気もないのは確かですねw



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(H30.1.18 早朝、鹿児島内之浦から打ち上げられたイプシロンロケット3号機の軌跡を、我が家の前から眺めた図。

 「ありゃなんやろかい?」「天変地妖の前触れじゃろか?」等々の問い合わせがあった、と地元紙が報道してましたw)



さて、エキサイトブログからのお題、
あなたの人生の三つの坂

上がり坂:嬉しかったことや楽しかったこと

下り坂:辛かったことや悲しかったこと、悔しかったこと

まさか:驚いたこと



結論からいきますと、あの徳川家康ではありませんがw、あえて「坂道」で表現すれば、「上がり坂」の途上という感覚が強くて、

これまでに嬉しいことや楽しいこと、辛いこと、悲しいこと、悔しいことも色々あったな~、という感じですw

「感情」「気分」と人生の「上がり坂」「下り坂」に、直接的な因果関係をあまり感じないというかw、感覚的になじまないんでしょうねw


若い頃から折に触れ、毀誉褒貶に一喜一憂してもしょうがないよ」と先輩達から教わってきた影響が大きいのかもしれませんがw、

その過程で何を考えて、何をしようとしていたかが重要で、その過程を意地でも無駄にせずw、可能ならばその過程を楽しめれば

いいんじゃないかな、とw


自分では防げない、天災、ケガ、病気、最愛の人をなくす等、そういう局面では、辛さや悲しさが「下り坂」とリンクしやすいかもしれません。

これから確実に経験しそうなことも入っていますが、「人間は経験しないと感情は出てこない」といわれ、また「人の一生には反復的な面が多い」

ともいわれます。

「自然の道理」を知る、経験した人に聞く、人生の先輩に学ぶ、「人の歴史」を知ることで、なんとか乗り越えたいなと思っていますし、

また、その体験を誰かと共感することで、新たな「楽しみ」に繋がればいいな~、と思っています。

結局、楽観主義者なんでしょうねw 



アンケート等に「50歳」と記入する時、まだ「誰の歳や?」と思ってしまいますがw、以前読んだ本で、

「地球上の生物は、心臓が動く回数が大体決まっており、大きな生物ほどゆっくり動いて長生きし、小さな生物ほど速く動いて短命の傾向がある。

 人間は生物学的見地から見れば41.5歳が寿命で、昔の人が『人生五十年』としたのは妥当」(本川達雄著「人間にとって寿命とは何か」)

と知り、「50歳以降はオマケ、丸儲けみたいなもんか」と考えたりもしていますw



また、50歳になる前後、「四十にして惑わず、五十にして~」いう言葉がちょっと気になり出しw、古の中国の哲人や世間一般的wには、

50歳はどうあるべきと捉えているのかネットで調べてみたところ、「164MARKETING」というブログに「異説」を発見しましたw

吾、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る

十五歳を「立志」、三十歳は「自立」、四十歳で「不惑」、五十歳は「知命」と呼び、これまで、三十で自立し、四十になれば迷いがなくなり、

ふらふら放浪せずに自分の生き方や行動に従い人生を生きてゆけて、五十に天命をさとり人生を全うする、と解釈されてきたが、

実は「惑」という字は孔子の時代には存在せず、音と形が似た「或」の字が本当ではないか、という説です。

「不惑」だと「惑わず」になるが、「不或」だと「区切らず」という意味になり、「四十にして区切らず」と解釈すべきで、

四十歳ぐらいになればある程度成果が出て、自分に自信もついて安定してくるが、新しい領域にチャレンジしていかなければいけない、

というメッセージだと。


自分に当てはめてみると、「不惑」でなく「不或」ならばw、大体この通りに人生を歩んできているのが、ちょっと不思議ですw

東洋の知恵、経験則、経験智、なんでしょうかね。

高校3年間受験勉強そっちのけでw興味の向くまま300冊以上本を濫読したりw、30過ぎて21世紀になったのを良い機会と

営業職に転身したり(勿論w現状と先を見て、その時点でベターと判断してw)、40過ぎて4年半ほど在籍していた「天然」ブラック

企業を辞めw、「当面サラリーマンはいいや」と1年ほどFXをやったりとw(おかげで相場観と経済知識を得、「カジノ資本主義」の

本質も垣間見w、一方で「自分」と向き合う時間にもなり、その後「3.11」を機会に「社会復帰」しました)



「教員を10年やったら社会復帰出来ない」と言ったのは作家の 城山三郎 ですがw、前出の企業に在籍中、ある先輩から、

「気を付けんと、営業を10年以上やってたらバカになるぞ」と聞きましたw 

目先の数字、必要に迫られること、後は遊ぶことしか考えなくなる、という意味のようで、思い当ることもあったのでw、

出張中に読書の習慣を取り戻しました。


このブログを通じて知り合った 立ち呑みHAKUDOUさんから 藤沢周平 を教えて頂き、15、6年ぶりに小説の世界に引き込まれ、

そこから 池波正太郎隆慶一郎 に行き、そして 網野善彦 に出会いました。

高校時代、本田勝一の極限の民族三部作や「アメリカ合州国」他、川喜田二郎の著作等は読んでいて、文化人類学的な見方、

相対観が身に付いていたようで、多分初めて読む社会史(民衆史)でしたがすんなり入れて、かなりのインパクトを受けました。

「聖徳太子は『日本』人ではない」「百姓は『農民』ではない」等々、挙げ出したらキリがなさそうですがw

おかげ様で、日本の中世社会史だけでなく、考古学、近世文化・社会・人口史、民俗学にも興味は広がり、現在に至っています。


網野善彦氏や城山三郎氏など、昭和2年(1927年)前後生まれの学者・作家には、相当影響を受けているな~と自覚しています。

この年代の方々から受けた大きな影響の一つが「史観」、「民衆史観」ですね。

どこから歴史を見るか、です。


この1927年前後に生まれた人達には、いろんな意味で世の中に大きな影響を与えている人が多い印象もあります。

1926年(大正15年~昭和元年)―渡邉恒雄、フィデル・A・カストロ、ジョン・コルトレーン、チャック・ベリー、祖父江孝男、植木等

1927年(昭和2年)―バーノン・スミス、石牟礼道子、サミュエル・P・ハンティントン、吉村昭、城山三郎、緒方貞子、藤沢周平

1928年(昭和3年)―池田大作、網野善彦、渥美清、ジェームズ・ワトソン、ポル・ポト、チェ・ゲバラ、森浩一、A・ウォーホル、

            A・トフラー、土井たか子、A・N・チョムスキー



この歳になると、若い頃のように色々と指摘してくれる存在って、本当に少なくなってきます・・・・w

身近では唯一、嫁女が色々言ってくれますがw、「それは、結論出てたやろ?」とかw「今、それを言ってどんげなる?」w、

「(どの立場で)それを言えるや?」とついつい思ったりとw、なかなか素直に聴くのは難しいもので・・・・w

良い本を読む、良い人に会うことが、成長、共感、笑いwの機会となり、上がり坂だろうが下り坂だろうがw、

朗らかに生きていけるんじゃないかな~と感じています。



ちなみに、このブログを始めた2005年前後から、著作に接し刺激を頂いた作家、学者です。

加藤諦三、色川武大、藤沢周平、池波正太郎、隆慶一郎、松本清張、宮部みゆき、山本一力、城山三郎、K・ウォード、吉村昭、

網野善彦、沖浦和光、森浩一、田中圭一、川勝平太、田中優子、渡辺京二、三田村鴛魚、宮本常一、佐々木高明、白水智、

渡辺尚志、金子勝、宮崎学、佐野眞一、魚住昭、佐藤優、E・トッド、中島誠之助、青山二郎、北王路魯山人、加藤唐九郎



最後のお題「まさか」

まさか・・・・中2年経ってブログを再開するとは思ってもいなかったってとこですかねw

そういえば、警察関係が特殊詐欺撲滅ソングとして作った歌の題名が、「まさかの坂道」でしたw



また、今後ともよろしくお願い致します。


ショチクレ


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エキサイト20周年企画~あなたの人生の3つの坂


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by syotikure | 2018-01-25 22:26 | 道端 | Trackback | Comments(0)

夏の終わりの花火・・・・ ~ かどがわ納涼花火大会 ~


8月に入って、お盆で帰省した以外は、出張だなんだの日々が続いています・・・・(笑。
出張先でふらりと立ち寄った本屋で、今まで目にしたことの無かったおもしろい本など見つけ、
決して仕事だけの毎日ではなかったんですが(笑、なんや、遊んでなかったかな・・・・と(笑。

台風一過の晴天はつかの間、早くも秋雨前線がかかり、朝晩めっきり涼しくなって、
今年は秋になるのが早いのかな~と何となく思っていたら、東の方から花火の音が・・・・。
恒例の、「かどがわ納涼花火大会」でした。

e0071319_20463989.jpg2階の窓から、こんな感じで見えてましたので、ちょっと観に行ってみるかと、近くの(歩いて2、30歩の 笑)見晴らしのいい高台へ・・・・。

右手に山があり、風向きも正面方向で、花火鑑賞的には今一つでしたが(笑、
近所の人達も涼みがてら20人ほど出てこられていて、一緒に花火の光と音を満喫・・・・。
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8時ぐらいから上がり始め、半を過ぎたのでいい加減そろそろだろうと家に引き揚げましたが、
花火の音は一向に止む気配が無く・・・・(笑。

9時前ぐらいになって、一際大きな音が等間隔で聞こえ始めたので、これで締めかと二階に上がると、
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一際高く大きな花火が、連続で打ちあがり・・・・。

どうやらこの花火が、今年の夏の見納めとなりそうです。


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by syotikure | 2015-08-30 21:24 | 道端 | Trackback | Comments(0)

梅雨

 
入梅して何週間経つのか知りませんが、移住2年目の門川も、毎日が梅雨空です。

ただ、以前住んでいた都城や県南と違って、一度もゲリラ豪雨に遭遇したことがなく、
3、4日に1日は晴れ間のようなものもあって、ほとんど蒸し暑さも感じない、至って過ごしやすい、
まあ、普通?の梅雨です(笑。

何にせよ(笑、降るべき時に程よく降って、程よい暑さの夏を迎えたいものです・・・・(笑。

下の写真は、先月だったか、出張先のホテルで朝カーテンを開けたら目の前にあった(笑、桜島の光景です。
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by syotikure | 2015-06-24 21:30 | 道端 | Trackback | Comments(0)

桜道


今日は、日向市で30度を越え、全国の最高気温を記録したようで。
隣の門川でも、半袖で暑いぐらいの陽気でした。

雨が降ったり肌寒かったり仕事も忙しかったりで、きっちりと桜花爛漫!に立ち会った(笑、目の当たりにした印象も薄いまま 、
気が付いたら、沿道の桜には緑の新葉が目立ち始め・・・・。

昼ご飯に出た帰り、地元では遠見半島の桜並木が有名、という嫁女の話に、
もしかしたらギリギリ間に合うか・・・・?!と寄り道してみました。

やっぱり盛りは過ぎていましたが、ただ車の往来が少ないせいか、カーブのところに桜の花びらが降り積もり・・・・。

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個人的には、「ギリギリ間に合った」感じでした(笑。


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by syotikure | 2015-04-05 20:42 | 道端 | Trackback | Comments(0)

西都・東米良の風景  ~ 西都市銀鏡(しろみ) ~


仕事で、久しぶりに西都市の東米良地区を通りかかったところ、印象的な景色に出会い・・・・。
そのさわり?(笑、 をご紹介・・・・。

西都市の中心部・妻から国道219号線を西に進み穂北・杉安へ入ると、東米良地区の奥側、西に隣接する(1962年に東米良村は西都市に編入)
西米良村 の案内看板が立っていて、「平成の桃源郷」と謳われていました。
その「桃源郷」の入り口に、まさに相応しい光景のように思えました。
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e0071319_218538.jpg道沿いのあちらこちらに垂れる藤の花を眺めながら、一ツ瀬ダムを過ぎて米良大橋を渡り、市道39号線へ右に入っていくと、たしか7、8年前に通った時には無かった、「山の駅 銀鏡(しろみ)」が見えてきました・・・・。

食料品や菓子類の販売がメインのようで、また地元の人々の憩いの場の雰囲気もあり・・・・。

e0071319_21575733.jpgトイレ入り口。

こういう貼り紙1枚だけで、何だか地域全体に好感を持ってしまったりします・・・・(笑。

e0071319_2191995.jpg山桜の植林が、地域全体で行われているようです。

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橋の下を流れる、銀鏡川の透明度にも目を奪われ・・・・。

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強く印象に残っていた古い商家は、今も健在でした。
築100年は軽く経っていそうで。
7、8年前は、まだ道が狭くて銀鏡川が間近に見え、風景に馴染みつつ、歴史を感じさせる凛とした佇まい、だったように記憶してます。

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停留所に、何気なく花が植えてあるのも、いい感じでしたね。今の時期のこの色は、菖蒲でしょうか。
また、この征矢抜では、米良の中世の歴史も感じました。

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川向うには、古い石垣の棚田が見え・・・・。
いつ頃拓かれたのか分かりませんが、中世からあってもおかしくなさそうな光景で・・・・。

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この辺りは杉の植林が少なく、川沿いは保全林として元々の樹層が残されることも多いので、
もしかしたら綾と同じく、東アジアの基層文化を育んだ照葉樹林帯なのかもしれません・・・・。
手前に積んであるのは、椎茸用のほだ木でしょうか。

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この滝の名前は、たしか「水車滝」だったように思います。
紅葉の時期、また訪れたいもんです。


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by syotikure | 2014-04-24 23:07 | 道端 | Trackback | Comments(0)

春の兆し・・・・ ~ 木瓜、開花 ~


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先週は、連日氷雨続きでしたが、
週末になったら見事に快晴、
陽気に誘われ、庭の木瓜の花が咲き始めました。
ただ、昨年 と較べると、今年は2週間ほど遅れているようです。

週明けの今日は、またもや氷雨・・・・(笑。
明日以降も、こんな天候が続くようで・・・・。
平日氷雨で土日快晴、外回りの身にはなかなか・・・・(笑。
観光産業にとっては、いい感じ~♪ なんでしょうが・・・・(笑。

昨日到着する予定の荷物が、今朝出がけに届き、
関東地方の雪の影響を改めて感じました・・・・。
春が待ち遠しい、今日この頃です。


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by syotikure | 2014-02-17 21:03 | 道端 | Trackback | Comments(2)

霧島秋まつり2013


e0071319_2010428.jpgこの3連休、個人的には打ちっぱなしで打ち込む、ぐらいしか予定を立ててなかったのですが(笑、嫁女たっての希望で霧島秋まつりに行ってきました。


e0071319_20102840.jpg生憎の空模様で、場内のコスモスも、咲き終わったのかこれからなのか、微妙なところでしたが、


e0071319_20104576.jpg秋雨のしのつく中、結構な人出でした。


e0071319_201112.jpgそういえばこの霧島酒造、売上高で焼酎メーカー第1位になったそうですね。
減圧麦焼酎「いいちこ」を製造している大分県の三和酒類が、長らく1位の牙城を守っていたようですが、まさか南九州の地酒・芋焼酎が、日本で一番売れる焼酎になるとは、つい10年ぐらい前まで誰も想像さえしてなかったことでしょう。


e0071319_20112041.jpg日本一を祝ってか、よく知りませんがプリキュアのご一行もステージ上で大立ち回り・・・・(笑。

この後、ステージ横の広場に場所を移してサイン会が行なわれてましたが、結構な数の親子連れがそちらに大移動・・・・。
アニメと着ぐるみ、子供達は疑問や違和感って無いとやろか?と嫁女が不思議がってましたが(笑、周囲の大人達が「決まりごと」として当たり前のように(笑、またウチの子が喜ぶだろうと時間を割いてくれれば、子供も「ん~?」と思いつつ付き合わざるを得ないのかも・・・・(笑。


e0071319_20113769.jpgその後のトークショーに登場したのは、今回の眼目(笑、安めぐみちゃん。

人妻になっても、生安ちゃん、可愛かったですね~(笑。


e0071319_20115534.jpg何だか困ったような表情が、安めぐみちゃんならでは、でしょうか(笑。


e0071319_20121088.jpgだいぶ前に見たTVのバラエティ番組で、共演者から「『昭和』のリアクションをするアイドル」と呼ばれて困ってましたが(笑、その辺りも彼女の魅力の一つでしょうね~。


e0071319_20122661.jpg霧島酒造が提供しているラジオ番組に、「女将」として出演しているそうですが、ゲストによっては未だに緊張して焼酎と水・お湯の割り方を間違えるとか・・・・(笑。
川中美幸さんのようなデンと腰の据わった女将振りは、誰も求めてないと思います、多分(笑。

安ちゃんが、焼酎「霧島」を一言で表すとこうなるそうです。
彼女の魅力も、この一言で表されるかもしれません。

それにしても、折角のトークショーだったのに、司会進行役はもう少し安ちゃんの「天然」ぶりを掘り下げて欲しかったところです(笑。


e0071319_2013841.jpgこちらは、今回初めて出会った霧島酒造のゆるキャラ二人。
向かって左側が「みんなサンキュー(3739)ちゃん」、右が「いもっきりくん」だそうです。


e0071319_2013256.jpg小雨そぼ降る中、精力的に握手したりしてました。


e0071319_20134491.jpg「みんなサンキュー(3739)ちゃん」の背中には、ちょうど二升五合(ますますはんじょう)ぐらいの「霧島」の一升瓶が・・・・。
思わず、流しのショチクレ?夏の大阪球場?ウォーキング・ドランカー?などと思ってしまいましたが(笑、まあ5リットルペットを背負って焦点の合わない眼でさまよってる訳でもないので(笑、焼酎メーカーのゆるキャラとしてはアリなんでしょう(笑。


e0071319_2014571.jpg昼飯で立ち寄った沖縄からの出店では、みなさん顔にペインティングして接客に大忙しでした。
前回はペインティングされてなかったですよね?とうかがうと、みんな抑え切れずにこうなりました、ということで・・・・(笑。

昨夜の「霧島」が、よほど美味かったのかもしれません・・・・(笑。

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by syotikure | 2013-11-03 21:19 | 道端 | Trackback | Comments(0)

堀川運河と橋


そういえば、今日は8月4日「橋の日」、keikansanさんの呼びかけで、「橋のある景観」をみんなでアップしましょう、ということだったと・・・・(笑。

あわててブログや写真を見直してみると、沖縄の「古宇利大橋」熊本の「通潤橋」西米良の「かりこぼうず大橋」美郷町の霧にかすむ橋
など意外に橋の写真を撮ってまして、今回は先月からの流れで、印象的な風景をアップしてみようかと・・・・。


日南市の堀川運河にかかる、橋の風景です。
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2006年の11月に訪れた際 撮った写真ですが、今でも印象深いですね。
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残念ながら、橋の名前は調べてませんでした(笑。
「油津赤レンガ館」も、この時と とでは、だいぶ様子が変わっています。
この時ならではの印象、風景かもしれません・・・・。


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by syotikure | 2013-08-04 23:59 | 道端 | Trackback | Comments(2)

堀川運河の風景


堀川レストランとむらの横には、レストランの名前にもなっているように堀川運河が流れていまして・・・・。
もう少し下流の、映画「男はつらいよ 寅次郎の青春」の舞台になった辺り赤レンガ館 は行ったことがあるんですが、
この辺りは初めてきました。

飫肥杉と思われるアプローチが、いい感じでした。
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こちらは、夢見橋。
横にあった看板によると、120年生の飫肥杉を使用し、ボルトや金具を使わない伝統工法の「木組み」で作られているそうです。
飫肥杉は、曲げと水に強い特性があるため、船の材料として使われてきており、その造船技術を伝える為に、
天井は「曲げ木」で出来ているそうで。
また、木組みで繋いでいる部材には、地元の子供達をはじめ4000人分もの「夢」が書き込まれているそうです。
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こちらの句、俳号でピンときた方もいらっしゃると思いますが、あの渥美清氏が最後の句会で詠んだものだそうです。
日南市民に、深く愛されてるんですね~。
そういえば、「男はつらいよ」49作目「寅次郎花へんろ」を公開する予定だった日に、
渥美氏を追悼して公開されたのが、「虹をつかむ男」でした。
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by syotikure | 2013-07-26 21:19 | 道端 | Trackback | Comments(0)