外之浦港の史跡  ~ 人間魚雷「回天」練習場跡 ~


「日南一本釣りカツオ炙り重」に満足した後は、せっかくここまで来たからと、
以前から気になっていた南郷町(現日南市)の外之浦港に寄ってみました。

この外之浦港、
「古くは飫肥港とも呼ばれ、七~八世紀頃には遣唐船の風待港、十世紀頃には日宋貿易の基地となり、その後、南蛮船も往来し古来重要な港であった」(角川日本地名大辞典)
そうで、また
「足利氏の勘合船や初期南蛮船の往来によって、長崎開港以前、此処日南は異国文化が盛んであった」(小寺鉄之助著「宮崎県大観」)
「外之浦所在地南郷町に遺る『五艘泊り』『出船坊』『唐人坊』『空町』は唐人の宿屋数戸以上が在ったこと。唐船南蛮船が常に数艘碇泊していた」(同上)
そうです。
あの遣唐使で有名な吉備真備(きびのまきび)が、この航路の安全性を進言していたとも伝わっているようで。
中世、周防(現在の山口県の一部)の大内氏と足利幕府との関係が悪化していた頃、
瀬戸内海から関門海峡を通って朝鮮半島に渡るルートは幕府の統治が及ばず危険だった為、
この黒潮ルート(太平洋岸各港~鹿児島の坊津~琉球~明国)の航海がメインだったようです。

中世の対明貿易、南蛮貿易の面影を探したいところでしたが、史料をもう少し深く掘り下げてからでないと歯が立ちそうになかったので(笑、
今回は、65年前にここにあったという、人間魚雷「回天」の練習場を探してみました。

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港に面した造船所の裏手の斜面で、すっかり夏草に埋もれていましたが、かろうじて標識の立ち杭で見つけました。
中は枯れた雑草などで埋もれかけていました。

造船所の方に教えて頂いた、護岸の向こう側に残ったスロープ跡。
木製のレールのようなものが、波に洗われていました・・・・。
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もう一ヶ所スロープがあり、こちらは戦後も利用されていたものか、ブロックらしきものが積まれていました。
e0071319_20555240.jpg

鹿児島県の知覧や福岡県の大刀洗などの特攻基地は有名ですが、
こういう場所も「戦争の記録」として後々まで残されるべきのように思いました。


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by syotikure | 2010-09-05 21:34 | | Trackback | Comments(2)
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Commented by naoko705-k at 2010-09-27 22:18
こんにちは^^
特攻系というと、どうしても空の方ばかりがクローズアップされがちですが、海もあるんですよね。1度だけTVドラマになったのを見た記憶があります。同じ過ちを繰り返さないためにも、こういう場所も出来事も、風化させず残して欲しいなあと、私も思います。
Commented by syotikure at 2010-09-27 22:51
naoko705-k さん、こんばんは。

「練習場」ということもあってか、地元でもあまり有名じゃなくて地味な場所ですが、
きっちり遺していって欲しいものです。
日常の中の地味な存在だからこそ、伝わる事もあると思います。
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