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小林市PRビデオ第2弾! と、暮れのご挨拶(笑


長いことブログをご無沙汰しておりまして(笑、暮れも押し詰まり(笑、2ヶ月も穴を開けるのもどうかと思っていましたら(笑、
小林市のPRビデオ第2弾が出来たと知り(笑、前回に引き続きご紹介を・・・・(笑。



まあ確かに(笑、山の中で遭難してやっと助けが!それも神様!と思ったら、言ってる意味が全然分からない、というのは・・・・(笑。
相手が人間だったら、言葉は通じなくとも、人情、ホスピタリティ的なもので(笑、ボディランゲージで道案内とか、
緊急避難的な処置も期待出来るんでしょうが(笑、神様がどこまで「下情」に通じてるかとなると・・・・(笑。
日本の神様達って(笑、なんか結構気まぐれというか(笑、「DQN」なところ?(笑 感じますもんね(笑。


この動画を見ていてふと思い出したのが、最近ネット上の記事で読んだ、「翻訳語」の定義、認識のいい加減さ です(笑。
“Freedom” を「自由」と訳したのは福沢諭吉と言われていますが、元々「自由」は中世では勝手気ままに振る舞うというネガティブな意味合いがあり、
諭吉は相当躊躇したと言います。“Freedom” には、「保護・規制の下での」という意味が含まれているからだそうです。
「社会」という言葉も、近代に入って “Social” を翻訳して出来た「造語」で、漢字圏では普通に使われているという「共産主義」という言葉も、
実は近代の「日本製」とも言われており(笑。
この記事によると、キリスト教圏で “Spirit” (=精神) は、土をこねて作った人形に(創造主の)神がこれを吹き込んで人間が出来た、から崇高で、
唯一神とのコミュニケーションを取る為のもの、という認識があるそうです。
この「精神」という言葉、実は明治期に “Spirit” を輸入(翻訳)する際にこさえた「造語」で(笑、日本古来から認識されてきた言葉、概念ではない、と(笑。
キリスト教圏では意味が明確だが、日本で「精神」主義となると(笑、大概ワケのわかんない方向に行ってしまうのは、この為ではないか、と(笑。
ちなみに、キリスト教圏での「精神修養」は、教会に行くことだそうで(笑。
あのラグビー日本代表の五郎丸選手が、TVで「メンタルは鍛えられない」と語っていましたが(笑、ラグビー日本代表のメンタルコーチを務められていた、
荒木香織氏の記事 もなかなか興味深いです。
「精神」という言葉(笑、日常的に当たり前のように多用され(笑、非常に重要な概念だと思うんですが(笑、
最近では「スピリチュアル」やら「(スピリチュアル)パワー・スポット」やら(笑、増々ワケのわかんない言葉、概念が増殖している感もあり・・・・(笑。
他にどんな言葉が、近代の翻訳でこさえた「造語」で(笑、本当の意味で共通「認識」されているのかと・・・・(笑。

価値観外交」等当たり前のように言われておりますが(笑、本当に「共有」出来てんのかどうも怪しく(笑、
お互い良いように「勘違い」してるだけなんじゃないの?という気もし・・・・(笑。
ま、人間関係自体、「勘違い」で成り立ってる面って確かにあり(笑、「国対国」の関係も、人間関係の延長線上にあるのは間違いないかと・・・・(笑。

ここ7、8年、日本の考古学や中世史、近世の文化史、社会史、思想史、また民俗学等の本を読むことが多く、
教科書に載っていなかった「日本人」「日本社会」の実像に出会うこと度々で(笑、実に面白く、「立脚点」の確認を迫られることも多いんですが(笑、
一方で、近代以降との「断絶」も痛感しています。
何を得た代わりに、何を捨てたのか、何故、そうなったのか、と。


今年は、仕事の関係で今まで経験のなかった角度から「世間」を眺める機会に恵まれ(笑、
来年はますます面白くなりそうな気配です(笑。

どちら様も、良いお年をお迎えください。


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by syotikure | 2015-12-31 13:36 | 諸々 | Trackback | Comments(2)

思い返せば、改めて・・・・  ~ 「タブーの正体!」 「津波と原発」 ~


e0071319_20583868.jpg我が家のある都城では、40km以上離れた桜島の噴火に由る 空振 が、毎日のように続いています。
こうも続くと、さすがになんだか慣れっこにもなってきましたが(笑、ここ数日は南西の空から「ドドォーンッ!!」という大きな爆音も聞こえ始め、近所の犬たちが鳴き騒ぐようになり・・・・。

新燃岳噴火の記憶も新しいので、桜島周辺の人達は大変だろうなと同情しつつ、「天災」にどう備えるか改めて考える機会になっています。



最近、たまたまこの2冊の本を続けて読み、非常に印象に残ったのでご紹介を・・・・。

〇川端幹人著 「タブーの正体!」

現在休刊中の雑誌「噂の真相」の元副編集長である著者が、マスコミ(TV、大メディア)ではますますタブーが増殖していると指摘し、
本来の文化人類学的な意味からかけ離れた、昨今のマスコミで認識されている「タブー」が「何故、タブーになったのか」を、
「暴力の恐怖」 「権力の恐怖」「経済の恐怖」の3章に分け、暴力を含めた物理的妨害、イメージ、恣意捜査や税務調査、経済的理由
(大手芸能プロダクション所属の芸能人のスキャンダルや批判は出演交渉に響くので書けない、広告主への批判は書けない、
関東地方では独占状態の東京電力が毎年日本で10数番目ぐらいの広告料を使っている等)などその根源を探り、
マスコミの自主規制の実態(何を報道して何を報道しないか)を明らかにし、それに対処する方法を書いています。

「噂の真相」元編集長・岡留安則氏は、隣の鹿児島県出身で都城の泉ヶ丘高校出身ということもあって親しみがあり、
著作やHPをよく読んでいましたが、もう一人の「当事者」である川端氏の著作も、興味深くて一気に読んでしまいました。


〇佐野眞一著「津波と原発」

第一部「日本人と大津波」では、ノンフィクション作家である著者が、
「被災者はあまりにも激甚な災害に『言葉を失った』。その沈黙を伝えるには“大文字”の論評ではなく、
 ディテールを丹念に積み上げて“小文字”で語るノンフィクションしかない。」
と、震災の1週間後に被災地へ入り、直接その目に映りこんだ惨状と、取材した被災者の肉声を記しています。

第二部「原発街道を往く」では、福島原発の事故発覚後、「官製」情報や御用学者の「大丈夫」解説を流し続ける「お行儀のよい」大メディアを尻目に、
逮捕覚悟で立ち入り禁止区域へ入り込み(もちろんフル装備)、「被害を受けた」現場をその目で見、「被害者」に直接取材しています。
3月12日の朝、原発を撮影するヘリコプターからのデータを受信する為に、パラボラアンテナの設置に来ていた福島県警の通信部隊と偶然出会い、
「今回の原発事故は重大で深刻だから国はデータを隠しているが、私らには撤収して帰れって命令が来たので、
 あなたも逃げた方がいいですよ」
と教えてもらい、危うく逃げることが出来た牧場主の話など、埋もれていた事実を掘り起こしています。

更に「原発ジプシー」と呼ばれる下請け作業員の実態として、事故直後日給が20万円以上に跳ね上がったこと、
元請け会社によっては作業員の許容被ばく量が違う!こと、なども取材によって明らかにされています。
また、「原子力の父」と呼ばれる元読売新聞社社長・正力松太郎とその取り巻きが、何故、どのようにして原発を日本に導入したか、
さらに福島原発が建っている土地の所有者だった国土開発・堤康次郎や、国・県・町の議員達の動き、老獪な東電のやり口などを
詳細に描き出しています。

TVなどで何回も壮絶な映像を見せられ、地震の大きさ、被害の甚大さを少しは解かったつもりでいたんですが、
被災者・被害者を個々に取材して得た事実や背景・経緯・歴史等を読むと、沖縄の基地問題にも通じる戦後の構造的な歪みも見えてきました。
印象に残ったことの一つに、原発誘致を推進した地元の政治家達が、取材に対して、
「『安全だ』と東電に言われたから誘致したんだ。私も騙されたんだ。」
と答えていたことがあります。
「『私も騙されたんだ』と言えば、被害者面すれば、罪を免れると思っている人が多いようだが、騙された方も騙した方と同罪である」
と終戦後すぐに書いたエッセイの中で断じたのは、映画監督の伊丹万作氏(伊丹十三氏の父)でした。



「津波と原発」第一部の最後の方に、
「3.11以降日本は変わった。いや変わらなければならない。」
という文があり、確かに自分も、3.11以降心境の変化が起きて、行動が変わっていったことを改めて思い出しました。
「忘れっぽい日本人」の一人であることを痛感しつつ(苦笑、改めて、したいこと、出来ること、すべきことを、
どんどんやっていかにゃいかんな~、と思った次第です。


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by syotikure | 2012-01-23 21:18 | 趣味(その他) | Trackback | Comments(0)

誰の意志?  ~ 「クラウゼヴィッツの暗号文」 ~


この連休、お盆休みに持ってくのを忘れていたお中元を、おそまきながら両実家に無事搬送し(笑、
その後は特に予定もなかった為、久しぶりに古本屋へ・・・・。
学生の頃などはよく出入りしていましたが、最近とんと足が遠のいてまして・・・・。

書棚でたまたま目に留まったのが、この広瀬隆著「クラウゼヴィッツの暗号文」です。
広瀬氏の著作は、学生の頃に「東京に原発を!」や「ジョン・ウェインはなぜ死んだか」を読んで以来で、
あの頃は色々と考えさせられました。

e0071319_131629.jpgプロイセン(ドイツの前身)の軍人だったクラウゼヴィッツの著作「戦争論」は、世界的に有名な古典で、戦争をオブラートに包む事なく簡潔に説明していて、各国の士官学校でも教材として使われているようです。
私も、学生時代に古本屋で購入した記憶がありますが、未読のままどこかにいってしまったようで・・・・(笑。
この「戦争論」、実は著者の死後に妻と協力者達が遺稿をまとめて発刊した未完の書で、広瀬氏は未完部分を埋めるものとして、著者が触れなかった「人はなぜ戦争するのか・・・・」という大命題への答えを、この「クラウゼヴィッツの暗号文」の中で解き明かそうとしています。

この本には、資料として1945年8月15日から1991年(発刊当時)までに起きた戦争・内乱・暗殺が編年で書き込まれた世界地図があり、
その発生件数の多さと内容の残虐さには、とにかく驚かされます。
また別の地図では、その間戦争に突入していない国々が「白抜き」になっていましたが、
ヨーロッパではスカンジナビア半島のノルウェー、スウェーデン、フィンランドとデンマーク、アイスランド、スイスなどの国々で、
アフリカではリベリア1国のみ、アジアではブータンと日本の2ヶ国だけ、南北アメリカに至ってはゼロ、「真っ黒」というのが現実です・・・・。
軍備増強の理由に「抑止力」という言葉がよく使われますが、広瀬氏は抑止力が働くのは核兵器(Atomic)同士の戦争だけで、
B(Bio―生物兵器)、C(Chemical―化学兵器)、D(Dynamite―火薬兵器)、E(Edge―刃物兵器)の戦争にはまったく働いていない、
とその虚偽・欺瞞を突いています。そのことは、資料で十分過ぎるぐらい証明されていると思います。

巻末で、「戦争論」の未完部分を埋めるべき「人はなぜ戦争するのか・・・・」という問いに対する答えとして、
いみじくもクラウゼヴィッツ自身が「戦争論」の冒頭部分で「戦争は、決闘以外の何ものでもない」と書いているように、
それは「個人的意志」だ、という結論を導き出しています。
戦争は、逃れられない「人間の性(さが)」などではなく、敵を創作せずにはいられない者達(広瀬氏はクラウゼヴィッツ人と呼ぶ)の
戦争をめざす “意志”だ
、と。
「第2次大戦後の47年戦争史とは、47年扇動史だったと言ってもよい」とまで書いています。
高校生の頃に読んだ、あるジャーナリストの本に、
「『戦争は悪』だけでは本質が見えない。『戦争を画策し実行する者が悪』という認識を持たなければ、また同じことを繰り返させる」
と書かれてあったのを思い出しました・・・・。

クラウゼヴィッツと同時代を生きたベートーヴェンは、第三交響曲“英雄”をナポレオンに捧げ、第九交響曲合唱でシラーの詩を称揚したが、
ベトナム反戦運動に大きな影響を与えたジョン・レノンは、“ロール・オーバー・ベートーヴェン”(ベートーヴェンを踏みつぶせ)を熱唱し、
ベートーヴェンの“月光”を逆に演奏しながら“ビコーズ”という曲を作った、という小エピソードも印象に残りました。

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by syotikure | 2010-09-20 01:30 | 趣味(その他) | Trackback | Comments(0)

「百姓遺産」


ある人から、今の中学校の授業では「『士農工商』の身分制度」は教えてない(「武士・町人・百姓」に分け、「町人」と「百姓」に上下は無く
居住地域で分ける)、ということを聞き、面白そうだったので色々と本を読んでみると、私が中学・高校時代の頃とは隔世の感があり・・・・(笑。
私の父は教科書に墨を塗った世代で、墨を塗る前の歴史の授業は「その時、大楠公は~」だったそうで、
「戦後復員してきた先生で『飛鳥時代』を『ひちょうじだい』と教えた人がいて、後になって訂正されたことがある」
と言ってました(笑。
そこまで劇的な変化ではないにしろ(笑、近世史の研究は今までの「常識」を覆しながら進んでいるようです。

e0071319_22565564.jpg「江戸時代は『鎖国』していて、人口の8割9割が『百姓(農民)』の農業国『瑞穂の国』だった。それを『御一新』で明治政府が欧米列強に対抗できるように工業化し、『脱亜入欧』させた」
という通説、実は明治政府のプロパガンダの影響が強いようです。
太平洋戦争の敗戦の責任を、徳川幕府の「鎖国」政策におっ被せた、和辻哲郎著「鎖国 日本の悲劇」の影響も大きいようで(笑。

いわゆる「鎖国」は、貿易窓口を徳川幕府に1本化した「貿易統制」に過ぎず(「抜け荷」《密貿易》で稼いでいた藩もあったようですが 笑)、宣教師を尖兵とした植民地主義国との摩擦を避け(豊臣秀吉がキリスト教を禁じたのは、信者が教会に土地を寄進し始めた事への危機感からでした)、金銀の国外流出を減らす為に諸々の商品(陶磁器や「嶋」《縞》に代表される織物、砂糖他)を国産化していった「保護貿易」、と見てもいいようです。

実際の「百姓」人口の比率も、農業メインで食っていたのは多くても4~5割ぐらいで、商人(卸・販売)や職人(多種多様な技術者)、
海洋民(漁業・製塩業・回漕業)、今でいう運輸・サービス業(飛脚・駕籠かき・馬子・旅籠・茶屋他)などが占める割合も多かったようで、
また地域によっては稲作よりも商品作物(蚕用の桑や綿花など)の栽培の方が多かった、という例もあります。

幕末期は、当時の欧米諸国と比較しても非常に識字率が高く(県によって相当な差はあるが、
18世紀末から寺子屋や私塾が各地に激増した為、かなりの比率の「庶民」が読み書き出来た)、
安定の中で家内制手工業が発達して職人達の技術も高くなり、市場経済や流通システムも発達していて
(既に中世には世界で最初の信用為替制度が出来ていて、江戸時代の「経済用語」は今でも使われている)、
また全国共通の公用語(日本流の漢文書き下し、文語)が普及していて、正確な情報伝達が出来たことなどが、
明治以降の急速な工業化の基盤になっていました。
オランダの東インド会社等から海外の情報は入ってきてましたので、要は、イギリスに産業革命をもたらした蒸気機関(動力)や、
細菌学などの「現物」が無かっただけだった、と。
幕末期、現物を見ただけで蒸気機関の可動模型をこさえた人がいたぐらいですから(笑、知識と技術レベルは相当高かったようです。

田中圭一著「村からみた日本史」によると、江戸時代の「百姓」には、元々の単語の意味(一般庶民)のままに
縮(ちぢみ)を織る技術者、宿屋の経営者、酒造家、宮大工や左官などの職人が含まれていたが、
儒教(朱子学)の農本主義の支配者層には「農間稼ぎ」「農閑期の出稼ぎ」としか見えなかった、見ようとしなかった、ようです。
特定産物以外は無税だったこともありますが、残っている「百姓」の経営台帳を調べると、
どっちが「本業」か「副業」か判らない例が多々あるようで・・・・。
今でいえば、「家庭菜園」などである程度「自給自足」しているサラリーマンまで「農民」にした、というところでしょうか(笑。

米どころ・越後で、「百姓」が高く売れる商品を作って、市場で売っていた一例です。

天保4年「塩沢組五八ヶ村、他方出入金調書上帳」
収入 縮代(縮織りの反物を売った代金)  11,000両
    宿料(塩沢、湯沢などの宿場の宿賃) 1,300両
    出し米(米を売った代金)           612両
    絹糸                       510両

「それにしても、百姓の経営台帳を実際に見たことのある学者が、今までにどれだけいたのか」
と著者は呆れています。
越後では、公式帳簿「検地帳」の倍以上の収穫があり、それに約36%の年貢が課せられていたので、
結果実質の年貢(税率)は約18%だったそうで。
現在のサラリーマンと比べると、これが重い年貢(税金)と言えるのかどうか・・・・(笑。

また、収穫した米は地主と小作人で折半していた例が多く、年貢は地主が払っていたので、昔教科書で習ったような、
「生かさず殺さず」搾取された、食うや食わずの小作人の姿は、飢饉などの非常時を除いてはあり得なかった、と。
そう思わせていた「百姓」側がしたたかだった、ということになりますか(笑。

e0071319_0272681.jpg網野善彦著「古文書返却の旅」では、能登・輪島の旧家から発見された手習いの手本(子供の字の練習見本)で、飢饉で困窮した時の訴状が文章例になっていたと紹介されています。
手本には年号が書いてあり、その年には飢饉の記録がなかったので「手本」だと分かったそうで、きちっと史料批判をしていかないと研究者も騙される、と書かれていました(笑。

また、能登のような「半島」は、陸上交通が盛んな時代(近代以降)は「陸の孤島」「交通の便が悪い所」と見られがちですが、海上交通が盛んな時代(近世以前)には大きな港が栄えていた所があり、輪島もその一つだそうです。
江戸期の「公的」区分では、江戸や京都、大阪、その他の城下「町」以外は、どんなに賑わっていても「村」扱いで、農地を持たない、否持つ必要のない「(無高の)水呑百姓」達が、商業や海運業で財を成していたことが史料で確認されています。

時に「百姓」は、「越訴(えっそ、おっそ)」「一揆」「逃散(ちょうさん)」という手段を取っていました。
現場の役人の横暴や約定違反があれば、直接「責任者」に訴え出て(越訴)、
それでも埒があかなければ、集団抗議(一揆)や逃亡(逃散)を行いました。
宮崎県内でも、元島原藩主有馬直純の嫡子・清澄が転封されて支配していた県(あがた)藩領臼杵郡山陰(やまげ)村・坪谷村で、
元禄3年(1690年)代官の理不尽さに憤った農民1400人余りが逃散一揆をおこして高鍋藩領に逃げ込み、
両藩の交渉・説得に農民達が納得しないまま時が過ぎ、約10ヶ月後幕府が直接裁断を下し、
逃散の中心的メンバー20数名が処罰されましたが、残りの農民達はお咎め無しで帰ることが出来、
有馬氏は越後国(新潟県)糸魚川に飛ばされました。
その後、県藩は延岡藩と改称され譜代大名が治めるようになり、また色んな意味(交通の要衝等)で主要な県内23ヶ村が天領(幕府直轄地)となり、
延岡・高鍋・佐土原・飫肥・薩摩各藩の間をぬって点在することになりました。

私の実家がある清武町(現宮崎市)にも、この「山陰逃散一揆」の影響で天領になった地域があります。
その後、一時期薩摩筋の支配になったようですが、支配から外れた後(多分、宮崎県が分県した時)、
再度名字の「元」の字を「本」の字に戻した「百姓」がいたとか・・・・(笑。
それにしても、沖縄でもそうですが、強権で名字を変えさせるというのは、何なんでしょうかね(笑。

ま、Wikipedia を見てみると、宮崎県が鹿児島県から「分県」した理由は、
「西南戦争後、鹿児島県が薩摩・大隈の復興を優先したことへの反感」と
「鹿児島県による宮崎支庁への支出が、徴収される地方税よりも少ないという悲憤」があったようで、
沖縄に対するのと同じような「帝国主義」に、それまで諸藩分立で一体感のなかった日向国の善男善女「芋がらぼくと」「日向かぼちゃ」達が、
「共通の敵」を見出して一致団結したもののようで(笑。
ちなみに、宮崎県の分県運動で中心的な役割を果たしたのは、清武町出身の川越進という人だったそうです。
余計な話になりましたが(笑、こういう「地域史」もなかなかに面白く・・・・(笑。


色々と読んで気付いたことは、私らが習ってきた「江戸時代」は、「お触書」という「公文書」を中心に検証していて、
講談師の語る百姓一揆の「義民物語」や、E・H・ノーマン著「日本における近代国家の成立」(1940年執筆、1953年日本で刊行)
などの影響も、かなり受けていたということで・・・・。
「お触書」も貴重な史料には違いないんですが、「百姓」(一般民衆)の史料も同時に見ていかないと、
どうやって「百姓」が生きていたか、本当の姿が見えてきません。
「お触書」(政策)が出たから世の中が動いたのではなく、「百姓」が動いたから世の中が動いて対症療法的に「お触書」が出た、
ということを見落としてしまいます。
また、「権力」があったから「社会」が存在したのではなく、「社会」があったからある一定の条件の元に「権力」が存在し得た、
という見方も抜けてしまいます。
この辺り、同じ「権力」に何百年も支配されてきた地域の人達には、なかなかピンとこないかもしれませんが・・・・(笑。

e0071319_044975.jpg天領と諸藩領では年貢も違い(天領は四公六民~五公五民、諸藩の中には八公二民!もあった)、年貢が重く厳しい生活を強いられても一揆や逃散が起こらなかった藩があれば(「郷士」という士分の支配者層が農村に常駐し監視していた等)、比較的裕福でも一揆や「百姓の流失」(出稼ぎや海民の移動等)が起こった藩もあり、寺子屋が100以上あった藩もあればひとケタしかなかった藩もあって、一括りに「江戸時代はこうだった」とは言い切れない多様さがあります。
そこで、それぞれの「地域史」が重要になってきます。

各地域の「百姓」史料が研究されれば、政治状況(天領、諸藩領)や生活環境(漁村、山村、農村、城下町、港町、宿場町他)ごとの、「百姓」達の様々な暮らしぶりや豊かな繋がり、築いてきた「文化的遺産」も見えてくると思います。

渡辺京二著「逝きし世の面影」では、幕末期に江戸を訪れた欧米人達の残した記録から、
とにかく闊達で冗談を言ってはよく笑い、人への気遣い・思い遣りも備えた、機嫌のいい民衆が多かったことが紹介されています。
その理由として、貧乏でも物価が安いのでとりあえず食えて、働き手のいない世帯(独居老人や障害者、寡婦)には相互扶助が働き、
身分や立場の差はあっても「所詮は同じ人間」という平等感・信頼感があったからではないか、と。
当時の、工業化した欧米各国の都市部では既に見られていた、劣悪で不潔な環境に住み、過酷な労働の疲弊から来る「無気力」と、
数少ない「娯楽」(酒とSEX)に耽る「退廃」に陥った貧困層は見当たらなかったそうで。
「貧乏はあっても貧困はない」社会だったと。
ほとんどの人々が「地域」や「職業」に属していて、「分断され孤立した個人」はごく少なかった、ということでしょうか。

また、何故百万都市・江戸は、現在から見れば考えられない程少数の与力・同心(と岡っ引き)だけで治安が保てたか、
それは地域社会・組織が、軽微な犯罪・紛争は自分達で処理・解決する「慣習」があったので
「お上の手を煩わさなかった」、逆に言えば「介入させなかった」からだと。

江戸の町には、来日した外国人が「買い物熱に浮かされてしまう」と嘆くほど、
熟練した技術とセンスを感じさせる商品を売る店々(桶屋、籠屋、瀬戸物屋、小間物屋、骨董屋、他)が並び、
庶民の生活必需品を売る店々(古着屋、八百屋、魚屋、下駄屋、草鞋屋、酒屋、他)が軒を連ね、
大道芸人達が辻に立ち、文字焼屋や飴屋に子供が群がり、盲目の按摩が笛を吹きながら杖をついて歩き、
また多種多様な行商人達が道を行きかっていたようです。
中には「羅宇屋(らうや)」といって、煙管(きせる)の掃除や修理の専門もいたそうで、それでそこそこ食えたというのもすごいところです(笑。
当時の他の国の都市とは比較にならないほど、多種多様で豊かな町の様子を、「雑多と充溢」と表現した外国人がいたそうで・・・・。

前掲の「村からみた日本史」のあとがきに、
「中央集権的な『国家史観』では、常に過去の政治権力を否定的に見るだけで、『悪いのは過去の支配者』と現支配者は取り繕い、
民衆は常に被害者面して歴史の担い手としての責任を負わない」
という意味のことが書かれていました。
歴史に対する「無責任」が、江戸期に「全国津々浦々」で「百姓(一般民衆)が築いた豊かな文化や偉業」を知ろうとも、意味を理解しようともせず、
明治維新以来の欧米諸国への劣等感、その反動としての「傲慢さ」に繋がっている、と。
紙芝居や講談もどきの「英雄史観」を、鵜呑みにしてしまう脆さ、にも繋がっているように思えます・・・・。

サッカー日本代表の前監督であるイビチャ・オシム氏は以前、
「日本の選手は、誰も責任を取ろうとはしない」
とインタビューで語っていましたが(笑、日本の「無責任」は植木等から始まったんじゃないですよ(笑、100年以上の「年季」が入ってるんですよ、
と教えたら、あのオシム氏は何と言うでしょうか・・・・(笑。


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by syotikure | 2010-06-26 00:48 | 趣味(その他) | Trackback | Comments(0)

近くて遠い、江戸


e0071319_2084863.jpg何の写真や?とお思いでしょう(笑。
ご覧のとおりの、十手です(笑。

某ショッピングサイトに期間限定ポイントというのがあり、何に使おうか考えていたところ、たまたまこの十手が目に入り・・・・(笑。
赤・紫・白・黒の4色から房の色が選べて、今回黒をチョイスしてみました。(笑。
長さ約40cm、重さ約400gで、そこそこ重量感があり、肩を叩くのにも便利です(笑。

身近に治安悪化を感じたという訳でもないのですが(笑、よく考えてみるとウチには「用心棒」の類(バットや木刀など)が何もなく、とりあえずは何か置いといた方がいいかなと・・・・。
室内で使うとなると、鴨居や電灯があり、また大立ち回りが出来るような広さもないので、まあこれが実用的・・・・?かと(笑。

十手といえば岡っ引きのシンボル、銭型平次など「正義の味方」というイメージがありますが、
人口に対して同心(今の警官)の人数が全然足りず、「そっち方面」の者を「岡っ引き」(情報屋、下働き)として私的に雇うことが多かった為、
職務上知り得た情報で金を脅し取る輩が出てきたりして、評判はあまりよくなかった、と書いている作家もいます(笑。
最近、TVで捕物時代劇が少ないように感じるのも、何かその辺が視聴率的に関係してるのかも・・・・(笑。

捕物小説、実はあまり読んでないんですが、藤沢周平の彫師伊之助シリーズ(「消えた女」「漆黒の霧の中で」「ささやく河」)は好きですね。
あるヘビーな事情で岡っ引き稼業から足を洗い、木版画(浮世絵や書籍)の雇われ彫師として日々を送っている伊之助が、
昔の義理や人情、しがらみから事件に引っ張り込まれて、時には昼の本業をすっぽかして親方に怒鳴られ、
また十手を持たない徒手空拳の身で危ない目にも遭いながらも、ついには真相を明らかにするという、
ごく「日本的」な「ハードボイルド」小説です。

コナン・ドイルのシャーロック・ホームズに刺激を受けた新歌舞伎の劇作家・岡本綺堂が、大正5年(1916年)に書いた「半七捕物帳」、
これが捕物小説の嚆矢といわれています。
明治5年(1872年)東京・高輪に生まれ、その後、麹町で育ったという綺堂。
その頃は、まだまだ江戸の風景や風情が残っていたと想像されます。
実際にそれらを見、匂いを嗅いだ作家が書いた作品、いつか読んでみたいと思っています。

江戸期の実際の姿は、明治政府のプロパガンダなどで曲解されていることが多く(「士・農・工・商」の身分制度はなかったこと、
問題が多くて未だに法務局が厳重管理し閲覧不能になっている「壬申戸籍」(明治5年作成)では百姓(農民)身分が多過ぎること、
「鎖国」は貿易統制に過ぎなかったことなどなど)、実はまだ判っていないことが多いようです。
それ以前の古代史や中世史と比べ、圧倒的に文献資料が多過ぎて整理・研究が追いつかないところもあるようですが、
今後の近世史の研究にますます期待したいところです。

ま、それにしても、十手のグリップって、どうも手に馴染みませんね~(笑。
ものの本によると、指を切られる恐れがあるので、鈎(かぎ)から指2本分ぐらい空けて、柄を握るのがよいのだそうですが、
長脇差やダンビラ相手に大立ち回り・・・・はまずあり得ないシチュエーションで・・・・(笑。
相手の攻撃をかわして懐に飛び込み、重量の軽さをカバーする為に遠心力を利かせながら武器を持ってる利き手を打ち、
しびれさせといてから「お縄」にするんだそうで・・・・。
う~ん・・・・(笑。

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by syotikure | 2010-05-29 20:46 | 趣味(その他) | Trackback | Comments(0)

開かれた海  「ちんぐ」「ちんぐ 黒麹仕込み」


最近、網野善彦氏の著作にハマっております。
その流れで、宮本常一著「忘れられた日本人」も知り・・・・。

日本を、海に囲まれて「閉ざされた」島国と見るのか、
大海原に「開かれた」海洋国と見るのかでは、
歴史認識に大きな違いが出てくると思います。

海洋民や海賊には以前から興味があり、ある県北の取引先の方が、
「うちの社長一族は元々海賊で、祭の時やらは小銭がギッシリ詰まった甕を門前に置いて、みんなに好きに持って行かせよったげなです」
と笑いながら仰られていたことが、妙に印象に残っていまして・・・・。

この休み、久しぶりに珍しい焼酎でも飲もうかと開けたのが、壱岐の焼酎「ちんぐ」と「ちんぐ 黒麹仕込み
蒸留酒の日本への伝来には大きく二説あるようで、そのうちの一つ、朝鮮半島伝来説の本家の焼酎です。
海洋民繋がりで、琉球(ベトナム製)のショットグラスで味わうことに・・・・。
ちんぐ」の方は、常圧と減圧のブレンドですっきりとした飲み口。
ちんぐ 黒麹仕込み」の方は、常圧で麦の香ばしさと甘みがストレートに味わえます。
下戸の嫁女評は、「黒麹の方が甘みがあって飲みやしいね」ということでした。

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網野氏の著作によると、「日本」という国号を空から降ってきたかのように当たり前に使っているが、
689年に施行された飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)から始まったというのが大方の学者の見解で、
対外的にもそれまでの「倭国」から「日本国」に切り替えたそうです。
そもそも「日本」という名前自体、「太陽の昇る東側の国」という「中国目線」なのでは?ということで(笑。
本日の「建国記念日」も、戦前の紀元節、神武天皇即位の日という「神話」が元で、
学術的には何の根拠も無い、ということでした(笑。

バブル期に遷都論が起こって、いくつかの都市の首長が手を上げたら、京の都に住む大アルコールメーカーの会長が、
「東北には熊襲が住んでいる。そんなところを首都には出来ない」
と言って、東北の人達にそのメーカーの商品が総スカンを食らったというのは有名な話ですが(笑、
どこの「立ち位置」から見るかによって、史観は大きく変わります。
大体「熊襲」は南九州の住人ですし、この会長の「辺境」への認識もそのレベルだったのでしょう(笑。
ま、「日本」という国号が出来た頃は、東北と南九州は「日本国」の内ではなかったそうですので、
この会長の認識は1,300年前のまま止まっていたのかもしれませんが・・・・(笑。

網野氏は、明治維新前後に活発に動いた「薩・長・土・肥」は、密貿易(あくまで徳川幕府目線での、ですが 笑)で力を蓄えた国々ではないか、と書いています。

日向の海洋民は、伊予の河野水軍や肥前の松浦党と関係があるそうですので、
韓国語で「親友」という意味の「ちんぐ」を飲みながら、
もしかしたら先祖も漕ぎ出していたかもしれない海の彼方に、
また海洋民の来し方に、思いをはせてみたいと思います・・・・。
ま、私の先祖は、判る範囲では「百姓」の「農人」でしたので、あまり関係ないかもしれませんが・・・・(笑。
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by syotikure | 2010-02-11 23:45 | 焼酎・酒 | Trackback | Comments(0)

多様性の強さ  「閉塞経済」


e0071319_8565317.jpgちょっと春めいてきた今日この頃、昼から眠くなってきます・・・・(笑。

春といえば、いよいよ今春から、「裁判員制度」が始まるようです。

ちょっと疑問に思うのは、
国民の理解しやすい納得のいく裁判
を目指すという名分で、「司法」への「一般国民(刑法のアマチュア)」の直接参加が義務付けられているということです。
それだったら、
国民の理解しやすい納得のいく政治
を目指して、「政治員」とかいう立場で「行政・立法」への「一般国民」の直接参加、というのもアリなんじゃないかと・・・・(笑。

「代議員制自体が国民の政治参加であり、国民主権、民主主義そのものじゃないか!」
と言われそうですが、今の小選挙区制などを見ていると、選挙で選ばれる前に「選ばれる」必要があり・・・・。
親分」の覚えよろしくなければ、選んでもらえないという・・・・。
裸一貫打って出たとしても、「地盤・看板・カバン」や「政・財・官界の人脈」、「知名度」がないと、当選する可能性は極端に低く・・・・。
決して私が選挙に出たいという話ではなく(笑、小選挙区制の問題点、「機会の不均等」の話です。


市場原理主義者も「機会の均等」には賛成でしょうから、
「あ、なんや手紙が来ちょったよ~」で、自治会の役員的に国政参加もアリかと・・・・(笑。
政治員制度」によって、財政や年金の現状、税金の適切な分配等、
官僚任せでない、行政・立法府が果たすべき責任・役割を国民が理解すれば、
選挙の度に顔色をうかがってアメを配る」必要もなく、
一貫した、スムーズな政策立案・実行ができるのではないかと思います。

また、代議員制が世界の民主主義の「グローバル・スタンダード」だとしても、
そもそも「プロ」でないと政治は出来ないの?という疑問もあり・・・・。
ちょいと前までの国会では、大臣への質問に官僚が答えてましたし(笑、
大臣本人が話す場合でも後ろの官僚からメモが差し入れされ・・・・(笑。
「政策のプロじゃなくてもいいんだ!別の意味の『プロ』だったら!!」
と言われそうですが・・・・(笑。

この「100年に1度」の不況を受け、国会議員の定数削減の話も出ているようで、
ある程度の割合を「政治員」が「代行」すれば、
その「政治員」の本業の休職期間中の給料を国が全額負担したとしても、
かなりの「人件費のコスト削減」に繋がるはず・・・・。

どうも抵抗があるという方は、「派遣社員」みたいなものと考えて頂ければ・・・・(笑。
規制緩和!」「自由化!」「大きな政府から小さな政府へ!」という、錦の御旗にもかなうことうけあいです(笑。
ただ、派遣社員にした場合、「このウマシカ野郎!」「ウマシカ野郎とは何だ!?」で
急に「ウマシカ野郎?解散」になった時、通知無しでいきなりの「派遣切り」になる危険性がありますが・・・・(笑。

ま、「政治員制度」の実現の可能性、どんなものでしょうか・・・・?(笑。


さて、すっかり長くなってしまい、横にいる嫁女がウンザリした顔をしていますので(笑、
表題の「閉塞経済」は、改頁してご紹介致します(笑。

More 改頁・・・・写真や絵はありません(笑
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by syotikure | 2009-02-10 00:05 | 趣味(その他) | Trackback | Comments(2)

一人のヒーローより・・・・  「月光仮面の経済学」


e0071319_594597.jpg先日、福岡は小倉育ちの先輩と飲む機会があり、四方山話をしながら酔いが回るうち、自然と政治が俎上に・・・・。

「タロちゃんは漢字が読めんけど、まあ金は持っとるやろうから、つまらん『悪さ』はせんやろ~。でも、前の前の・・・・何人前やったか忘れたけど・・・・、ジュンちゃんの方が良かったなあ・・・・」

という話になったので、二人で酔った頭を突き合せ(笑、思い付くまま実績を挙げていったところ、

「感動した」
「お盆ぐらいにお参りした」
「安全な所で、ヒゲを生やした公務員にお水を配らせた」
「難しいこと解らないことは、自己責任?で丸投げした」
抗勢力をヤっつけて、なんや元気なオバちゃんやら兄ちゃんやらを国会議員にしてあげた」

という感じに・・・・(笑。

一昨日、約200万人の民衆を集めて、歴史的とも言われる就任演説を行い、
米国民の“CHANGE”への期待と、「夢」を背負って始動した、オバマ新大統領・・・・。
課題が山積し、また「祭の後」の大衆心理の反動も心配されますが、
「世襲」ではなくてモチベーションとプライドを持って「自分の意志」で立った人でしょうから、
どこかの国民のように「まぁた途中で投げ出しゃせんか」と心配する必要は無いように思われます・・・・(笑。
最近TV等でノッチを見慣れたせいもあってか〈笑、今度の大統領には親しみが湧きます。


さて、表題の「月光仮面の経済学」です。
著者は慶大の経済学教授で、佐高信氏との対談集「誰が日本経済を腐らせたか」を読んで以来、気になっていました。
2001年刊行のこの本、「気の抜けたビール」時評では決して無い、今でも学ぶべき事の多い内容です。
「月光仮面と他のヒーロー達との違い」「だれでも月光仮面になれる」から始まり、
ユニクロの謎、当時全盛の「モー娘」の組織論(何故モー娘は当たったか、派生グループが成り立ち得たか)や、
映画「タイタニック」のシーンに合わせた「経済構造」の説明などで「現在の構図」を浮き彫りにし、
世界同時不況下、過去に学び、「ルールとレフェリー」を整備し責任を明確にすることが、未来に繋がる、と呼びかけています。

私の場合、経済学用語の勉強が多少必要でしたが(笑、
「『解りやすく説明してくれないと不親切だ、威張ってる』と言う風潮もあるが、これ以上はやさしく説明できない、という限界がある。」
「TVという『流動食』ばかり摂っていると、本・活字という『固形食』を咀嚼する『アゴの力』が衰えてしまう。」
と「誰が日本経済を~」に書かれていましたし、
朝から血液型なんちゃら占いや星座かんちゃら占いばかり見ていて、
女子アナ対抗歌合戦(ほんとにやったかどうか知りませんが、やりそうです)的な番組が好きな嫁女に、
「フ〇テレビばかり見ちょると、いんまバカになるよ~」
と言っている手前、「アゴ」を鍛え続けたいと思っています・・・・(笑。
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by syotikure | 2009-01-22 23:28 | 趣味(その他) | Trackback | Comments(2)

Slow&Fast  「スローライフ」&正調粕取「三隅」

今週は、一連の「事故米」流通事件の身近なところへの「侵食」、更に、北京五輪前に「メタミドホス」という単語を広く世に知らしめたお隣・中国で、「メラミンミルク」を飲んだ幼児が死亡する事件など、「食」の安全を根本から覆す報道が続いています・・・・。
農水省の役人を擁護する訳ではありませんが、「会社の信用を考えれば、否、人間として、こんなことは出来ないだろう」ということを、実際にやってしまう「拝金主義」の輩達が続々と・・・・。

昨夜、再度読み直したのが、筑紫哲也著「スローライフ」です。

「まえがき」で、「80歳を一応の寿命とすると、約70万時間の生があり、8時間労働を20~60歳まで40年間続けて6万4千時間、生きている時間の1割にも達しない『10分の1弱』(経済=労働)を『ファスト(Fast)』で行くのはよいとしても、残りの『10分の9強』も『ファスト』を続けるのですか」と著者は問いかけてきます。

21世紀に入り、「グローバリズム」という言葉が声高に叫ばれ、アメリカ発の「ファーストフード」が世界中を席巻している状況下、それとは別の思想・運動として、イタリアの「スローフード」や、大分の「地産地消」などが始まっていると紹介されています。
この本を読んで気付いたのですが、巷間云われる「ファーストフード」、ほんとは「ファスト(Fast=速い)フード」だったんですね。
ファースト(First=最初の、第一の)ん?、(一流の、首位の、最高の・・・・)ん~??、おかしいと思ってました・・・・(笑。

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本書に紹介されている、イタリアのスローフード協会長であるカルロ・ペトリーニ氏が語った、
「スローフード」と呼ぶのに必要な4つの要件(定義)とは
1.その土地の産物であること
2.素材の質の良さが保たれていること
3.その土地の風習に合った生産法で作られていること
4.その土地に活気を与え、郷土の社会性を高める食品であること

「グローバル化」「ファーストフード化」されたものと比較した場合、食材の「正体の判明度」は一目瞭然です。

人類全員が日本人の生活様式をするとしたら、地球があと一つ半、
アメリカ人の生活様式だったら、地球があと二つ必要。

中国人が1日に一切れの肉を食べるようになったら、世界はたちまち食糧危機に陥る
という例え話も切実です。
本書は食の問題だけでなく、「9.11」以降の「一神教世界」での「一元論的呪縛」(どちらが正義か悪か)の問題、
ロハス(LOHAS=Life-style of Health and Sustainability=健康で持続可能な生き方)、
森林保全、木の良さの再発見など、生活(ライフ)全般にわたる内容です。

著者は、「スローライフ」に見合う言葉として、「緩急自在」を挙げています。
緩急に自(おの)れが在(あ)る、ゆったりしようが急ごうが、決めるのは自分。
忙しいからたまにはファーストフードで済ませるもよし、ただし、
「スーパーサイズのコーラとフライドポテト、ビッグマックの合計カロリーを消費するには、七時間歩き続けなければならない」
ことは知ってた方がいいよ、と・・・・(笑。


ちょっと長くなりましたが、さて今宵は、筑紫氏の故郷である大分県の日田繋がりで、正調粕取焼酎「三隅(みくま)」を・・・・。
原料の籾殻(セイロで酒粕を蒸す時、通気用に練り込まれるといいます)由来の風味が独特、と聞いていますが、さて・・・・。

一口飲んでみると、素朴な籾殻の風味とすっきりした甘み・・・・。
生まれて初めて「正調粕取り」焼酎というものを飲みましたが、この素朴な風味はいいですね・・・・。
何やら、小学生の頃、鯉釣りに行った時のことが思い出されるのが、不思議といえば不思議・・・・(笑。
下戸の嫁女は、一口飲んだきり、よく理解できない風でした・・・・(笑。
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by syotikure | 2008-09-18 20:56 | 焼酎・酒 | Trackback | Comments(2)

城山三郎を読んで


e0071319_114957.jpg昨日、沖縄が梅雨明けしたとの報道を耳にし、みやこんじょの梅雨明けはいつになるのやらと、羨ましい気持ち半分、暑中見舞いも半分、という感じの今日この頃・・・・(笑。
今年は一体、どんな夏になるのやら・・・・。

「晴耕雨読」という culture の語源っぽい生活とは程遠い(笑、照っても降っても営業外回りの日々ですが、そんな中1ヶ月ほど前から読み直しているのが、城山三郎氏の著作です。

学生時代から、城山氏の名前だけは知っていたのですが、「経済小説」という分野に対して敷居の高さや縁の無さを感じ未読のままでいたところ、昨年氏の訃報に接しました。
その時に、氏のプロフィールを知る機会があり、また小説家の藤沢周平氏や「戦艦武蔵」の著者である吉村昭氏と同年生まれであることを知り、急に興味を感じて読み始めたのでした。

東京裁判で絞首刑を宣告された7人のA級戦犯のうち、唯一の「文官」だった元首相広田弘毅の、「戦争責任の取り方」とその生き様を初めて世に知らしめた「落日燃ゆ」、足尾鉱毒事件と田中正造の生涯を世に知らしめた「辛酸」など、城山氏ならではの「人選」をした作品だと思います。

この世代の作家達が共有した体験、それを踏まえて出てきた「モノの見方・考え方」は、風化しかけた記憶を呼び覚まし、同じ轍を踏まない為に、これからもっと重要になると思います。

映画監督の伊丹万作氏(伊丹十三氏の父)が戦後書かれたエッセイに、
「『私も騙されたんだ』と言えば、被害者面すれば、罪を免れると思っている人が多いようだが、騙された方も騙した方と同罪である」
という趣旨のものがあります。
一方、過労死や、仕事の悩みから鬱病になって自殺、などという悲報を見聞きすると、「真面目」な「責任」感の強い方だったのだろうな、と哀悼の念が湧くと同時に、「思い込み」に気付かないままだったのではないか、とも思ってしまいます。

大きな無責任」に対抗するには、魯迅風に言えば「嘘をつく」「疑う」「逃げる」という3つの「武器」が必要、と思う今日この頃です。
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by syotikure | 2008-06-18 03:19 | 趣味(その他) | Trackback | Comments(0)